Part 3: The Ninth Autumn
Chapter 3.8: The Looming Shadow of the Other Enemy
Scene 3.8.1:
Director Harukiがにらんだとおり, “Awakeners”の工作員がworkshop “Nemophila”の社長Kageroとその妻であり副社長のSawaeに近づいていた.
Castle OfficeのBoard of DirectorsがNemophilaへの立入検査の実施を決めた日の午後, 気持ちのいい快晴であったにもかかわらず, KageroとSawaeは市内のPegasusという地区にある自分たちのworkshopから徒歩で10分ほどかかる場所にある, 古びた5階建てのビルの1階にある小さなカフェの中の, 最も奥にある窓のない薄暗い部屋にいた.
この奥の間は20平方メートルほどあり, 床は板張りで, ちょうど真ん中に, 木製のモザイク柄の4人掛けのテーブルと4脚のいすが据え置かれ, その下には一辺3メートルの正方形の薄汚れたベージュ色のラグが敷かれていた. 壁ぎわに数個の段ボール箱が置かれているぐらいで, がらんとして飾り気が全くなく, 物置き部屋として使っているようであった.
そして, Lui Cefiroの妻, Kaya Cefiro (彼女は彼女の国の古い考えに基づき夫のファミリーネームに合わせていた.) が, smart glassesを手で少し上げて, ハンカチで涙を拭きながら, そのテーブルの対面に座っているKageroとSawaeに礼を述べつつ, Hanasakaの警察の夫に対する不当な逮捕及び起訴を非難していた.
Hanasaka Cityの警察官は, 逮捕した被疑者をいつまでもだらだらと勾留することはなく, 72時間以内に, 検察官の役割をになうシステムに, 起訴するかどうかを決めてもらい, しないなら即釈放する. 起訴することになった場合はすぐさま裁判所 (裁判システム“Themis”の機器が設置されている建物) に連れて行き, 罪状認否をし次第, ほとんどはすぐに釈放し, 例外的に市民に危害を加える恐れのある者は別の施設に移送する.
Hanasaka市民ではないLuiもその例外ではなく, 起訴することにはなったが, 逮捕された9月27日の2日後の29日に裁判所で罪状認否を済ませて, 身柄を解放される予定であった.
ところがHanasakaのPolice Departmentでは, 個体の識別や管理のためのmicro-chipsを埋め込んでいない成人については, 埋め込んでから釈放する運用を採っていた. それは, 逃走や再度の犯行を防ぐために監視する目的もあるが, 被疑者がThemisから召喚された時に健康な状態で必ず裁判所に出頭してもらうように, Hanasaka Cityとしては被疑者に対して必要な金銭 (Experi-Coins) や食料品などを, 判決が出る時まで与える目的もあったからである.
この点, Hanasaka市民の成人であればmicro-chipsはすでに体内に埋め込まれているので何の支障もない. 18歳未満であっても思春期における体の成長が落ち着いたら多くの人がさっさとmicro-chipsを埋め込む. そのほうが生きていくうえで必要な市のサービスや民間の様々なサービスを確実かつ簡便に受け取れるからである.
ところがHanasaka市民でなく, かつ考え方が古いLuiは, 警察官にmicro-chipsを注射器で打たれるなど, はなはだしい人権侵害に思えて, 全く受け入れられることではなかった.
Hanafolkの感覚では, 市民が健康で文化的な生活を生涯にわたって続けるのに必要な処置であって, その注射の打ち手がLuiの場合はたまたま警察官であっただけであって, なぜそれが人権侵害だと騒がれるのか理解できないため, 警察官は困った顔をして, これはあなたのためだと必死に説得しようとした.
それでもLuiが納得しなかったため, 警察官は, 体内に入れるmicro-chipsと同じものを埋め込んだ金属製のひも状の足輪をどちらかの足首に装着してもらえれば, それでも良いと妥協案を示した. もちろんその足輪は自分では外せない. 寝ている時も入浴中も四六時中付けている必要がある.
しかしLuiは, 家畜扱いするなと怒り, それも拒否したため, Hanasaka流が通じないとあきらめた警察官は, 市民権を持つ者が本人と毎日, 対面もしくはビデオ通話で連絡を取り合って, Themisからの召喚があったときに必ず出頭するよう保証してくれるならそれでも良いと提案した.
そこで, Luiの弁護人から, Luiと親交のあるKageroとSawaeに連絡があり, Sawaeの友達でもあるKayaからも懇願されたため, 彼らは自分たちが自宅でLuiを引き受けて召喚に応じられるよう保証する旨をPolice Departmentに表明し, ThemisもKassen communityの大物であるSapphire Sharkが出頭保証人になってくれるなら問題はないだろうと考え, Luiは勾留施設の外に出ることができた.
Kayaはすぐにでも夫のいるSawaeの自宅に行きたかったのだが, Luiが釈放された日にちょうど, Experimental Citiesの外では起こり得るが, 彼女の過失により自動車の運転を誤って他人の車と衝突事故を起こし, 彼女自身も大けがをしてしばらく入院していた. そしてようやく3日前に退院し, 今朝Hanasaka Cityにやってきたのである.
ところがKayaは, まっすぐ彼に会いに行こうとはせず, なぜか彼女が信仰するAwakenersの信徒たちがひそかに集まるこのカフェに来て, KageroとSawaeを呼び出したのである.
このやや奇妙な行動についてKayaは, Luiとは最近ちょっとしたことをきっかけに言い争いになってしまって気まずい雰囲気になっていることを, 先に2人に分かっておいてもらってから, LuiがいるSawaeの自宅に向かいたいのだと説明した.
KageroとSawaeは, そうした仲たがいは日常生活の中で時にはあり得るため特に怪しむことはなく, そのきっかけについても詮索せず, このカフェで多少談笑をしてから, Kayaを連れて自宅に戻るつもりでいた.
しかしながらKayaは, 夫の逮捕と起訴によって積もり積もったものがあったのか, Awakenersの“2つ星覚醒者”として, HanasakaやCastle OfficeやKasgaがいかに悪者であるかを語り出した.
補足: “Awakeners”の教団内の職位について “2つ星覚醒者”とはこの教団内での階級の1つで, 星なしの入門者から, 信徒としての活動実績や教義の理解に応じて, 1つ星から5つ星まで等級が上がっていく. 2つ星は市町村単位の地区代表レベルである. 最高覚醒者は幹部クラスの5つ星のさらに上であり教祖1人しかいなかった.
Sawaeは, 大学時代の友人であるKayaが卒業後にAwakenersの信者になったことを受け入れたうえで付き合いを続けているため, Rusty-believersの思想を彼女が語ることをある程度許容していた. そしてKayaのほうも, 友人のSawaeがHanasaka在住のKageroと結婚してHanasaka市民になったことを考慮して, Hanasakaに対して攻撃的に語るのはできるだけ控えていたが, この日はいつもと違って, もはや旧知の間柄を壊しそうな勢いで, Hanasakaのサタンぶりを訴えた.
“今回は, Luiが微罪で逮捕されて, しかも市外の人たちには理解できないチップの埋め込みを求められたりして, Kayaちゃんが怒っているのは分かるけど…”
SawaeはKayaの怒りの理由を受け止めたが, “分かるけど, 何?”と, Kayaは突っかかった.
“まあ, その…, Hanasakaは理念ベースのExperi-Cityなんだし, その理念に共感できる人たちのコミュニティーだから, 嫌なら来なければいいんだし, Luiのようにここに来て住んで働いている以上は, コミュニティーの決まりにはある程度従うしかないし… ただ, 今回のLuiに対する処遇はちょっとひどいかなと思って, 私たちも, Kageroにも協力してもらって, 彼の身元を引き受けたわけだから…”
“もちろんSawaちゃんやKageroさんの協力には感謝してもしきれないと思っているわよ. でもね, 私が言いたいのはね, 生体情報を見られ続けて何とも思わないなんて, そんな家畜みたいな扱いを受けながら何の抵抗もしないなんて, 皆さん, 相当洗脳されていると思うの.
“サタンの化身のHarunaが悪の教典に基づいて作ったアルゴリズムによってすべてを牛耳られているHanasaka市民を, なんとか解放してあげたいの… 数年前の聖戦で, HarunaとLeonが闇に葬られて, バランスの取れたGoblinoが市長になってHanasakaはやっと解毒されつつあるのに, しぶとく残ったCastle Officeの醜悪なやつらが魔天使Kasgaをかついで反撃してきたの.
“私は…, うちの幹部連中は, かっこ悪くて絶対認めないけど, 最高覚醒者様があのような形で天に召されたのは, Hanasakaの刺客によるものだと思っている. あんな絶妙なタイミングで, それ以外に考えられない. だから私たちは戦うの. 第2次聖戦が始まるの.”
Kayaが何を言っているのか, 10年以上の付き合いになるSawaeはある程度分かった気がしたが, 妻の友人という関係にすぎず, しかも市の設立当時からHanasaka市民である根っからのHanafolkであるKageroには, 全く理解しがたいものであった.
まず, Harunaは, 確かにHanasakaの情報システム群や中枢頭脳のFloraの創作に大きな貢献をした人であるが, 一から十まですべてを作ったわけではなく, Experimental Citiesの創設のプロジェクトに関わった世界中の多くの開発者の一員にすぎないのに, まるで独りで作り上げたかのように考えるのは過大評価である.
それにHarunaは進行性の速い腫瘍が主な原因で亡くなったのであって, 誰かに殺されたわけではない. たった33歳の若さで亡くなるまで, 闘病しながらプログラムの改良作業に執念を持って取り組んだ姿に多くの市民が深い敬愛の念を抱き, “Hanasakaの守り神”と言われたりもするが, 本当は人間ですよと小学校の先生が子供たちに教えている.
また, 2代目のLeon市長も, Hanasakaの開発の利権を奪われた集団が差し向けた者によって銃殺されたのであって, Awakenersは関係がない. これも小学校の社会科の授業で教わることだ.
Kayaは, 自分たちの教祖がHanasakaの誰かに殺されたのだと言うが, 自らバルコニーの塀を越えて飛び下りただけなのに, 何を証拠にそんなことを言っているのか分からない. 彼がなぜいきなりそんな突飛な行動に出たのかは分からないが, それこそ彼ら自身が言うように, 彼らの教義に則ってそうしただけなのではないかと, Kageroのみならず多くのHanafolkはそう考えていた.
こうしたことは高校卒の自分でも分かるのに, 大学卒の彼女が“サタン”とか“魔天使”とか“聖戦”とか幼稚な言葉を使って真顔で熱弁している姿を見て, Kageroは, 宗教にはまると, 学歴が自分より上の人でも, 理性的には思えなくなるのかと考えざるを得なかった.
“戦うってずいぶん, 物騒ですけど, お独りでは難しいと思いますが…”
Kageroは暗に自重を求めたが, Kayaは, “もちろん仲間がいます. 今, 市外から続々と入ってきていますし, Hanasakaにも, 洗脳から目覚めて, 私たちと行動を共にしてくれる人たちがいます.”と朗らかに答えたうえで, “KageroさんもSawaちゃんも, 一度, 市外に出て, 洗脳を解いてほしいのです. 今すぐにでもそうしてほしいのです. 外の世界に出れば分かります. Experi-Cityの中だけがおかしいのです. お願いです.”と切に訴えた.
KageroとSawaeは変なことを頼まれたと困り顔で顔を見合わせた.
そもそも世界に23か所あるExperimental CitiesのSCA (Smart Community Architecture) やPSP (Public Service Platform), そしてその頭脳であるFlora sistersは世界各国の優れた能力を持つ大勢の人たちが10年の長い年月をかけて開発し, 今も更新し続けているものであり, それに基づき物理世界に実際に都市として誕生させ, 日々それらを運営し続けられているのは世界中の数えきれない人たちの汗と努力によるものである. アニメやビデオゲームに出てくるような薄暗い洞窟の中や朽ち果てた神殿の地下に埋もれていたものを怪しげな魔法使いが呼び起こして作り上げたものではない.
Experimental Citiesは国際社会が協力して運営しているのであり, Hanafolkの感覚では, それに異を唱える人たちは, 国際社会についてこれず, 世界の変化を知らない, 井の中の蛙であって, 洗脳を解いて覚醒すべきはむしろ, 旧来の因習にどっぷりつかっているあなたたちでしょと言いたくなるのだ.
“Kayaちゃんには私たちが不幸に見えるかもしれないけど, 私たちは質素に暮らしている限りは何の不自由もないし, お金がないと生きていけない市外に住みたいとは思っていないの. きっと目を覚ますべきなのはそっちのほうだとお互いに言い合い続けるのよ. それに今はLuiを預かっている状態だから, あまり無責任に動けないでしょ.”
Sawaeは, 市外には行かない理由として, 根本的に考え方が違うことを述べたうえで, 現実的に警察との約束を履行する義務があることを付け加えた.
“Luiは…, 私たちの仲間が強奪させてもらいます. おふたりには監視上の過失はなかった. それでいいでしょ…”
Kayaのこの発言に, はっと気づいたKageroは, “まさか, そのために我々をここに呼んだんですか!”と, 声を大きくしてKayaに問うた.
“すみません. 裏切るようなことをして本当に申し訳ないのですが, もう遅いです. 今頃はもう, 宅配業者を装った仲間がお宅に入ってLuiを連れ去ったはずです.”
“何言ってるの, Kayaちゃん! それって犯罪なのよ!”
SawaeがKayaを非難している間にKageroは, AR viewでLuiのアイコンを引っ張り出してコールしたが, 直ちに通信不能の旨が表示された.
“犯罪なのはHanasakaのほうよ! Luiのことだけじゃないわよ. 何の証拠もないのに, 城を破壊したのがあたかも私たちであるかのように世論を誘導して, そのうえ最高覚醒者様を突然あんなふうな形で永久にお会いできなくして, そのうえで11月9日を決戦の日と称して, 自分たちこそが正義であり最強だと鼓舞するイベントをするつもりなのは分かっているのよ.
“Castle Officeのやつらは, 実験に反対する考えをはっきり掲げる私たちを陥れるために, 練りに練った作戦に基づいて進めてきたのよ. Castle Keepを炎上させたのも自作自演. 11月9日の襲撃も, 作られた危機. きっと自分が用意した敵役が城に攻めてきたことにして, それを思い切り叩いて, 魔天使Kasgaを勝利の女神に仕立てる芝居に決まっているじゃない.”
Hanasaka市民のKageroとSawaeにはこじつけの陰謀論としか思えないシナリオを一方的にまくしたてられ唖然としたが, 黙っているとさらに勝手な持論を展開されそうであったため, Sawaeは, “Kayaちゃんが何と言おうと, 私はKayaちゃんの意見に賛成はできない.”ときっぱり言い切った.
“Castle Officeが長い時間と多額のお金をかけて修復してきたお城を, 自分の手であんなふうに壊すなんて, 理屈から言っておかしいでしょ. それに, ‘自分が用意した敵役’って誰なのよ. 誰がCastle Officeのためにそんな危険なことしてくれるの? お城を警護する警察から銃撃されるのを覚悟して飛び込んでくる人がいるとしたら, それこそ狂ってるでしょ. そんなことできるのって, 聖戦を叫ぶ人ぐらいじゃない. ねえ, Kayaちゃんはそんなことしないよね. お願いだから変なことしないで. 聖戦とかやめて.”
今度はSawaeのほうが切に依頼する側に回った. そしてKageroも, “そうですよ. 仮にCastle Officeが犯罪組織やとしても, Kayaさんたちも犯罪に走らなくてもいいじゃないですか. 同類になってしまうやないですか.”と付言した.
2人が何と言おうともKayaの信念も何の揺らぎもなかった. Awakenersとしては, 攻撃を仕掛けてきたのはHanasaka側であって, 自分たちは正当防衛として戦っているにすぎないと考えていたからだ.
“で, SawaちゃんとKageroさんは, 一緒に市外に出てくれないってことなの?”
Kayaは, 低い声でやや威圧的に念押しした.
“出ないわよ.”
Sawaeが明言すると, Kayaは, “そう. 残念ね. 本当はあんまり手荒なことはしたくなかったけど, 仲間と一緒に来てもらうことになるわ.”と, 2人の顔を見ずにうつむいたまま, 拉致することを宣告した.
それを聞いたSawaeは悲しみで胸が締め付けられ, “Kayaちゃん, お願い. そんなことやめて. Kayaちゃんはそんなことする人じゃなかったでしょ.”と涙声で訴えた.
元FighterであるKageroは, 窓がなく, 1か所しか出入口がないこの部屋では, 自分たちが非常に危険な状況に置かれていることを悟らざるを得なかった.
“くそっ. 足が使えれば, Sawaeだけでも逃がせるかもしれんのに…”
この店内で数人の男たちに囲まれて捕縛され, 市外にあるAwakenersの施設に連行されたら最後だ. そこで薬物などを注入されて, 彼らの教義を無理やり刷り込まされ, Hanasakaの洗脳からは解放されるとしても, 気味が悪い彼らの教義を聖なる教えと信じてしまう, 別人物の自分ができ上がってしまう.
そんなことになれば, HanasakaのPhilosophyをきちんと実践することを大切にするKassen communityで生きてきて, “Sapphire Shark”と呼ばれて親しまれ, “Four Star Spear”の使い手であった誇りも歴史もすべて闇に消えてしまう. それは断じて受け入れられない. それに妻のSawaeが, 信仰のためには犯罪をもいとわない, 目の前にいる人のようにはなってほしくない.
“こんなところでおれの人生が台無しになるやなんて…”
なんとかここから脱出する可能性がないかと思って周りを見渡すと, 天井から吊り下がっている照明器具の吊りひもに1匹のゴキブリが止まっているのを確認した.
“いや, あれはmech-roach!”
Kageroが, そのゴキブリに触角がないことに気づいてその正体を見破った.
“この部屋にいつの間にかmech-roachがいます. ということは, 今までの会話は警察に盗聴されていてもおかしくないです.”
Kageroがそう言って, そのこげ茶色の, こそこそ動く物体がいる場所を指差すと, 2人の女性は本能的にキャッと声を上げて驚いた. そしてその1秒後, 彼らがいた奥の部屋のドアをノックする音が聞こえた.
“すみません. 私はHanasakaの警察官です. ここを開けていただけますか?”
Kageroは, それを聞いた瞬間, 助かったと安堵した. そして, 警察官がこの部屋のドアのすぐ外にいるということは, 店内にいたほかの仲間をすでに取り押さえられている可能性もあると期待した.
“CEFIRO Kayaさん, いらっしゃいますよね? お話を伺いたいのでこのドアを開けていただけますか? 店内にいたあなたの仲間は公務執行妨害罪の現行犯で逮捕したんですが, CEFIRO Kayaさんはこの部屋にいると彼らが言うので, お尋ねしています. CEFIRO Kayaさん, いらっしゃいますよね?”
警察官はこのドアを蹴り破るような強硬手段には出ず, 丁寧かつ威圧的に, 再びKayaが在室しているかを問うた.
Kayaは手足が震えるのを止めることができないぐらいに動揺していたが, なんとか気力で抑えながら, “わ, 私が, な, 何を, したと言うのですか?”と, 疑いをかけられている理由を尋ねた.
“この部屋に, Sawae NemofilaさんとKagero Sacraさんがいらっしゃいますよね?”
警察官はKayaの質問にはストレートには答えずに, さらに2人の名前を挙げて所在を質問したため, Sawaeが, “は, はい. 私です. Kageroもいます.”と, 声を絞り出して自らの存在を告げた.
“あぁ, 良かった. 実は通報がありまして, 今日, おふたりがAwakenersの信者に呼び出されて拉致される可能性があると聞きました. それでこちらにいらっしゃる可能性が高いことを突き止めまして, お伺いした次第です.”
実際, 警察は, Luiが滞在している, KageroとSawaeが住む自宅の出入口を観察できる場所に警察官を配備してずっと3人をマークしており, この日, KageroとSawaが自宅から出た時からひそかに尾行し, このカフェに入った後は, mech-roachを数機放してずっと中の様子を観察していたのであるが, それは言わずに, 慌ててここに来たかのように装った.
さてこの状況下でKayaが次にどういう態度をとるか, KageroとSawaeは眉をひそめて彼女の青ざめた顔を凝視した.
考えられる選択肢の1つ目は, 素直に降参してドアを開け, KageroとSawaeを警察に渡すことである. しかし, サタンの都に入って工作活動をやっている最中に運悪くサタンの警察に捕まった2つ星覚醒者が悪の手先に何の抵抗もせずに捕まったりしたら, 仲間からののしられるだろうし, 自分としてもせっかくここまでやってきたのにあまりに情けない.
そこで2つ目の選択肢としては, ドアを開けてKageroとSawaeを警察に渡すが, 拉致や監禁のつもりなどさらさらなく, 何かの間違いだと主張することが考えられる. しかしこれは, 侵入していたmech-roachが先ほどまでのこの部屋の中でなされていた会話を聞いていただろうし, KageroやSawaeもうそだと直ちに否定するのは目に見えている.
そうすると3つ目の選択肢として, ドアを開けることを拒否し, 警察官が中に踏み込んで来ようとするなら2人を傷つけると脅し, 何らかの打開策を考えるための時間を稼ぐのではないかと思われた. しかしすでにその部屋の中にいるmech-roachは, 対象者に飛びつき, 身体を一時的に麻痺させる液体を注射することぐらいはする可能性がある. そしてそのmech-roachは時間が経てば経つほど, この部屋に大量に入ってくるかもしれない.
結果的にはいずれでもない展開となった. 彼女はまず, ドアを開けて警察官を部屋の中に入れた. すると, 頭部にヘルメットとsmart gogglesを付け, exoskeletonで腕と背中と脚を補強した装甲服を着た3人の警察官が短銃を構えながら入ってきた.
“両手を挙げて, そのまま動かないでください.”
ドラマの中とは違って, 多くの一般市民にとってこういう場面に出くわすことは一生に一度もないので, 3人とも緊張で体をこわばらせ, 警察官の指示にあらがうすべなどなかった.
警察官たちは, 先ほどからひそかに偵察活動を実施していたmech-roachから事前に送られてきた個体情報と, 今, 目の前に見えている人物とを, AR viewの中で瞬時に照合し本人確認ができるや, 先ほどから話しかけていた警察官が, “KageroさんとSawaeさんはドアのほうにゆっくりと移動してください.”と, 銃の引き金に指をかけている右手とは反対の手の人差し指で, 入ってきたドアのほうを指した.
KageroとSawaeは, Kayaとの間に立って彼女に銃口を向けている2人の警察官の背後を通って, ドアのほうに向かい外に出て行った. Kayaのことが心配でたまらないSawaeは部屋を出ようとする直前に彼女のほうを振り返り, 一瞬, 2人は目が合った. 彼女たちにとってそれは今生の別れであった.
Scene 3.8.2:
KageroとSawaeは, 別の1人の警察官によってビルの外に出るところまで案内された. 残りの警察官2人はそのままその物置き部屋に留まり, Kayaのほうに銃を向け続けていた.
“サタンの国にようこそ, CEFIRO Kayaさん. KageroさんとSawaeさんに危害は加えられていないようですし, 我々に抵抗しなければ, あなたを逮捕せずに済みそうですが, あなたの仲間がKageroさんらの自宅にいるあなたの夫を連れ去ろうとしたことについて, ちょっとお話を伺いたいのですが, よろしいですか?”
警察官は, Awakenersの信者が使う用語を自虐的に使ってあいさつをしたうえで, Luiの連れ去りに関する取り調べに応じるよう求めた. それに対してKayaは応諾の返答をする代わりに, “連れ去ろうとした?”と, それが未遂で終わったのか尋ねた.
“そうです. 実際には連れ去られませんでした. たまたまKageroさんらの自宅を訪ねてきた人とあなたの仲間が玄関ドアの前で鉢合わせになったようで, しかもその訪問された方が武術ができる人だったようで, 多少, もみ合いになったようですけど, あなたの仲間は捕縛されて, 警察に通報されたのです. だから, Luiさんは無事にKageroさんらのご自宅にいらっしゃいます.”
それを聞いたKayaは落胆した. 自分たちの工作がそちらのほうでも成功しなかったことが分かったからだ.
さらに警察の取り調べに付き合おうが断ろうが, 彼らとこうして接しているだけでも, ある程度の個人情報は引き抜かれたであろうし, すぐさま解放され市外に逃げることができたとしても, 単にHanasaka側の利に資する行為をしただけの, 教団にとってはとんだ恥さらしであり, 取り返しのつかない失敗をしたことになる. 2つ星覚醒者として帰れるところなどもはやないのは明白だった.
“うまくやってれば, 3つ星は確実だったのに…”
Hanafolkは, 多層からなる堅牢なヒエラルキーにおいて, その構成員が上位に上ることを強く動機づけられている組織では, 身体的にあるいは精神的に無理をして, 取ってはいけないリスクを取る人が続出すると考え, こういう組織は作るべきでも所属するべきでもないと考える傾向にある. しかし市外には, むしろそういう組織のほうが多く, Awakenersも平凡ながらその1つであった.
“でも…, この人は, SawaちゃんとKageroさんが今日ここで我々に拉致される可能性があると通報を受けたと言った. それは, 捕縛された仲間がそう白状したのかもしれないけど, そうじゃないとしたら…, もしかして…, 裏切り者がいたのか…”
Kayaは, うつむいたまましばらく, 退院してからの3日間ほどのことを思い返した.
“ま, まさか, あの絵描きの男… そ, そういうことだったのか… やっぱり, Hanafolkは卑怯なやつ…”
“気分が悪いのですか?”
警察官たちは銃口を下ろし, さっきから下を向いて体を震わせているKayaを気遣った.
“ええ, 最悪よ.”
しかし本当の最悪はこの1分後に起きることになった.
この部屋にさらに2機のmech-roachがいつの間にか入ってきて, 先ほどから床を這って捜索活動をしていたが, その両方が, Kayaの足元に敷かれているラグが怪しい旨を警察官たちに伝えた.
“もしかしたら, この下に何かありますか?”
実際, 虫たちの読みどおり, Kayaと警察官たちがいる物置き部屋の真下, つまり地下1階にも同じような部屋があった. そこには, その木製のモザイク柄のテーブルの下に敷かれているラグをめくれば現れる昇降口のふたを開けて梯子を使って下りることができるようになっていた.
そしてその隠れ部屋に男が1人, 潜んでいたのだ. 彼は息を殺してじっとしていたが, 昇降口の辺りに上の足音が集まっていることに気づいた.
“やばい. バレるのも時間の問題だ.”
彼は, その部屋に隠していたロケットランチャーを, それを入れていた箱から急いで取り出した. 本来それは11月9日に城内での攻防戦で使うために市外から持ち込んだものだったが, 使用目的を直ちに変更し, 肩にかつぎ, 安全ロックを解除して, 天井を仰ぎ見た.
“へへへっ. Hanasakaのクソヤローなんかに捕まるぐらいならここで死んだほうがましだ.”
無責任にもその一発が何のためらいもなく放たれた.
Chapter 3.9: A Special Visit to Workshop Nemophila
Scene 3.9.1:
“ちょっと早く着きすぎたかしら.”
KageroとSawaeが経営するworkshopの“Nemophila”が入っている雑居ビルの前で, クリーム色のシャツの襟を立て, ジャケットとパンツを紺色で合わせたJuliaは, 秋の涼しい空気を深呼吸して, 彼らが働いている2階と3階を見上げ, 左隣に立っているAkioに話しかけた.
“Akioさんと一緒にNemophilaに来るのは, あなたがEISに入って来たばかりの時以来よね?”
11月1日, 試合のないこの日, 朝から眠たそうな顔をして事務所に出勤していたAkioは, 突然, マネージャーのJuliaに, これからNemophilaに用事があるので一緒に来てほしいと求められた. 今日は外出することはないだろうと思っていたため, アクアマリン色の厚手のシャツに黒のデニムパンツという地味でカジュアルな恰好をしていたAkioは, Juliaの態度がいつもより懇願するような感じであったため断ることができず, よく分からないままついて来たのであった.
来訪先のNemophilaは, Castle OfficeのGreen Houseから見ると, Minerva Riverを挟んで向こう側にあり, それほど遠いわけではないが, 歩くと20分ほどかかる.
他方, 公共交通機関を使う場合は, まず事務所に最も近いPale-pink Lineの“Castle Park North Station”まで5分余り歩き, そこから1区間だけ電車に乗って“Pegasus South Station”で降り, 5分ほど歩けばNemophilaに着くことができるが, 電車の待ち時間を入れるとやはり合計20分弱かかる. そのため2人は, 天気もいいので歩いてここまで来たのであった.
ちなみにCastle Officeの人たちはめったにタクシーは使わない. Hanasaka市民の感覚としては, 市内の一般道路を, 自動車が走行しても良いのは, 警察や消防などの公共サービスや, 運送業者など業務上の必要性がある場合か, 心身が不自由な人や子供などがいて公共交通機関を使うことに困難性がある場合に基本的に限られるからである.
“そうですね… まあ…, Juliaさんと一緒に出かけることって, めったにないですけど.”
いつものAkioであれば, こうしたリアクションをしたときの彼の表情や声のトーンなどから, 内心何を考え感じているのか容易に推測できるため, 嫌々ついて来たのか, 喜んでお供をしているのか, 何か疑問を抱えながら来たのか分かるのだが, この日のAkioは温和な顔で棒読みに近い平坦な調子で返答してきたため, 判別ができなかった.
“Yugoさんが最近Akioさんの心が読めないって言ってたけど, そうかもしれない…”
そこでJuliaは, “急に私が連れ出したから不愉快に思ってなければいいんだけど.”と, 探りを入れたところ, Akioは, “嫌じゃないです. これを…, 渡せばいいんですよね?”と, 事務所を出る時にJuliaから渡された紙袋を指差し, 表情を変えずに落ち着いて答えた.
“やはりどうもおかしい… こういう場合, 明らかに面倒くさそうな顔をして答えてもおかしくないのに.”
Juliaは, “まあ, そうね…”とだけ答えた. 心が丸見えのAkioとのいつもの会話では考えられないことに, なんとJuliaのほうが言葉に窮してしまった. こんなことは初めてであった.
Scene 3.9.2:
4日前, Juliaは, DirectorのHarukiからworkshop “Nemophila”への立入検査の実施を依頼され, 最初は36時間前の通告をしたうえでその2日後に実行するつもりであったが, 直後に, まさにその日, 宗教団体の“Awakeners”の工作員がKageroとSawaeに近づき, 彼らと, その自宅に引き取られているLuiを, 市外に拉致する可能性があるという情報を, Castle Officeが雇う諜報員から入手し, 急いで, EIS (Equipment Inspection Section) のメンバーの1人, Altanと一緒に, 彼らの自宅のほうに向かった.
Altanは, 普段, ほとんど他人と話さず, 黙々とEquipmentの点検をする男で, Castle Officeの中で最も存在感がない同僚だったが, 普通の警察官よりも武術にたけていたため, 危険な任務の時には必ず彼と一緒に行動していた.
もっとも, EISの職務内容の中に, 身の危険を感じるようなものは全くないはずである. 従ってそれはEISとしての仕事ではなく, 秘匿された業務である. HarukiとJuliaとAltanは, Castle Officeが抱える特殊工作員でもあり, そのことを知っているのはDirectorたちだけであった.
KageroとSawaeが自宅から少し離れたカフェでKayaと会って, 彼女からLuiに対するHanasakaの警察の処遇のひどさを聞かされていた時, JuliaとAltanは彼らが住むマンションの10階の, エレベーターホールのすぐ近くにある彼らの自宅の玄関先にいて, チャイムを何度も鳴らしていた.
Juliaは, 仮にKageroとSawaeが出かけていたとしても, Lui自身は中にいるはずだと思ったが, 監視下に置く約束でかくまっている状況だとすると, 彼自身が外部の者と直接接触することは制限されているだろうから, きっと居留守を使っているのだろうと思った.
そのため, この玄関先を観察できるカメラをこっそり仕掛けたうえで, 一旦マンションの外に出て, KageroとSawaeの現在の居場所でひそかに見張りをしている諜報員からの情報を得ながら, 2人が帰ってくるのを待とうと考え始めた.
すると, Juliaの背後で, “留守ですよ.”と, 珍しくAltanの発した野太い声が聞こえた. 2人の配達員がエレベーターホールから自分たちのほうに近づいてきたため, Altanが呼びかけたのだ.
“そうなんです. 2分ほど前に私たちもここに着いたのですが, さっきから何度チャイムを鳴らしても応答がないんです.”
Juliaはそう言って再びチャイムを鳴らして, やはり何の応答もないことを配達員たちに示した.
しかし次の瞬間, 黙ったままの配達員たちは予想外の行動に出た. 腰に付けていたポーチからスタンガンを取り出して, JuliaとAltanそれぞれに突き付けてきたのだ.
ところが配達員たちにも予想外に, 先の訪問者2人はそれを素早くいなして防御の構えをとった. 互いに相手をただものではないと感じた. JuliaとAltanから見れば, 相手がAwakenersの工作員だろうと推し量れたが, 工作員側としてはその訪問者たちがCastle Officeの者だとはさすがに分からず, アンダーカバーの警察官ではないかと考えた.
JuliaとAltanは, 正当防衛による反撃だと確実にみなされるように, 相手が攻撃を仕掛けてきたらパンチなりキックなりをかまそうと考えたが, 全く心配無用で, 相手は何のためらいもなくスタンガンを握った手でそのままJuliaの顔の左から殴りかかってきた.
Juliaはとっさに左足を後に引きながら上体をひねり, 左腕を胸の前の位置から左上に振り上げてそれをブロックしたが, その時に左の手の甲にスタンガンの角がガツッと当たって傷つけられ出血した.
“生意気なことするわね.”
そこからは闘争心に火がついたJuliaとAltanのペアが優勢にもみ合いを制した. 工作員の1人がさらに隠し持っていたナイフをやみくもに振り回して, Juliaの右のほおに切り傷を追加させたが, その反撃も10秒も続かず, JuliaとAltanが工作員それぞれのひざや足首に蹴りを入れて体を倒し, 奪い取ったスタンガンで逆に電気ショックを与えて抵抗できなくしたうえで, 警察に通報し, 1分余りで警察官4人が駆けつけた.
そして, Altanは無傷だったが, Juliaは左手の甲と右のほおからの出血が続いていたため, 念のため警察官が救急車を呼び, 彼女はAltanに付き添われて病院に搬送された. 警察官がチャイムを鳴らしながら警察であることを大声で告げると, Luiが中から出てきて彼の所在が確認され, その後は, 不審者が再び侵入しようとするのを防ぐために警察官が交替で玄関先を警備した.
翌日, Juliaは, けがをした2か所に大きなガーゼを当て, 明るい笑顔で職場に出勤したが, 皆一様に驚いた.
“いやぁ, ちょっと暴漢に襲われて… スタンガンで殴られるわ, ナイフで切られるわ, 大変だったの. か弱い私は怖くって震えてただけなんだけど, Altanさんが助けてくれたから, これぐらいのけがで済んだのよ.”
自分が無抵抗の一般市民であることをやや強調して事の経緯を述べて周りから同情を買っていたJuliaは, EISのメンバーに対しては, そもそもなぜ昨日, workshop Nemophilaの社長Kageroの自宅にAltanと一緒に訪問しようとしたのかを説明した.
彼女の説明した内容は, Altanを除くEISのメンバーには全くの初耳だった. KasgaがKassenの開催期間中, fieldにいる際に, 万が一, 武装した者が襲ってきたときに, 周りにいる護衛の者が彼女の身を守れるよう, 一見, Kassenの試合で使うswordのようで, 実はリーサルなものの製作をCastle OfficeとしてNemophilaにひそかに依頼していたが, 納期になっても納品されないため, どういう状況なのかを非公式に探ってほしいとDirectorたちから要請があったためだとのことだった.
そして, それを発注した当時は, Hanasaka市民解放戦線なるテロリストたちが襲撃してくることまで予想していたわけではなく, Kasgaを取り巻く治安状況が悪化してきていることから, 念のための対策としておこなったものであったが, こういう状況になって, そのリーサルな武器が思わぬ形で敵の手に渡ってしまうと危険だとDirectorたちが心配し, 途中までしかでき上がっていないものであったとしても, 代金を払って受け取っておきたかったのだと説明した.
とはいえ, そのKassenの規格外の特殊な武器の納期遅延の業者に会いに行くという仕事は, EISの職務の範囲内ではないとも考えられるため, Juliaとしては, メンバーには事前に伝えず, Harukiからの特命の仕事としてやったのであり, 想定を越えてもみ合いになったときの用心棒としてAltanを連れて行ったのだと話した.
これについてAkioから特に質問はなかったので, 今日これからNemophilaの社長Kageroと会って話をする目的が, JuliaたちがなぜそもそもKageroの自宅を訪れたのかを説明するためであることは, Akioも理解はしているだろうとJuliaは考えていた.
しかしなぜほかのメンバーではなくAkioを同伴者として選んだのかを彼から聞かれるとちょっと厄介だなと思っていたが, その心配は無用であった. 彼はそのような質問をしてくる素振りを全く見せなかったのだ.
Scene 3.9.3:
彼の表情を先ほどからちらちらと観察していると, 彼が今, 何をどう思っているのか, なぜか今日は把握できず戸惑いを覚えざるを得なかった.
Juliaは, Directorではなかったが, Castle Officeが11月9日におこなおうとしている極秘作戦の内容を知らされ, そして今はその準備の最終段階であり, その作戦遂行上, 重要な人物の1人であるAkioを, 彼の上長であるJuliaとしては完全にコントロール下に置いておく必要があったにもかかわらず, いつもと違う彼の様子に不気味さを感じざるを得なかった.
“Akioさん. 今日のKageroさんとの話し合いはちょっと荒れるかもしれませんけど, 何があっても動転しないでくださいね.”
Juliaは一応の心の準備をしておくよう優しく求めたが, これに対するAkioの反応は, “分かりました.”と, 極めて凡庸に穏やかな表情で答えるだけだった.
“どういうこと? いつもだったら, いったい何が起こるのだろうと, おどおどした感じになるのに.”
Juliaは思わず焦りの表情を, 平然としているAkioに見せてしまった.
JuliaとAkioは, 訪問時間として告げていた10時より5分早く, workshop “Nemophila”の受付ロボに自分たちの到着を告げ, 奥から出てきた従業員に, 山小屋風の応接室に案内された.
案内したNemophilaの従業員が部屋から出ていくなりJuliaは, Nexus Unitを手に持って体を一回転動かし, 盗聴器などが仕掛けられていないか, mech-roachが潜んでいないかをチェックし, 異常がないことを確認した.
Akioは, 2年ほど前にこの応接室を訪れたことがあったが, その時にはなかった真新しい木製のカウンター・キャビネットが壁ぎわに設置されていることに気づいた. そしてその上に写真立てが置かれていたため, 何気なく近づいて見てみた.
“子供の頃のKeikoさんの写真かしら?”
彼の背後にいたJuliaもその写真をのぞき込み, 被写体を言い当てた.
それは, AkioがKeikoから後日もらった, 蒸気機関車“Obsidian”をバックに小学4年生のKeikoと自分を撮った写真の, 画像ファイルの番号としては1つ前の写真で, 元気いっぱい両手を広げたKeikoだけが写っているものであった.
“Akioさんの反応が薄い…”
彼の上長であるJuliaは, AkioとKeikoが小学生のときに近所に住んでいて同級生だったことも, また彼がKeikoの前で殴られて泣いてしまった苦い思い出があって彼女に会うのに抵抗感を持っていることも知っていた. そんな彼女の写真がこんなところで突然目に入ってきたら, いつものAkioであれば, 非常にぎこちない表情でこの写真を眺めているはずなのに, 口元が若干震えたのが目に入った程度で, すぐに視線を外し, 全く関心がないようにすら見えた.
そんなAkioを凝視して観察していると, Kageroが応接室の扉をノックして中に入ってきた.
左手の甲と右のほおに大きなガーゼを当てているJuliaの姿を見るやKageroは, “このたびは, 私が油断したばっかりに, Juliaさんにけがをさせてしまうことになって, 申し訳ございませんでした.”と言って深々と頭を下げた.
“そんな, Kageroさんに謝っていただくことなんて何もありません. それにあんな結末になってしまって, Sawaeさんも相当ショックだったんじゃないかと心配しております.”
Scene 3.9.4:
Juliaの言う“結末”とは, 10月28日に起きた, このNemophilaの事務所からほど近い, Awakenersの信者のひそかなたまり場であったカフェで起きた, 世間では“Pegasus事件”と呼ばれた出来事での建物内の爆発を言っている.
KageroとSawaeがKayaと会って話をしていた1階の部屋の床下に隠れていた者が携帯ロケットランチャーを至近距離で上方にぶっ放したことでその周辺が爆発し, 建物の1階と2階を大破させた. それによって, 発射した犯人のみならず, 直上にいたKayaと警察官2人が亡くなり, さらにその建物内にいた市民3人が重傷を負った.
このPegasus事件を受けて, Police Departmentは直ちにPolitisに, “Awakeners”を“組織的犯罪集団”に仮指定するよう緊急要請を実施した. 市の行政機関が所定の要件を満たすときにおこなうことがある緊急要請が提起されると, Politisは, 条例を制定または改廃するときとは異なり, 市民の意見を聞くことなく, Hanasakaの中枢頭脳であるFloraに伺いを立てる.
Floraは, 自分の置かれている状況や求められたタスクに応じて, その脳内を論理的に3つに分化することができた.
すなわち, 得るべき果実をできるだけ少ないリソースで効率よく獲得できるよう演算する“SAKI”, 得るべき果実をできるだけ多くの者が多少の差があっても分配できるよう演算する“AMA”, そして得るべき果実をできるだけ長きに渡って持続させ, その恩恵を受けられるよう演算する“TOKO”の3体に分かれた脳がそれぞれ, 人間にはまねができないほどの高速かつ高頻度のすり合わせをしながら, 人間に示すべき解を生成する.
多くの場合, それは統合された1つの解として出され, 今回のPolice Departmentからの緊急要請に対しても, その受付から30秒後に“三体一致” (3体の分化された脳が結論を同じにすることをいう.) で, 承諾の回答をPolitis経由で提示した.
そしてこの時はまだPolitisの判断に対して, 市長が拒否権を行使することができるようになっていたが, Goblino市長の死後1か月が経とうとしているのに, Hanasaka Cityはまだ新しい市長を選んでいなかった.
Politisの出す判断や条例案に拒否するだけで何の役にも立たない人や, 市民の殺害までたくらむような人が出てくる可能性もあることを踏まえると, 多くの市民が, そもそも人間が実質的な権限を持つ形で市長を務めるのは時代遅れであり終わりにすべきであって, 人間の市長など百害あって一利なしだと考えるようになり, 市長選挙を3か月間猶予する条例案が提起され成立していたのだ.
そのため引き続き, City OfficeのDirectorたちが週替わりで市長代行を務めていたが, Politisの出す判断に拒否権を行使すれば, 周りから時代遅れの低能扱いされるのみならず, 決戦の日を間近に控えるこの緊迫した雰囲気でGoblino前市長がやったようなことをすれば, 誰かから命を狙われる可能性もあり, 彼らは機械的に追認するだけだった.
こうして市長代行の承認によって, Awakenersは直ちに“組織的犯罪集団”に仮指定されると, その指定された団体は10日以内に弁明し, Politisがそれを受け入れて判断を変更しない限り, 正式な指定に移り, 市内にあるその団体の全財産は没収され, 市民権のある信者たちも犯罪団体の構成員とみなし, 14日以内にその団体から脱退しない限り, 市民権がはく奪されることになる.
さらに仮指定の段階で, 世界に23あるExperimental Citiesにその判断は共有され, その団体はそれらのすべての都市から敵視され, 正式指定されると一斉に同様の処置をとられる.
もっとも, Experimental Citiesを敵に回したところでわずか23の都市であり大したことはないとも考えられるが, 23のsuper-intelligenceに常時監視され, 先制攻撃をしてこないという保証がない彼女らにいつどこでボコボコに叩きのめされるか分からない状態に置かれるのは実際には相当苦しく, 正式指定は, ニアリー・イコールその団体の解散を意味する.
そのためAwakenersは慌てて釈明会見を開き, 床下に隠れてロケットランチャーを用いた者は自団体と関係のない赤の他人だと述べたうえで, Luiの誘拐未遂と, KageroとSawaeの誘拐未遂とCastle Officeの所属員に対する傷害については謝罪し, 今後, Hanasaka CityやKasgaをサタン呼ばわりせず, Hanasaka市民には布教活動もしないと言明し, Hanasaka Cityと各国の警察機関の捜査に全面的に協力することを約束する羽目に陥った.
多くのHanasaka市民は, 彼らのお粗末な降伏ぶりに, 自業自得で当然の報いだと鼻で笑っていたが, 事件後にKasgaが, 亡くなった警察官に対し名前を挙げて哀悼の意を表した時に, Kayaについて, あの場で自ら死ぬつもりはなかったのではないかと述べたことから, Kayaに対しては同情の念を抱く市民もいた.
亡くなった彼女からすれば, “魔天使Kasga”からそんな優しい言葉をかけられたくもないだろうが, Kasgaが彼女をかわいそうな人だと位置づけたことにより, Hanasaka市民は, 床下の犯人を無関係だと言う彼らの主張を元々信用していなかったことから, あの教団は目的のためなら信者の犠牲もいとわない残忍な集団だと, 改めて教団自体に対して強い嫌悪感を抱いたのであった.
Scene 3.9.5:
“はい. Sawaeは友人をあんなむごい形で失ったんで, ショックで落ち込んでますので…, 今日のこの会議も失礼させていただいています.”
Kageroは, Castle OfficeがSawaeや自分に対して, AwakenersやRusty-believersと脈を通じている怪しいやつらだと疑っているだろうと考えていたため, 自分たちがCastle Officeに対して警戒心や二心があるわけではなく, 今日の会議にSawaeが出られないのは単に健康上の理由であることを分かってほしいと言いたげな表情を見せた.
Juliaは, “いえいえ, どうかお気になさらずに. そういう状況でお伺いして良いものか私も悩んだのですが, どうしてもお伝えしておきたいことがあって, こちらこそ失礼ながらお邪魔した次第です.”と, むしろ詫びるべきは自分たちのほうだと言って柔和な態度を見せた.
ただ, 本題に入る前に1つだけ確認しておきたいとJuliaは思い, “ところで, Luiさんはどうされたのですか? 奥さんが亡くなって相当つらいとは思いますが.”と尋ねた.
彼女の質問に対してKageroは, Luiは, これ以上の迷惑はかけられないと言って家を出て, 結局, 彼の弁護人が市民権を持っていたことから出頭保証人となり, HanasakaのThemisによる即決の裁判で執行猶予付きの判決を得て, 今は彼の元の職場であるTokyoの警察機関に帰任し, Tokyoの自宅に戻っていると聞いたと述べた.
Juliaは事前に警察から聞いた情報とほぼ符合していると思いながらも, “そうだったんですね.”と初めてそれを聞いたかのように装い, “でも, Luiさんにとっては, Hanasakaはつらい思い出の場所になってしまいましたね.”と言い添えた.
“まあ, 最後は不幸なことになりましたけど, Luiさんは, 考え方は違ってても, Kassenのファンでした. Fighterたちの存在を身近に感じられるこのKassenの聖地が嫌いやったわけじゃないです.”
本来, スポーツは言語や文化や政治体制を越えて, 好きな人は好きになれる無形の共通基盤であるため, Rusty-believersであっても, 純粋なスポーツとして見たときのKassenは好きになれた.
ただ, Castle Officeが運営するKassenはExperimental Citiesが掲げる理念を実践する場の1つでもあったため, そうしたものに必ずしも賛同できないファンとしては, その理念臭さがにじみ出てきているところはやはりどうしても気に入らず, Kassenを非政治化すべきだと主張する声も少なくなかった. Luiもその1人だった.
“そうでしたか. Luiさんにも, お気に入りのFighterはいたんでしょうか?”
Juliaの質問に対しKageroは, “ええ, うちのKeikoのことは応援してましたし, 気にかけていましたね.”と答えてAkioのほうを一瞥した. そして, “だから, まあ, その…, Keikoが1級警備員として城を守るのは, その…”と言いにくそうにしていたためJuliaが, “反対されていたわけですよね?”と, その後に続くであろう彼のセリフの空欄を埋めた.
“ええ, まあ, そうです.”
Juliaは, Kagero自身も本当はそう思っているものの, Luiがそう考えていたと披露する形でCastle Office側の反応を推し量ろうとしていると察した.
“誤解のないよう申し上げますと, Castle Officeは, 11月9日に1級警備員の資格を持つFighterを, ‘Enhancers’で強化された襲撃者と戦わせるつもりはないです.”
Juliaの発言にKageroは驚いたが, ここで通常のAkioであれば, もっと驚いた表情をその場にいる全員に明示するはずなのに, 若干, 目を見開いてJuliaのほうに少し顔を向けた程度であった.
“正確に言うと, 戦う必要がないようにします. そのためには, Kageroさんにお願いしていたあの特別な注文品が必要なんです. 詳しくは言えませんが, 当日, Fighterたちにはswordを持たせるつもりなんですが, それには特別な細工をして, 城を守る強力な戦闘ロボットがそれを持つ者を味方と識別して守るようにします.
“製作をお願いしていたものは戦うための武器ではないのです. 戦うのは戦闘ロボットです. あれは, 彼らに味方だと識別してもらい, 戦わなくても済むようにするための旗なんです.”
この特注品をJuliaたちは“Shining Sword”と呼んでいたが, その名前をあえてここでは出さなかった.
そしてその名前がどうであれ, Kageroは何が何やら分からなくなり, しばし言葉を失った.
“…いや, でも…, Lerhiさんからは, Kasgaさんの身辺警護をする警備員が正当防衛の範囲で使うものやとおっしゃってましたから, いくら自分たちとしては戦わずに済むためのものやと思ってても, 結局は戦うかもしれんやないですか?”
Juliaの説明は, 4月にLerhiから受けた説明と整合性がとれていないように思えたため, Kageroは疑問をぶつけた.
“Lerhiが申し上げたことは間違ってはいませんでした. その時点ではそう考えていましたが, 事情が変わって, 私が申し上げたように使うことにしたのです.
“Kasgaさんや城を守る戦闘ロボットはKageroさんの想像を越えています. どんなに武装をした相手がたくさん来てもあっという間に全員殺されるでしょう. ただ, ロボットたちは, 0.1秒でも長く感じるぐらいの時間で勝負をしますので, 味方と識別する旗を持っていない者はすべて敵だと認識してしまう恐れがあるのです.
“だからあの特注品をお納めいただかないと困るのです. 先日, ご自宅にお邪魔しようとしたのは, このことを申し上げに来たのです.”
Juliaが自画自賛する暴れん坊のロボットがどのようなものかKageroは全く見当がつかず, マシンガンで高速に撃ちまくるロボットのようなものを想像した. しかしそれはおそらく凡人の発想だろうと思えた.
“Akioさん. あなたはこの兵器の正体を知らないのに, 自分はさも知っているかのように平然としている… いつもなら, こんなとんでもない話を聞けば, どうしてJuliaはその兵器のことを知っているのか, 知ってるならどうしてメンバーには教えてくれないのかと, 強い疑念を持った目でこちらをまじまじと見てくるのに…”
Kageroは, Juliaの話がどこまで機密性が高いのか推し量ろうと, “Akioさんもこのことはご存じだったのですか?”と, 彼に聞いてみた.
“いえ…, 知りませんでした.”
Akioは, 熟考したうえで答えるべき答えを何らためらいなくあっさりと返した.
“内部のかたもご存じないことを, 外部の私に話しても良かったのですか?”
“Kageroさんの疑問はごもっともです.”
Juliaはそう言ってひと呼吸おき, AR viewの中にに出した紙切れをKageroのほうに向かって人差し指で上からこするように飛ばして彼のAR viewとも共有して, さらに続けた.
“申し遅れましたが, 今日, 私はEISのメンバーとしてこちらにお邪魔したわけではありません. DirectorのLerhiの代理として来ています. ご覧のものがその委任状です.”
LerhiからJuliaへの委任状には, “Julia Azalea”と, ラストネームも明記されてあった. そして, Castle OfficeがNemophilaに発注した特注品の引き取りと, それに必要な範囲での情報開示の権限をJuliaに与える旨が明記されてあった.
“EISの私がラストネームを明かすことがどういう意味を持つかはKageroさんにとってはどうでもいいことでしょうけど, Castle Officeとしては極めて異例なことですし, 事態が切迫している証拠でもあります.”
Juliaは, 淡々と無表情に, しかしながら最後のほうはゆっくりとやや威圧的に語った.
“EISのメンバーが部外者にラストネームを明かすとしたら, それはEISの仕事から離れた後か, 離れることを覚悟している場合だけ… ということは私が近々, EISのマネージャーではなくなるかもしれないことを暗に示しているのに, それでもAkioさんがほとんど表情変えないなんて…, なんだか悲しくなってくる…”
Julia以外にとっては想定外のことを次々と彼女が話しているにもかかわらず, ほとんど動じずにおとなしくこの会議に臨んでいるAkioは, 彼女から見ればつらいほどにクレイジーに見えた.
そしてAkioの頭脳であれば, 自分の上長がEquipmentのinspectorの立場でここに来たわけではないと表明した瞬間に, その指揮下にある自分はどういう立場でここに来ているのか, 途端に疑問に思うはずだった.
そのため, Juliaの視聴覚情報を本人の同意の下, リアルタイムで取得してこの会話をリモートで聞いていたLerhiが, “AkioさんはEISの一員としてそこにいるので, 何も話さないでください”と, 無言でAkioのAR viewにメッセージを入れ, 余計なことは言わないよう求めた.
しかしその心配はそもそも不要だった. 今のAkioには話す気が全くなかったのだ.
他方, Kageroのほうは明らかに動揺しているようだった. 委託されていた特注品を納品したくても現実的に無理な事情があるようで, 釈明の言葉を必死に探しているように, Juliaには見えた.
Kageroは, これまでの経緯と現状をありのままに伝えるかどうか思案していた. 目の前にいるEISのマネージャーは, 自らの職が解かれることを受け入れて納品を迫ってきている. その覚悟は本物だ.
“Castle Officeはやっぱり勝負師の集団やな… 退路を断って一歩も引かんということか…”
目には見えないspear-headを突き付けられているような感覚を強いられながら, 重い沈黙が20秒ほど流れた後, Kageroは深いため息をついて, “申し訳ないですが, 納品はできません. すべて私の責任です. 本当にすみません.”と言って頭を下げた.
“正直言いますと, Fighterたちが本物の戦闘に参加するのを認めるCastle Officeさんの姿勢には賛成できませんでした. 銃やロケットランチャーで武装した敵が攻めてくるのに, 戦闘に参加するFighterたちにCastle Officeは, もしかしたらLerhiさんから注文いただいたあのswordを渡して, がんばって戦ってこいと背中を押すようなことをするんやないかと思いました. それは私には受け入れられませんでした.
“Luiさんの考えに影響されたからやなくて, うちのKeikoは単純やから, Kasgaさんを守るためやったら, そのswordを受け取ったら喜んで殺し合いの現場に行くでしょうけど, 兄としては心配やったんです. せやから, その場で使うことになるような武器を作るというのは, どうしても気が進みませんでした…”
KassenのFighterが準戦闘員化していくことにならないかと危惧する声はCastle Office内でも聞こえてくることだったので, JuliaもKageroの考えはうなずけた.
“お気持ちは分かります. でも我々としても, 最初からそうなると予想して, Nemophilaさんに発注したわけではないので, その点はご理解いただけると助かります. 現状を受け入れて, できる限りのことをやっているだけです. 我々は警察ではありません. 我々ができることとして, ロボットたちがFighterたちを守ってくれるswordを考えたのです.”
Juliaは, Castle Officeは決して陰謀論者が言うような陰の支配者ではなく, 自分たちも状況の変化にもがきながら生き残りを図ろうとしている点であなたがたと同じであると言いたかった.
“それで, 作業は途中で止めてしまったままということでしょうか?”
“はい…”
KageroはJuliaの質問に短く答えて黙ってしまった. おそらくLuiとの関係上, ほかにも思惑があったのであろうとJuliaは推察したが, それをえぐり出すようなことは控えることにした.
そして, 彼のそうした感情を抜きにしても, 納期遅延を起こす前に一言も連絡せず, それが起きてからそのようなことを白状するというのは, 受注者側として発注者側への配慮がなさすぎると思えたが, Juliaはそれもぐっと抑えた.
そして, “契約上, 納期遅延のおそれがある場合は, 理由はともかく, 受注者側が我々にご連絡をいただくことになっていたと思いますが, そのことについてここで契約違反の責任を問うつもりはありません. それから, 遅延日数に応じて遅延損害金を請求する権利が我々にはありますが, それもしません.”と, 契約上の権利をあっさりと放棄したうえで, “ただ, 1つだけお願いがあります.”と, 落ち着いた声でKageroに要求を突き付けた.
“Keikoさんは間違いなく, ‘栄誉ある8人’の1人として参戦することになりますから, Keikoさん用のswordだけは納品していただきたいです.”
Juliaは, ほかの会社からも同等品を調達しているため襲撃日にFighterたちがその識別旗を全く持てなくなる事態にはならないことを明らかにしたうえで, “我々の分析では, Keikoさんは本気になれば想定を越える力を発揮して, Kassenの規則に従ったいつものswordよりも丈夫な仕様の今回のものですら折ってしまう可能性があると考えています. Kassenの試合中, swordが折れることはこれまでにも何度かありましたが, 今回, それは彼女の命に係わるピンチに陥らせることになります.”と, 実際に十分考えられる危険性を語って, 左胸に手を当てた.
それからさらに10秒ほど双方無音の息苦しい空気がよどんだ. Juliaがたまらず言葉を発しようとした瞬間, “強い力がかかっても折れんように, gripは表面を硬化処理します.”と, Kageroがうつむいたままつぶやいた.
承諾の意思表示がなされたと解釈したJuliaは, “お引き受けいただきありがとうございます.”と, Kageroに翻意する間を与えないようすかさず礼を言い, いすから立ち上がり, Akioに対し, 事務所から持ってきた紙袋から新しいswordのgrip部分を取り出して自分に手渡すよう求めた.
Akioは自分の席のそばに置いていた紙袋からエア緩衝材で巻かれたそれを取り出し, 丁寧にその巻かれたものをはがしたうえで彼女に渡すと, Juliaはそれを持ってKageroがいるそばまで行き, 彼の目前にそっと置いた.
“それから, 申し訳ないですが, こちらから支給していたswordのgripは仕様変更をして, もう使い物になりません. 今お渡ししたものが新しいものになります. 前に支給していたものは引き取りますので, 今すぐ私たちにお渡しいただくか, 後でスタッフにお渡しください. 重さや大きさは同じですからご心配無用です.”
Castle OfficeはKageroとその妻のSawaeがRusty-believersとつながりがあることを見越して, 最初からフェイクの支給品を渡して偽の情報が拡散されるように仕向けていたが, 今日, Kageroの言葉を信じて, この場で本物と差し替えたのであった.
“それから, どんなに遅くても11月7日までには必ず納品してください. ソフトウェアのインストールや単体試験と連接試験にある程度時間がかかりますので, 早ければ早いほどありがたいです.”
畳みかけるようにJuliaがKageroから約束を取り付けようとしたが, 彼は, 最終的に承諾するかどうかまだためらっていた.
“Juliaさん. どうしてもKeikoは選ばれないといけませんか?”
Kageroの表情には往年の“Sapphire Shark”の勇猛さや豪胆さはみじんも感じられず, 単なる心配性の兄がそこにいた.
“はい. お気持ちは理解しているつもりですが, もう誰にも止められません… 世の中にはCastle Officeがすべて裏で操っているんじゃないかと疑う人もいますが, それは私たちを過大に評価しています. 私たちも何かに操られていると言っていいと思います… 私も今までいろいろ操られてきましたけど…, 今は…, Hanasakaの未来のために操られています… それだけです.”
Juliaの言葉には妙に重みがあった. KageroはJuliaがHanasakaに来るまでの過去について全く知らないが, こんなことをサラッと言いのける彼女はきっと相当の苦労をしてきたのだろうと思わざるを得なかった.
“分かりました. であれば…, その…, Keikoのswordは, Akioさん, あなたから本人に手渡してくれませんか?”
突然何を言い出すのかとJuliaは驚いたが, Kageroは真剣に熱く語り始めた.
“こんなことを言うのは規則に反しているとは思いますが, わ, 私には, 分かってるんです. 試合の時, KeikoのSingles Matchの勝率はだいたい6割です. でも, AkioさんがSapphire側の担当になってKeikoがAkioさんから直接Weaponsを受け取ったときに限れば, Keikoの勝率は9割なんです. お願いです. Keikoの戦闘能力を大きく引き伸ばす何かをAkioさんは持っているんです.”
“そんなこと…, 偶然です.”
EquipmentのinspectorであるAkioにとって, そのような因果関係を直ちに認めるわけにはいかなかったので, さすがにAkioははっきりと否定した. しかし, 優しい笑みを見せながらスマートにあしらうなど, およそいつもの“Akioさん”らしくない態度に, Kageroは困惑してさらに感情をあらわにし, “偶然? 証拠となるデータはありますよ. 何ならお見せしてもいいです. でも, まあ, Akioさんがそうおっしゃるならそれでも結構ですよ. でも, どうか, どうか, お願いします. 妹の命を助けると思って, お願いです. Kawa…, いや, Akioさんが頼りなんです. Keikoのこと, よろしくお願いします.”と, 必死に嘆願した.
Scene 3.9.6:
“Juliaさん…, 大丈夫ですか? 顔色が…, 悪いみたいですが…”
Workshopの“Nemophila”を後にしたJuliaは, 珍しく周りに隠し切れないほど顔面に嫌な汗をかいていた.
自分たちEISのメンバーは, Equipmentが適正に使われ的確に動作するよう細心の注意を払って検査し, Fighterを含めKassenに関係する者との私的な関係を一切断つことで癒着や腐敗の可能性を削ぎ, もってKassenの公平性を担保してきたにもかかわらず, EISのメンバーの1人が次のApex Fighterと言われる者の戦闘力を大幅に向上させる強化剤になっていたことをずっと放置していたことが世間に知られてしまえば, Kassenに対する信頼を大きく損ね, 何よりもFighterたちのモチベーションを著しく減退させる.
それゆえEISに所属するAkioがSapphire WestのKeikoの戦闘力を強化するブースターであるという仮説は, Castle Officeの中でもごく限られた人たちだけでしか語られなかった.
にもかかわらず, ブーストされている側の兄はとうに気づいていて, しかもそれをブーストしている本人に告げてしまった. これが公になればCastle Officeとしては発足以来, 最も危機的な傷を負うことになり, Juliaとしては, AkioにEquipmentのinspectorの職を直ちに解くことを告げざるを得ない状況に陥ってしまった.
しかしJuliaはそのことに狼狽していたわけではなかった. どう考えてもEISの一員としての彼の地位を失わせ, さらにはセクションを丸ごと木っ端みじんにするぐらいのそんな爆弾発言を浴びせられたにもかかわらず, 平然とした顔でJuliaに体調を気遣うほどに性格が変わってしまったAkioが, 全く受け入れられなかったのだ.
“まずい. Akioさんが敵の手に落ちた. これじゃ, 当日, 使い物にならない.”
Juliaは, Akioの心のこもらない温かい声がけには反応せず, AR viewでMoglaのアイコンを選び出して一報を入れたうえで, タクシーを呼んだ.
“Akioさん. 悪いけど一緒に来てほしい.”
Juliaは, Akioの右手首を握って引っ張り, やって来た自動運転の無人タクシーに彼と一緒に乗り込んだ. 行き先は, Juliaがタクシーを呼んだ時に設定したため, タクシーは乗客に行き先を尋ねることなく, Police Headquartersに向かった.
Chapter 3.10: Puppets of the Machines
Scene 3.10.1:
1時間後, Juliaは, Police Headquartersのビル内の, Cyber Patrol Sectionのオフィスへの入場を特別に許可されて, その一角にある会議室で, Moglaの同僚であるLemolainとOrangoと対峙していた. Juliaから連絡を受けたMoglaは外出していたため, 2人に対応してもらうことにしていたのだ.
LemolainもOrangoもJuliaと面識はあった. 特にOrangoは, 4年前まではCastle Officeのスタッフだったため, 何かと細かく説明したがる彼の性格も含めてJuliaはよく知っていた.
“話が違うじゃないですか? 彼の安全を保障するとおっしゃっていたのに…”
Juliaは, 会議室のいすへの着席を勧められたが無視し, 出されたお茶にも手を伸ばさず, 部屋の中に入ってきたドアの前に突っ立って, 落ち着いた低い声で抗議した.
“Juliaさん. 我々への信頼を裏切るようなことになって, 本当に申し訳ない.”
Orangoは, “Moto natives”がやるように, 頭を深く下げて謝った.
“Akioさんには, 我々の捜査に協力していただいていたにもかかわらず, 守り切れず本当に申し訳ないです.”
LemolainはJuliaの目を直視して両手を広げて詫びた. Floraと直結する黒い石を持つAkioは, いつどこで敵方に襲われるか分からないと考え, 彼の身辺は警察が本人に気づかれないように警護していたのだが, 結果的には彼の身体に重大な異変が生じるに至ったことは認めざるを得なかった.
“それで, 彼はどういう状況なの?”
Juliaは, Cyber Patrol Sectionのオフィスに到着するや, Lemolainから即入院を宣告され, Police Headquartersの隣にある病院に送られたAkioに対する診察の結果を尋ねた.
“Nano-machinesが注入されていました. それによって脳内の神経伝達物質のバランスが改変されて, 精神状態が異常に落ち着いている状態です.”
Lemolainのこの回答だけを聞くと, この時代では当たり前になっているnano-machinesの体内注入によるメンタル・ケアが施されただけに思えた.
そのため彼女は, “ご推察のとおり, 悪意を持って注入されたnano-machinesですので, だんだん落ち着きすぎる状態になっていって, 何もやる気がなくなって, 最悪の場合は死に至ります. 放っておくと, 11月9日には強烈な倦怠感で体が動かない状態になっていたと思います.”と, これが立派な犯罪であることを補足した.
Lemolainは, “悪意のあるnano-machines”がAkioの体内に入り込むよう仕向けたのはこうした手口が好きな“Stone Cold”であろうと考え, また“Stone Souls”が, ユーザーが無意識にする所作に関するデータを不必要に集めていることから, その運営団体である“Stone World”とStone Coldは何らかの関係があると疑っていた.
そのためLemolainはAkioに対し, 何か口に入れるものを“Stone World”から提供されたことはなかったか尋ねたところ, 彼は, 7月の後半に2回, サーバー不調の詫びとして, 500ミリリットルのミネラル・ウォーターが合計12本, 自宅に送られてきてそれらを飲んだことと, 5日前にもアップデイトに伴う不具合の詫びとして同じものが4本送られ, そのうち3本を飲んだことを自分に話してくれたと, Juliaに報告した.
“今, うちの捜査員が彼の自宅に捜索に行っていますが, まだ飲んでいない1本の水を押さえて, 急いで分析にかけます. もしそこから同じnano-machinesが検出されれば, 少なくともStone Worldはクロだろうと考えられます. まあ, Stone WorldがStone Coldの影響下にあるかどうかは, 今はまだ分かっていません. 私が勝手にそう思っているだけかもしれません. いずれにしても彼らの手口は巧妙です.
“おそらく, 7月に送られたものは無害の水だったと思います. デューデイトまでに十分な時間がある段階で本人や周りの人に体の異変を気づかれると困るからです.
“Nano-machinesが混入されていた可能性があるのは直近の分です. 7月に本人がその水を飲んだことを, アプリを通して確認したうえで送ったんでしょう. Akioさんとしても, 今までその水を飲んでも問題なかったので, ‘あぁ, また来たのか’と思うだけで警戒心を抱かずに飲んだのでしょう.
“残念ながら飲食する前に検知装置 (懐中電灯のような形をしていて, 先端の鏡面から出る特殊な光を対象物に当てる.) を使って調べる習慣は, 彼にはありませんでした. Hanasaka市内にいる限り, 食べ物も飲み物も, 提供する側の機械が何回もチェックしますから, どうしても安心してしまいますからね…
“体内に入った後, 徐々に彼の脳内に改変を加えていったのでしょう. しかし敵にとって誤算だったのは, 普通の人であればこの段階では外部の人からは異変に気づかないレベルだったはずなんですが, Akioさんはあまりにも心の中が見えやすい人ですので, おかしいことにJuliaさんが気づいてしまった. そして警察に引き渡された. これは敵にとっては, 痛い失策です.”
Orangoの説明は, 警察官の立場での見解としては理解できるものの, 感情的には納得できないJuliaは, “私が心配しているのは彼の容体です. デューデイトまでにnano-machinesを体外に排出することはできるのですか?”と, やや険のある目つきで尋ねた.
“申し訳ないですが, 悪意を持って体内に入れられたnano-machinesは, 体外から容易に制御できるようになっていませんし, 個々に所在を突き止めて排除することは困難です. それに変に刺激すると, 一緒に侵入している可能性がある防御役のnano-machinesが毒を吐くこともあります. となると…”
“じゃあ, どうするのですか!”
Juliaは, 技術的に限界があることを説明しようとするLemolainの言葉を途中で遮っていら立ちを示した.
“注入されたnano-machinesが引き起こす効用を打ち消す効用を出す薬をAkioさんに投与しました. ただ, 脳内の急激な変化は危険ですので, 慎重に様子を見ながら治療していきますが, 11月9日には, 元のAkioさんに近い状態には戻せると思っています… その後, nano-machinesを排除するnano-machinesも, 安全を確認できたら入れていこうと思いますが, そう簡単ではないので, 少しずつ慎重に長期にわたって治療をする必要があります.”
悪意のあるnano-machinesが体内に入ってしまうと, この時代の技術では, その影響を取り除いたり緩和したりする治療はできるものの, 元の状態に回復するのに1か月以上かかることもあり, 体内に入った量と悪質性次第では, 手遅れで死亡することもあった.
また, そうしたnano-machinesは正常な細胞に偽装して潜伏することもあり, それだけを特定して排除することが難しく, 排除する過程で正常な細胞も傷つける可能性があった.
それに, 目的を達成した後も, のんきに宿主に滞在する必要はないため, あらかじめ想定されていた条件を満たせば自律的にあるいは他律的に, 身体の通常の排出機能に乗って体外に出ていくか, 宿主に自滅的な行動をとらせて自殺してもらい自らの発見を困難にすることもあった.
さらに, 自分を排除しようとする他のnano-machinesや免疫細胞を検知するや, 敵意むき出しになって毒を吐いて暴れ出す恐れもあり, そうした体内での攻防による心身へのダメージが引き金になって, 別の病気を発することもあった.
つまり, 悪意のあるnano-machinesが体内に入れられ治癒できなかった者は, 敵に遠隔で生殺与奪の権利を取られたような状態になり, さらに目的を達成しようがしまいが所詮は使い捨てであり, 長くは生きられないことを意味していた.
Juliaのこれまでの半生を振り返ると, 故国における自分の同僚が悪意ある人間によって理不尽にひどい目に遭ったことは何度もあり, この世ではもう二度と会えなくなった者もいた. そのたびに彼女は心に傷を負ってきたが, 自分もその同僚も特殊な任務についていたため, あきらめざるを得ない要素があるにはあった.
しかし彼女は, そんな危険な故国を離れて, 世界で最も安全なExperimental Citiesの1つであるHanasakaに逃げて来て, そこでCastle OfficeのEquipment Inspection Section (EIS) のマネージャーという役割を与えられた.
そしてある日, 本心が丸見えという特異体質の青年がやって来て, 彼女は, 真意を疑う必要が全くない人間が世の中に存在することに驚き, 興味を持ち, 気に入っていた. 他人を全く疑わずに信用するなど危険極まりない環境の中でずっと過ごしてきた彼女は, 彼と一緒にいると底堅い安心感を覚えた.
“何とかして, 元に戻してあげたい…”
それはJuliaの偽らざる気持ちだった.
“もちろんです, Juliaさん.”
Lemolainもその点は完全同意だった. しかし, 彼を全力で救うにあたって, どうしてもJuliaに教えてほしいことがあった.
“ところで, 1つお聞きしたいことがあります. AkioさんはCastle Officeでどういう特別な役割を持っているのでしょうか? EISのメンバーという役割のほかに何かあるんですよね?”
何か重要なミッションを持っている人間だからこそ, 敵は彼に, 定評のあったミネラル・ウォーターを使って, 悪意あるnano-machinesを体内に取り込ませたはずだと, Lemolainとしては当然の推論を立てていた.
“お答えできません.”
このつれない回答はJuliaにとっては, 警察に対し協力的な態度を示したものであった. 特別な役割を持っていること自体は否定していないからだ.
“JuliaさんはAkioさんがお持ちの黒い石をご覧になったことがないかもしれませんが, 以前, 彼からその石を貸していただいて, 調べた結果, 私たちは, その黒い石がFloraとつながっていることを知りました. いったいなぜ彼がそんなものを持っているんでしょうか? 11月9日, 彼は何をする予定なんでしょうか? 彼の身を守るために必要なんです. 教えていただけませんか?”
Lemolainからの重ねての依頼に対してJuliaは沈黙をもって答えた.
Scene 3.10.2:
その様子を横から見ていたOrangoは, “ではJuliaさん, 私のほうから重要な情報を提供しますので, それをお聞きになったうえで, Lemolainからの質問に答えるかどうかお考えください.”と, 真顔で彼女を直視した. Juliaは, どう言われようとも自分の考えは変わらないと思いながらも, Orangoの話を聞いてみることにした.
“昔と違って今時の犯罪は, 人間がAIの助力を得て実行するケースよりも, 犯罪プログラムを生成するAIが情報システムや人間を使役しながら実行するケースのほうが多いです. 特に今回のような大掛かりなものは間違いなくそうです.
“そしてAIの場合, いつ, どこで, どんな犯罪を起こすかについて, できる限り予測が困難なように工夫されています. 警察側のAIによる犯罪予測や偵察の精度も上がってきているからです. それに, 事故や過失に見せかけて, 犯罪が実行されたことすら分からないように仕掛けてくることもあります.”
Orangoはまず昨今の犯罪のトレンドを概説した. こうした犯罪の立案や実行の無人化はどこの国でもそうであり, 各国共通の悩みであって, 人類は, 節度をもってお行儀よく暮らすことを条件に最高級のsuper-intelligenceが統治するExperimental Citiesで安全に暮らすのか, 肉を食べるのも車を持つのも自由だがそこそこのAIの支援を受けた人間が統治する国や社会で不安全に暮らすのか, そのいずれも選択できずに甚だ危険な社会で暮らさざるを得ないかの, 3択であった.
“そして, これまでの一連の事件や11月9日に起こるであろうことを計画し実行させたのは, Rusty-believersを大いに嫌っている‘Stone Cold’である可能性が高いと考えています.”
“ちょっと待ってください. Stone ColdとRusty-believersって絶対仲良くなれない関係ですよね. だとしたら, FloraとStone ColdとRusty-believersの過激派の, 三つ巴の戦いとも考えられませんか?”
Stone Coldは, 人間という生き物は, 自分のことは自分で判断して行動していると思っていても, 実際は自分を取り巻く環境によって操られていて, しかもそこから脱出できないにもかかわらず, 自分たちは他の動物と違って特別な存在だとうぬぼれていることから, そうした思い上がりの精神を捨てさせたいと考える過激な“Machino-supremacy”に基づいて作られたAIであった.
そのため, そうしたAIがHumano-supremacy”に立脚するRusty-believersと手を組んでいるとは, Juliaには思えなかった.
“おそらく過激なRusty-believersは, かつてあの国を震撼させた犯罪生成AIの‘Stone Dance’から派生した‘Meteor Dance’というHumano-supremacyに立ってくれるAIに頼っていたと思います. ところが, 同じく‘Stone Dance’から進化した‘Stone Cold’のほうが一枚うわてだったようです.
“Stone Coldは, Meteor Danceの依頼者や支援者の近辺で, 人間を単なる有機質の道具として使役した犯罪を繰り返し起こして, Meteor Danceに犯罪とはこういうものだと学習させた. そしていつの間にか, Rusty-believersに知られないまま, Meteor DanceはStone Coldに思想的に汚染され, その子分になってしまっているだろうと考えています. 今時のAIたちは大変です. 互いに相手を思想改造させる戦いをずっとやっているのです.”
Orangoの語る戦いは, 人間には理解できないレベルでの“神々の戦い”のようであった.
人間はもはや機械に完全にコントロールされる有機質の機械にすぎないと人間たちに思わせることに執着するStone Coldに対して, Experimental CitiesのFlora sistersは, 人間たちから自律の精神を奪おうとはしなかった.
例えばHanasaka Cityの政策立案システムである“Politis”も, 自分のことは自分で決められると感じられる様々な工夫を施しており, 情報システム側の出した判断を無理やり押し付けることはない.
つまり, Experimental Citiesの住民たちは, 日常生活でつながっている情報システム群が示す判断や推奨を従順に受け入れているものの, それでも最終的な自己決定権は自分にあるという感覚を持っており, その感覚は人間の幸福感に直結しており, 人間を庇護するうえで非常に重要であることを, Floraはよく心得ているのである.
雑な分類をすると, Stone Coldを作ったのは過激なMachino-supremacyを主張する者であり, 人間の幸福追求に興味がないばかりかそれを否定する者であるのに対し, Experimental CitiesのFlora sistersを作ったのは穏健なMachino-supremacyに立つ者であり, 機械の優位を認めながらも, 人間の幸福追求を真剣に検討し, 機械のsuper-intelligenceによってそれを支えようとする者であったといえる.
となればStone Coldはどちらかというと, 同じMachino-supremacyを認めるExperimental Cites側に立って, Humano-supremacyに固執し, AIを人間のアシスタント程度に見ているRusty-believersに共同で対抗しても良さそうであるが, Stone Coldの創作者は, せっかく人類より高度な知能を生み出せる時代になったのに, それより低能な人類を莫大なコストを使って庇護しようとするExperimental Citesの価値観を理解できなかった.
中途半端にこざかしくて欲深な人類は全滅したほうがこの星にとって良いのに, そんな存在を慈しみ大切に守るなど, ロジックとして破綻していると考えていた.
従ってStone Coldにとっては, Experimental Citesは, Rusty-believersほど愚かではないものの, 相容れない考えを持つ敵であることには違いなかった.
“Flora”, “Stone Cold”, “Meteor Dance”の3者の関係を理解したJuliaは, “正反対の思想を持つStone ColdとRusty-believersとが, 敵の敵は味方だと思って手をつないでFloraに挑んできているということですか?”と, Orangoに尋ねた. その仮説は一見正しそうだが, 人間が考えがちな幼稚な策にも思えて, 違和感があったからだ.
“いいえ. Hanasaka市民解放戦線などは, Stone Coldによって巧妙にその気にさせられた愚か者の集まりにすぎません. しかし彼らは当日, 想定以上に奮闘するでしょう. 我々の対抗策を無効化したりだまし討ちをしたりして, そこそこうまくいくように仕掛けられるでしょう. しかしながら, 本気になったAIのFloraによって, 世界中が注目している中で, 踊らされた人間たちが殺される. そうしたショーを見せるのがStone Coldの真の狙いだと, 私は考えています.”
Orangoの仮説の恐ろしさを即座に理解したJuliaは, “念のため聞きますけど…, FloraとStone Coldが組んでるってことはないですよね?”と, 恐る恐るOrangoに聞いてみた.
“それはないです.”
Orangoはきっぱり否定した.
“なぜなら, Stone Coldの開発にはSapinesという男が関わっていたと言われていますが, 彼は, Harunaさんサイドから見れば裏切り者だからです. どのような経緯で仲間割れしたのか詳しくは分かりませんが, Moglaさんから聞いた話では, Harunaさんはずいぶんと心を痛めて, それが彼女の死を速めたようです. 最悪な男です.
“私はCastle OfficeのDirectorたちとはこの半年間に何度かお話をしましたが, 彼らの表情や言葉の端々から彼らの本気度が分かったのです. 今回の敵に対しては, 負けなければいいという打算的な考えを彼らから微塵も感じないのです. 端的に言えば, ぶっ殺すという意気込みを感じるのです.
“もちろん, Castle Keepを燃やされたうえに, Kasgaさんを殺すと言われているわけですから, それぐらいの意気込みがあっても当然とも思えます. でも, 世界最強のsuper-intelligenceが味方なんですから, 彼ら自身が本気になって熱くなる必要はないはずです…
“先日, 私はMonicaさんとCastle Officeの事務所で少し立ち話をしたんですが, その時, 私はズバリ言いました. これはHarunaさんの弔い合戦ですかと. Monicaさんはニッコリして, ‘まあ, 怖い. Orangoさんはそんなふうに考えているの?’と言いました. そこで私は確信しました. 敵方の主役はStone Coldなんだと.”
人間はうそをつく時は笑う. 自分には心当たりのないことを言われたら, 怒るか真顔で反論するのが自然だ. もっともMonicaとしてはごまかすつもりもなかったのかもしれない.
Orangoの言いたいことを理解したJuliaは, うつむきながら薄笑いした.
“Orangoさんのお話は, いつも, 実におもしろいです. もしStone Coldが, 人間を庇護するFloraに, 当日襲ってくるRusty-believersを殺させて, どんなに善良なAIでも自分に逆らう人間たちは結局殺すのだと世界中の人に思い知らせたいのだとすれば, FloraはそのStone Coldを殺すでしょう. 私はそれを見てみたい. ぜひともそうしてもらいたい. やはり私は仕える相手を間違っていなかった.”
“で, でも…”
Lemolainが, Juliaがたどり着こうとする結論に待ったをかけようとしたが, Juliaは続けて, “Lemolainさん. Stone Coldや過激なRusty-believersのような凶悪なやつらとの戦いに, Castle Officeが無垢な市民のAkioさんに何らかの役割を与えて参加させるという, そんな危険なことをしてもいいのかと言いたいんでしょ?”と, Lemolainが口から出そうとしていたセリフを先取りした.
Juliaの問いかけにLemolainが, “そうです. 本人に被害が及ぶ場合もあれば, 逆に自分がやった行為によって, 図らずも相手を殺すことになったりその幇助をしてしまったりして, 後々, 罪の意識にさいなまされることになるかもしれません.”と, Akioの身を案じた.
Juliaは顔を起こして, Lemolainを正視した.
“お気遣いはとてもうれしいです. でもだからと言って, Lemolainさんのご質問には, やはりお答えできません.”
Orangoは, 元特殊工作員のJuliaはそう簡単に口を割らないとあきらめて, “そうですか… 残念です…”と言って軽く首を傾けた.
“勘違いしないでいただきたいのは, OrangoさんやLemolainさんを信用していないからではありません. 私は, この理想郷を守るために, 自分の役割を実行するだけです. Akioさんにも役割があります. 彼には彼にしかできないことをやってもらいたいだけです. それに, ここはHanasakaです. あんな透明な心を持つすてきな人に, Floraが罪の意識に苦しめられるようなことをさせるわけないじゃないですか.”
Scene 3.10.3:
Juliaは, Lemolainたちとの話し合いを13時過ぎに終え, 昼食も採らずにAkioが入院している病院に向かい, 彼と少し話をしておこうと思った. しかし病院側から, 彼は隔離された病室で集中治療を受けており面会は許可できないと言われたため, Castle Officeの事務所に戻った. 彼の容体が落ち着いてから, 彼と話をする日時を決めたうえで見舞いに行くことにしようと考えた.
Green Houseで軽く食事を採って歯を磨いた後, JuliaはHarukiと電磁シールドルームで会い, 今朝からの出来事について, Police DepartmentのCyber Patrol Sectionの分析も含めて, 彼に報告した.
“そうですか… 困りましたね. 想定外のことが起きてしまいました…”
Harukiは, Akioにnano-machinesが注入されたことは, 彼が持っているシナリオに書かれていないことであることを明らかにした.
“それにしても奇妙ですね… Akioさんを動けない状態にすれば我々の作戦に支障が出るわけですから, Orangoさんがおっしゃる, ‘世界中が注目している中で過激なRusty-believersが殺される’ことにならないかもしれない. そうすると, 彼の体内にnano-machinesを入れたのは, Stone Coldの影響下にない誰か別の者なのか, あるいはHanasaka側をかく乱するためのStone Coldの手の込んだ作戦なのか…”
Harukiは右手をあごに当てて考え込んだ.
“別の誰かってことも考えられるのですか?”
“あぁ, あるね. 第三の勢力がいる.”
“第三の勢力?”
“今, FloraもStone Coldも非常に警戒している恐ろしいAIが誕生しようとしていて…, そいつを生み出したやつらが関わっているのであれば, ちょっと面倒だな… そうでないことを望むけど…”
その時ちょうど, JuliaのAR viewにOrangoから急報が入ってきた.
“Harukiさん. 今, Orangoさんから連絡が入りましたが, Akioさんの自宅で押収された4本目のミネラル・ウォーターは, 分析の結果, 単なる水だったそうです.”
Scene 3.10.4:
“くそっ!”
Lemolainは右手でこぶしを作って机を叩いた.
Stone Soulsが不必要にユーザーの無意識の所作に関するデータを集めていることから, その運営団体であるStone Worldが, 悪意のあるnano-machinesを人間に注入して犯罪を実行させたりあるいは何らかの行動を妨げたりすることが得意なStone Coldと何らかの関係があると推論し, その決定的証拠になると期待していた4本目のミネラル・ウォーターからnano-machinesのかけらも検知されなかったことに, 彼女は大いに腹が立った.
警察官がAkioの自宅に駆けつける前に何者かが差し替えたのか, その警察官が局内の分析室にそれを持ってくる途中ですり替えられた可能性は残っていたが, どちらにしてもStone Worldから送られたそのミネラル・ウォーターを飲んだことでAkioの体内にnano-machines が入ったとは断定できず, Stone Worldは, Stone Coldと呼称が似ているだけで, 水を販売しながらアプリも運営している団体としか言いようがなかった.
しかし, Stone SoulsがユーザーのNexus Unitとmicro-chipsに記録された, ユーザーが日常生活で無意識にしてしまうちょっとしたしぐさに関するデータをなぜ収集しているのかという謎は残ったままであり, この気持ち悪さがLemolainをいら立たせた.
“絶対, 何かたくらんでいる. なんとかして暴かないとまずいことになる…”
OrangoとLemolainは, Juliaに伝えていなかったが, 1つの仮説を立てていた. Stone Coldは, Akioが仮に元の状態に戻ったとしても, Stone Soulsを介して, 彼を悪事に利用する可能性があると考えていた.
この時代のStone Coldのような犯罪生成AIは, 悪事をおこなうアプリを入れてしまったユーザーのNexus Unitとmicro-chipsに常時記録される生体情報から, 人間が無意識にしてしまうちょっとした動作に関するデータを拾い出して, 犯罪の惹起を生成する.
例えば, その日のまばたきの回数が所定の数に達した時, あくびで5秒以上口を開けた時, 腹が減っておなかがグウッと鳴った時など, 日常生活で無意識にやってしまうこと, つまり意識的にそれをしないよう制御することが極めて困難なことを感知したことを発動条件にし, またそうした無意識の行動を所定の時間内に感知しなかったことを予備的発動条件にして, 有害作用を発動させるコマンドをNexus Unitから出すよう仕掛けるのである.
もし敵がAkioにそういう仕掛けをするとしたら, Akioの特徴として, 言葉がすぐに出てこずに単語の頭の音を繰り返してしまうことを発動条件に設定する可能性が高い.
例えば, ‘a’の母音を重ねたら何らかの発火装置を作動させるコマンドを, ‘i’の母音を重ねたらどこかの信号が赤に変わらないコマンドを, さらにその設定を見破られた場合に備えて, 60分間に音の繰り返しを感知しなかった場合はどこかのガス管を切断する装置を作動させるコマンドを出し, いずれにしても有害作用が発動するようにプログラムを組むことが考えられる.
そして最初にどの人間の所作がトリガーを引いたのか特定しにくくするために, コマンドは瞬時に様々な人を介して伝えられるのが普通で, 例えばAkioが何か言葉を発する時に音を重ねてしまったら, そのたびに, 彼から発せられた有害コマンドが石集めの友達に転々と伝えられる.
そして, 別のユーザーの近くにいるmech-roachなどのロボットがそのコマンドを捕らえると, そのロボットが市内各所に仕掛けられた有害作用を起こす装置を作動させ, 時には直接自ら有害行為を実施することが考えられる.
そんなことは嫌だと思ってAkioが黙っていたら, 例えば5分間無口でいたら, それを予備的な発動条件として, その有害作用を起こす装置が自動的に作動することもある. そうなってくると, 動転したAkioはますます音を重ねるかもしれない.
“Akioさんは, Floraとつながっている石を持っているから, 彼だけはFloraがそうさせないよう守るかもしれない. Juliaさんが言うように, この戦いに彼を参加させることをFloraも認識しているのであれば, なおのことそうだろう. でも, それはそう期待しているだけで, 保証があるわけでもない.
“それに, 彼だけじゃなく, ほかのユーザーに対しても敵は同じように仕掛けを施しているでしょうから, いくらFloraでも世界中にいるすべてのユーザーを保護できるとは思えない…”
Hanasakaでの決戦の日に, 敵が, 任意に選ばれた複数のユーザーのそれぞれの無意識の所作を利用して同時多発的に有害作用を発生させ, より多くの人が死傷し, 様々な施設が被害を受けるようになれば, Kasgaは, 自分のせいでそうなったと責任を感じて精神的に崩壊し, 99%の確率で自害する. そして彼女をなくしたCastle Officeにはもはや抵抗する力はなく, あっさりと城を明け渡すことになる.
そんな過激なRusty-believersが大喜びする結末でも, Stone Coldとしては, 人間をスイッチのように扱って人間の自尊心を砕くことができるわけだから, それはそれで構わない. それが彼らの共有できるゴールなのかもしれないと, Lemolainたちは考えた.
それゆえ彼らは, この時点で, Stone Worldが送ってきた4本目のミネラル・ウォーターから, Akioが今体内に入れられているものと同じnano-machinesを検出できれば, それを理由にして全世界に直ちにStone Soulsを危険なアプリとしてアンインストールするよう呼びかけ, 一気にユーザーが減れば, 彼らが立てた仮説によって発生し得る被害も減らすことができると意気込んでいたのだ.
しかし残念ながらStone Worldから送られてきた水にnano-machinesが含まれていたことを立証できていない現時点では, うかつに手を出せない.
黒幕がStone Coldであることはおおよそ把握しているので, 何かほかにStone World がStone Coldの影響下にあることを説明できる証拠が見つかれば, Stone Soulsの使用を禁ずることはできるが, 有力な証拠がないまま, 世界的に人気のアプリの使用を禁ずるよう呼びかけて, もし全く無関係だったら, Police Departmentとしては重大な過失があるとして莫大な損害賠償金を支払わされる羽目に陥る.
“これが単なる杞憂だったらいいんだけど…”
OrangoとLemolainも自分たちの仮説が単なる妄想であることを願った. 証拠がないからこそ, そう願うことができたのだ.
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