Part 3: The Ninth Autumn
Chapter 3.6: The Loving Guardian of Hanasaka Descends!
Scene 3.6.1:
Hanasaka ArenaでSapphire WestとTopaz Southの試合がおこなわれていた日, KasgaはひそかにHanasaka Cityを抜け出し, 試合が終わったその時は, Tokyoの郊外にある彼女の生家があったところのすぐ近くに広がる雑木林の丘陵地の中にいた.
Kasgaは高校生の時まで家族で住んでいたその家で暮らしていたが, 歌手になるにあたり, Tokyoの都心の近くに住む方が便利だと考えて, Shibuyaの近くに住むおじ夫婦の家に引っ越し, 今までお世話になった家はもはや家族が誰も残っていないため, 他の人に売却し, その後, 家屋は老朽により取り壊され, 今は別の建物が建っているため, Kasgaが自宅のあった場所に来ても, 過ぎ去った日を懐かしめる要素はなかった.
しかし, そこから数分歩いたところにあるこの林の丘は, 子供の頃によく姉のHarunaと一緒に鬼ごっこやかくれんぼをして遊んでいたところであり, 彼女にとっては姉とのつながりを最も感じることができ, 笑ったり泣いたりした様々なシーンを鮮明に思い出せるスポットが随所にあった.
そしてその思いは, 不幸にして短命でこの世を去ったHarunaもそうだったのだろう. このなだらかに続く丘の上に立つ樹齢400年を越えていそうな大きな桐の木の下に, 彼女の遺言に従い, 遺灰の一部が埋められ, Kasgaは2か月に1度, この大樹の墓にお参りに来ていた.
毎月ではなく隔月であるのは, もう1つの墓が別にあり交互に訪れているからである. Harunaが永久の眠りについているもう1つの場所, それはHanasaka Castleの南にあるHanasaka Memorial Parkであった.
AI System Architectとして, Experimental Citiesの中枢頭脳であるFlora, 都市運営の根幹のアーキテクチャである“SCA” (Smart Community Architecture), そしてそれに基づいて設計された, 都市運営に必要な情報システム群の共通基盤である“PSP” (Public Service Platform) の開発と改良に多大な貢献をし, Kassen communityの初代Unifierをも務めたHarunaは, 33歳という若さで亡くなった悲劇性もあって, Hanasakaのみならず世界中のExperimental Citiesでは, ほとんど崇拝に近いぐらいの敬愛の対象であった.
そしてそれに勝るほど, HarunaはHanasakaを我が子のように愛し, 破壊をたくらむ者の攻撃から守ろうとした. そのため, 最後に息を引き取ったのはTokyoの病院であったが, “Hanasakaの行く末を見守るために, 遺骨の一部をHanasakaの皆さんが気軽に来れる場所に埋めてほしい”と遺書で表明し, 彼女の望みどおり, またHanasaka市民の願いどおり, Hanasaka Cityのほぼ真ん中にあるそのMemorial Parkの, さらにその中心に設置された白い石碑の下に, 彼女の生前の骨格を構成していた一部が安置されていた.
Hanasakaでは個人が, 自分または自分の家族のために墓地を持つことを禁じられていた. それは, 死をタブー視しているわけではなく, それぞれの宗教や文化の差を越えて同じ市民として共同で祭られるべきだと考えられていたからだ. 従ってその石碑はHarunaのために建てられたものではなく, この公園内にあるいくつかある祈りの対象物の1つにすぎない.
ただ, 彼女が特別なのは, その半径1メートルほどの大きさの半球体のオブジェの前に, “あふれるほどの愛情をHanasakaに注いだHaruna Laligurasは, 我らを見守る精霊となって, いつも皆とともにいる”と刻まれた石のプレートが設置されていたことだった.
Kasgaが決起集会での演説の中で述べた“私はいつも皆とともにいる”というセリフはこれになぞらえており, その後Kasgaが髪という体を構成する一部を切ってその契りの証としたのは, 自分もHanasakaを見守る者になるという決意を暗示したのではないかと解釈する人もいた.
Hanasakaにある墓碑と同様, Tokyoの郊外にあるこの丘の上の桐の木の下には, 樹木葬を希望した地元の人たちも一緒に眠っており, 彼女は自分やその家族専用の墓を持っているわけではなかった. そして, その人たちの名前が刻まれた石碑の中に, TAKETORI Harunaという彼女の最初の名前が漢字で表記されているのを見つけることができた.
それは, Hanafolkとなって“Hanasakaの守り神”として人々から崇められるに至った自分が, ユーラシア大陸の東の沖にある島国の人としてその地で平穏に暮らしていた自分を上書きしてしまうわけではないことを意味していた.
“やっぱりここに来ると落ち着くわね…”
Kasgaは, 丘の下の水場でバケツに汲んできた水を, ヒシャクで大樹の根元に数回振りかけて, 誰に語ることも意図せずにぽつりとつぶやいた.
Scene 3.6.2:
10月5日の緊急集会以後, Kasgaは, Hanasaka CastleのMain Keep Areaの地下深くにひそかに作られたシェルターで過ごしていた. 城には近づかないと公言しておきつつ, 実は城のど真ん中にいたのである. このことは, Kasgaの身辺警備を務めていた4人の警察官にも伝えられず, Castle OfficeのDirectorたちやNaoe社長など, ごく限られた人だけの極秘事項とされた.
シェルターの中は狭苦しいわけでもなく, 新鮮な空気が常時入れられ, 気温も湿度も程よく, 外に出られないという点を除けば快適であった.
しかしKasgaはそこがどんなにすばらしい環境であっても, 1回でいいので外に出たい事情があった. 姉が亡くなった日である10月15日かその前後には, これまで必ずTokyo側かHanasaka側のどちらかの墓参りに欠かさず行っていたので, できればそうしたいと思っていたのだ.
ただ今年は臨戦態勢下にあるためパスせざるを得ないだろうとあきらめかけていたところ, 命日から1週間後の22日にCastle OfficeのPrishaから, Tokyo側のお墓に行ってほしいといきなり求められたのだ.
“本当に行ってよろしいのですか? 私への気遣いであれば, 気になさらないで結構ですが.”
Kasgaは, シェルター内のKasgaの居室に足を運んできたPrishaから思いもよらない要請を受けて驚き, 真意を確かめようとした.
“はい. 突然のお願いで申し訳ございません.”
“いえ, 私は, 本当は行きたかったから構わないのですが, 作戦の実行に支障が出ませんか?”
“それでも行っていただく必要が生じました. 警察車両でTokyoの現地まで移動していただきます. PDを通じて現地の警察には依頼済みですので, 現地では彼らの警護を受けられます. Facial Disguiseを常時付けていただいて, ‘Nexus’も現地で私がお願いしたときだけ電源をONにして, それ以外は切っていただきます.”
Kasgaにとってはそれぐらいの制約はお安い御用であったため, “ご指示には従いますが, 行かなければならない理由って, 何ですか?”と, 目的を示すよう促した.
“はい. Kasgaさんがお持ちの護身用のsword, 私たちは‘Haru-Sword’と呼んでいますが, そのアップグレイドのためです. 従って, お墓参りに行く際に, そのswordを持っていっていただきたいのです.”
“分かりました.”
“ありがとうございます. そのswordは, 薄々気づいていらっしゃるとは思いますが, 単なる刀剣ではありません. Hanasakaが有事に陥ったときに, 軍事要塞であるこの城が様々な迎撃をするにあたって必要となるものなんですが, 今回はその一部の撃退方法を使ってみようと考えています.
“つまり, 今回の作戦では, Kasgaさんはお独りで城のPalaceにこもられることになりますが, 仮に目の前に敵が現れたとしても, 迎撃してくれる頼もしいロボットをつけます. そのロボットを使うときにもそのswordが必要になるのですが, そのためにはそれに入っているプログラムを今のうちに新しくする必要があります.”
プログラムのアップグレイドであればCastle Officeの事務所でやればいいのではないかと思いつつ, Kasgaは, “分かりました.”とだけ答えた.
“そのアップグレイドは, Harunaさんはよほど慎重に考えられていたようで, ここではできません. Kasgaさん自身がTokyoのお墓に行っていただいて, そこでHaru-Swordを起動させて, 位置情報を取って照合することで初めてダウンロードできるようにしてあるのです.”
姉の名前が出てきたことにKasgaは驚き, “そのプログラムは姉が作ったんですか?”と, 当然の質問をPrishaに投げた.
“そうです. Harunaさんは, 生前, このExperi-Cityが将来, 過激なRusty-believersに武力で襲撃されることを予想していました. そのため, Harunaさんや, その弟子だったMonicaさんや私を含めた仲間たちは, 軍事力を持たないExperi-Cityで, 城とロボットたちを使った迎撃方法を考えて, いろいろと準備してきたのです. まだその全体の完成には程遠いのですが, ようやく一部は使えそうな段階に来ています.
“ただ, 危険なものですので, 簡単に発動できないように, Harunaさん自身が慎重にロック・プログラムを仕掛けていたのですが, 残念ながら…, Harunaさんを苦しめた裏切り者がいて, 大事なデータを消去してしまって, その時はもうHarunaさんの病気は相当進行していて, 結局, アンロックの方法を聞き出すことができないまま, Harunaさんは亡くなりました…
“アンロック・プログラム自体の存在は確認済みです. しかし普通には開かないのです. いろいろ苦労して調べた結果, そのアンロック・プログラムはHaru-Swordにインストールする必要があって, しかもKasgaさんだけがそれを使って実行できることが分かりました. Harunaさんらしいと思いました. およそ悪用するおそれのない心優しいKasgaさんの意思そのものでロックをかけたのです. ただ, そのアンロック・プログラムをそのHaru-Swordに入れる方法を, 私たちも最近まで知ることができなかったのです.”
Kasgaは自分の心臓の鼓動が速くなっているのを感じた. あのKassen Representative Councilに初めて出席し, そこで自分が殺しのターゲットになっていると打ち明けられた時に, 知りたくもなかったHanasakaの裏での暗闘に自分が巻き込まれることに対する恐怖感を覚えたのに似ていた.
しかし, その時と少し違うのは, 生涯を通して苦闘の連続だったと思える生前の姉の自分に対する信託を, 仕事上の仲間だった人からそれを伝えられたことによる, うれしさと戸惑いを同時に感じていた.
“その方法が分かったのですか?”
KasgaがおずおずとPrishaに尋ねると, Prishaはストレートには答えず, “Kasgaさんがお持ちのそのsword自身が教えてくれます.”と言って, それを手元に持ってくるよう促した.
Kasgaは, ベッドのかたわらにあるチェストの上に置いてあったscabbardに入ったswordを手にして, Prishaと話をしているテーブルまで持ってきて, その上にそっと置いた.
UnifierであるKasgaだけが持つその宝刀は, 意外にもほとんど装飾されておらず, gripの部分は, 藤色のひもをクロスさせながら巻き, ひもが交差していない部分はgripの金色の肌が見えるようになっていた.
そのgripの中身は電子部品や基板が詰まっているが, 表面上はメカニカルな印象はなく, 柄の表面の所々にボタンやランプが付いている程度であった. また, そのgripとbladeの境目にあり, gripを握る手を防護する“handguard”とbladeの部分を収納するscabbardは, 鏡のようにつやのあるやや緑がかった黒色で塗られ, 品格と落ち着きを感じさせるものであった.
そして, scabbardの口の付近に作られた, 自分の胴に巻いた腰ひもにそれを突き刺したときにずり落ちるのを防ぐための突起の部分に埋め込まれているランプが緑色に点滅していた.
“この間の姉の命日から, ずっと点滅しているんですよね. 充電はちゃんとしているのに… 取説を読んでもよく分からなくて, おじさんに相談しようと思っていました.”
Kasgaが不思議がると, Prishaは目を見開いて思わずいすから立ち上がり, “そう! この点滅のリズム. タンッ, タン, タン, タン, タタタンの繰り返し. これは, Harunaさんからの信号です!”と, 子供が大好きなおもちゃを手に入れた時のようなはち切れんばかりのうれしさを表した.
そして, 彼女としてはそれは予想していたとおりであったものの, 感極まって, 震える手で口を押さえ, “3年間…, 待っていたんですね…”と, 目を潤ませて弱々しい声で, 自分の心の中核にあるHarunaの存在を, 物理的に確認できた喜びを吐露した.
いつも冷静で理知的なPrishaがこのような表情を見せざるを得ないようなことが起こっていることを理解したKasgaは, Prishaの肩に手を置いて彼女の顔をそっと自分の胸元に近づけて, “姉は私に何を語ろうとしているのか, 教えてください.”と優しくささやいた.
Prishaはたちまち赤面して慌てて, “たいへん失礼しました.”と謝って, 急いで普段の自分を取り戻し, Kasgaに対して, smart glassesの通信チャネルを, Castle Office専用の“807チャネル”に切り替えたうえで, swordをscabbardから抜くよう求めたうえで, gripを右手で握ったときに親指が当たる辺りにあるパワー・ボタンを長押しして, Haru-Swordという名のこの電子機器を起動させ, “本人確認完了”とAR viewに表示されたら, パワー・ボタンの右隣にある“I”と書かれたボタンに指を当てるよう指示した.
Kasgaが彼女の指図どおりにそれらをおこなうと, smart glasses越しに見えるblade部分が薄い白い光に包まれた.
“では, Kasgaさんの歌の1つ, ‘春風’の中で出てくるフレイズがインタラクション・モードの開始コマンドです. ‘Haru nasu kaze yo.’と呼びかけください. ‘声紋確認完了’と表示されたら, 何か出てくると思います.”
言われたとおりにKasgaが, 春を運んでくる風に呼びかける言葉としてKasgaが作ったその言葉を, “Ha-ru-na-su-ka-ze-yo.”と一音ずつ明確に発声すると, 3秒後にKasga本人の肉声であることを確認できた旨がAR viewに表示された.
そして, 初めて出すコマンドだったため, 初期設定に30秒ほどかかり, 徐々にbladeがクリーム色に変わってさらに輝きを増し, “Harumi. アップグレイドを完了させるために, このswordを持って, あの大きな桐の木のお墓に来てね. 待ってくるから.”というメッセージが映し出された.
驚きのあまり半歩後ずさりしたKasgaは, “わ, 私のこと, Harumiって呼んだ?”と, ほとんど聞き取れないほどの声で, 目の前に出されたメッセージに問うた.
“そうです, Kasgaさん. お姉さんがお呼びです.”
Scene 3.6.3:
“私にとってここもふるさとだから, 久しぶりにTokyoに戻れてうれしい.”
“あぁ, ほんとに来れて良かったなぁ.”
この日, Haruppi OfficeのNaoe社長も途中から合流して, Kasgaのそばに付き添った. そしてその2人がいる桐の大木の周辺には現地のアンダーカバーの警察官があちこちに配置され警備に当たっていた.
今回のTokyoでの姉の墓参りは, HanasakaとTokyoの両警察間で秘密裏に連絡し合って実行された. この日, Kasgaは, 身を潜めていたHanasaka CastleのMain Keep Areaの地下深くにあるシェルターから横に伸びる秘密の地下道を通って, Castle Park近くにある倉庫に出て, 倉庫の作業員の恰好をしてトラックに乗り込んでPolice Headquartersに行き, そこで大きめのヴァン型の警察車両に乗り換えて, Tokyoのこの丘陵地帯までやって来たのだ.
Kasgaは, 木の下にある石碑のそばに設置されている線香立てに数本の線香を突き刺して火をつけ, 手を合わせて一礼した. そして, 姉に静かに語りかけ始めた.
“お姉ちゃん, 今年は遅くなってごめんね. 来れないかと思ってたけど… でも, PrishaさんやMonicaさんのおかげ. それにここに来る前に, Prishaさんが, お姉ちゃんがやっていた仕事のこと, ちょっと教えてくれた.”
Harunaは, 生前, 自分がどんな仕事をどんな人たちと一緒にやっているかを, あまり多くを語らなかった. 彼女にとってUnifierはあくまで, おじのLerhiに言われて手伝っているぐらいで, 本業はHanasaka Cityの情報システム群の運用と改良にたずさわるAI System ArchitectであることはKasgaも分かっていた. そしてその仕事は, City OfficeのスタッフでもCastle Officeのスタッフでもなく, フリーランスとしてやっていると聞いていた.
しかしそれ以上の情報はほとんど持っていなかった. お互いに忙しかったし, Harunaの仕事はいろいろ仕事上の守秘義務があると本人からも言われていたため, 深く聞き出すのをためらった.
また, HarunaがKassenのadvocateとして関わるようになってから, MonicaやPrishaとはこれまで数えきれないほど会話を重ねてきていたのに, 彼女たちはCastle OfficeのDirectorとしてKasgaに接することに徹し, Harunaと一緒に仕事をしていた同僚であった時のことを口にすることはほとんどなかった.
そのため, PrishaとMonicaがHarunaと一緒にHanasakaを守るための準備をひそかにしていたことを先日知るに至り, Harunaが深い信頼を置いていた人が自分のすぐそばにいたことをどうしてHarunaは教えてくれなかったのかと, やや非難する意味合いがKasgaの言葉にこもっていた.
“それから…, ここに来る前に病院に寄ってお母さんに会ってきたわよ. 一応, 元気そうだった. ま, いつものとおりだったけどね…”
ふふっと笑って, Kasgaは石碑の上にそっと手を置いた. 風のない穏やかな日であったため, 線香の煙がそのまままっすぐ筋を作って昇っていった.
“今日はここに来れて本当によかった. もう二度と来れなくなったらどうしようって思ってたし… まわりの皆さんに助けてもらったから, お姉ちゃんもお礼, 言っといてね.”
Kasgaはほんのり笑みを浮かべて, 光沢のある白い花崗岩の表面の, 姉の名前が彫られた辺りをしばらくなでていたが, そっとその動きを止めた.
“お姉ちゃん…, 私…”
その時, ひゅ~っと冷たい風が吹き, 周りの木々がざわめき, 空中を舞っていた落葉がKasgaの手に当たった.
“私, ほんとはね…, やっぱり…, やっぱり怖いの.”
Kasgaは人前では決して言わない思いを姉の前で小声で吐露した. 本心を隠すことに慣れているKasgaとしては, このままあらわにしないまま心の奥に閉じ込めておくこともできたが, 先代Unifierである姉には, 自分が抱える苦悩をぶつけておきたかった.
“今更だけど, どうしてなのって思ったわ. Unifierなんか引き継いで.”
Kasgaの本業はあくまで歌手である. 姉の病気により, 姉本人のみならず周りの人からも妹であるKasgaに, Unifierの役割を引き継いでほしいと言われて副業としてやり始めたにすぎない.
もちろん彼女はその仕事も嫌がらずにまじめにやってきた. それなのに, フェイクのスキャンダル報道をされたり, 根拠のない誹謗中傷を受けたり, さらにはテロリストから殺害の予告を受けることになり, いくら大好きな姉からの信託を受けたからと言っても, 多少の恨み言を言いたくなる気持ちもあった.
しかしそれは最後に残ったジョーカーを引かされた自分の不運を呪えばよいという単純な問題ではなく, 殺されても仕方ない理由を自らも作り出していることをKasga自身も理解していた. 自分の言動が, Kassen communityのみならずHanasakaや世界に影響を与え続けていたのだ. 実験に反対する人たちの中の過激派を刺激し続け, 対立を激化させていたのだ.
ただ, 今更それを悔やんでも仕方ないし, 悔やむべきことでもない. そうである以上, このネガティヴ・ループ回路に自身を置くのをいい加減やめて, Unifierとしてやるべきことをやるしかないと, Kasgaはこの現状を理性的に受け入れようとしていた.
“決起集会で, ああいう感じで偉そうなこと言っちゃったけど, あれで良かったと思ってるの. Keiちゃんの影響なんだけど, 何か貫きたかったんだと思う. 屈したくなかったというか… お姉ちゃんだったら, もっと優しい感じで言ってたのかもしれないけど…”
あの6月30日の”The Great Keep Arson”の後のKeikoとの対話で, 彼女の怒りの一撃によって無明の闇から目覚めるまで, Kasgaの心が暗くて冷たい迷宮をさまよっていたが, それは, 彼女に対する外部からの攻撃やプレッシャーだけが原因ではなかった.
Kasgaは, 自分の気持ちが落ち込んでいるときに, よく似た夢を見る. その夢で自分は, 両親と姉と自分の, 家族4人で暮らしていたあの懐かしい家の中にいつの間にか戻ってきているのであった.
“お姉ちゃん, 帰ってきてたんだ! びっくりするじゃない.”
決まってHarunaは予期せずその家の玄関に現れる. そしてその姿は高校生から大学生ぐらいであることが多かった. 年の差を考えると自分は小学生か中学生になるが, 夢の中では自分が子供である感覚はない.
“ごめんね. いろいろあって, Harumiにちゃんと連絡できなくて.”
Harunaは, 長い間, 音信不通だったことを詫びる.
“ん~, まあ, いいけどさ. 心配するでしょ. これからはマメに連絡してよね.”
そうは言ったものの, 気まぐれで何の予告もなく帰ってくる姉にはもう慣れてきて, Kasgaはそれ以上の不平は言わず, あっさり許してしまう心構えはできていた.
“ほんとごめん. お詫びに, ほら, お城の絵を買ってきたわよ.”
居間に移動してきてそこでHarunaから手渡された, 木製の額縁付きの, 20センチ平方ほどの小さな油絵には, 朝日か夕日に照らされた城の天守が描かれていた.
“これ, Hanasaka Castleかしら?”
“当たり! さすが, 城好き. 人間が描いた絵よ. うまく言えないけど, 強さと優しさを感じる, いい絵じゃない?”
夢の中だからなのか, 何が描かれているのか鮮明に見えてはいないものの, 直感的にKasgaにも, これが見る人を魅了する絵であることが分かったような気がした.
“ありがとう. 気に入ったわ.”
“そう, 良かった. その城, Harumiにいつか買ってあげる.”
すでに大人たちと一緒に働いて, 高校生もしくは大学生にしては考えられないほど稼いでいたHarunaは, 気前よく妹に何でもおごってくれていたが, さすがに城は大げさだろうと思って, “何の冗談?”と, Kasgaが聞き返すと, “う~ん, 私は結構本気なんだけどな.”と, Harunaが言い返した.
“小さい時, よく言ってたでしょ. お城のお姫様になりたいって. だから, Harumiをそのお城の主にしてあげる. もうちょっと待って. そのうち, その城, 売りに出されるから.”
Kasga本人としては, そんな幼い時の夢にはもう全く執着していなかったが, いまだにそれを覚えていて, しかも売り物とは思えないほどの巨大なあの城を, 近所の不動産屋から買う感覚で口にする姉にこっけいさを感じた.
“お城もうれしいんだけど…”
それよりも, さっきHarunaがそばにあったテーブルにさりげなく置いた, ケーキが入っていると思われる白い箱のほうがKasgaは気になり, 指差した.
“あぁ, そうね. ケーキも買ってきた. 一緒に食べよっ. Harumiの好きなチーズケーキだから.”
“じゃあ, 紅茶, 用意する. ちょっと待ってて.”
たいていこの辺りで夢から目が覚める. 時間の差はあれども, 姉のそばからちょっと離れようとした時に必ず覚めてしまう.
そしてその時に, 自分の現在の境遇とのギャップに激しい悲しみを覚え, 涙があふれ出て, ふとんの中で声を押し殺して泣くこともあった. しかもこれが回数を重ねてくると, 精神的な疲れがたまり, 心の傷口の痛みもひどくなり, またそんなフリーフォールを何度も味わいたくないがゆえに眠るのが怖くなって睡眠不足になり, ますます心身ともに参って悪循環に陥っていくのであった.
Kasgaがこの強烈なうつに取りつかれて加速度的にハートを侵食されそうになりつつあった時に, 彼女を襲っていた魔物を瞬殺で打ち砕き, 目を覚ましてくれたのがKeikoであった.
“不思議な力を持つ子よね… あの電話の後, なんだか力がみなぎってきたの. ここで負けるわけにはいかないって. 自分にも, 襲撃者にも. だから私, あんな演説したんだけど…”
しかしその演説がテロリストたちをますます意固地にし, 怒りの矛先をぴったり自分に向け, 2週間後には自分が殺されるかもしれないという状況に陥ると, やはり冷静に平然としていられるはずもなかった.
それでもKasgaが, 死のカウントダウンに打ちのめされて, 絶望の奈落の底に落とし込まれずに, この苦しい状況をなんとか突破できる可能性を捨てずにおられるのは, 彼女にとってあの時にはっきり認識した“最強の友人”がいるからだ.
“それにKeiちゃんは, 絶対, 一生, 命がけで私のことを守るって言ってくれた. その優しさで私は十分なの. そう… 怖がる必要はないわよね. ここで私が逃げたりしたら, Keiちゃんに逃げられてしまう…”
線香立ての横に, 姉が生前よく飲んでいたリンゴジュースが入った缶を一時的に形だけ供えていたが, 彼女はしゃがみこんでそれを手に取った. (Hanafolkは供え物をそのまま置いていってゴミにするようなことはせず, 必ず持ち帰る.)
ここに来る途中の高速道路のサービスエリアの自動販売機で買ったそのジュース缶を見ているうちに, 昨年おこなわれたFighterと市民との交流会で, Keikoが子供たちから渡されたリンゴジュースの缶を, プルタブを開けて腰に手を当ててガブ飲みし, “ありがとぉ. なんかめっちゃ元気になってきたわ.”と言って, 子供たちにガッツポーズを見せていた姿を思い出した.
1分ほどじぃっとその缶を見ていたKasgaは, 気持ちの整理を済ませ, 意を決し, 立ち上がった.
“私, 覚悟を決めた. いいよね, お姉ちゃんも, それで.”
Kasgaは, 大樹に向かって再び手を合わせゆっくり深々と一礼し, じゃあねと軽く手を振ってさっと体を後ろに反転させた.
Scene 3.6.4:
“もういいのか? Kasgaさん.”
3メートルほど左後方に控えていたNaoeは, Kasgaが心の中の姉との対話を終えた様子を察して声をかけた.
Kasgaが彼の顔を見て, “いいわよ. 始めましょう.”と落ち着いた声で答えると, Naoeは, KasgaのNexus Unitの電源をONにするよう彼女に求めた. 敵に探知されないように, シェルターを出てからずっと電源を切っていたのだ.
この時代, Nexus Unitの電源を切るとsmart glassesやほかの“Enhancers”も使えなくなり恐ろしく不便になるので, Kasgaとしてもそれを復活させることは待ちに待ったことだった.
事前にCastle OfficeのMonicaから指示されていたとおり, KasgaとNaoeはsmart glassesの回線を807チャネルに合わせた. 周りで警戒している警察官の一部も, Kasgaたちがこれから見ることになるシーンを共有するため, 今回, 特別に一時的にこの回線への接続が認められた.
一方, Castle OfficeのGreen Houseの地下にある電磁シールドの会議室には, この時すでに, 諸々の情報機器やスクリーンが持ち運ばれ, このアップグレイドのオペレーション・ルームに様変わりしていた.
“チャネル同期しました.”
“Haru-Sword, パワーオン. 充電率, 98%. 問題なし.”
“Kasgaさん, Haru-Sword, 抜刀.”
“Kasgaさんの生体情報, フルアクセス要求中… 許可されました.”
“Kasgaさんの視覚情報を, ウィンドウ3に出します. 聴覚情報も同期しました.”
“Iモード起動完了. Bladeの発光パターンW1確認.”
“Kasgaさんの生体情報チェック完了, 異常なし.”
“Haru-Swordの位置情報, 照合完了. ファースト・ロック, 解除.”
“Haru-Swordにダウンロードの準備指示.”
“…, 準備完了. 発光パターンW2確認.”
“ダウンロード待機状態です. あとはKasgaさんからのコール待ちです. ご指示を.”
自分が操作する端末とスクリーンに向かいながらISS (Information System Section) のマネージャー Suyuanが, その背後で, シールドルームの壁に備え付けられている巨大スクリーンに目をやるMonicaとPrishaに, アップグレイド開始の命令を出すよう促した.
“Monica, ここは一番弟子のあなたから指示を出して.”
Prishaは, パンドラの箱を開けるための最初の起動を開始する名誉をMonicaに譲った.
“ありがとう, Prisha. あぁ, ほんと, ドキドキする…”
Monicaは, 胸に手を当てて深呼吸を一度してから, “Kasgaさん, 聞こえていますか?”と呼びかけた. Kasgaが, 聞こえている旨を答えると, “じゃあ, Kasgaさん, swordを持って, edgeを真上に向けて一旦そこで止めて, それから, お伝えしたあのちょっと長い文章をおっしゃってください. しっかり握っておいてくださいね.”と指示を出した.
Kasgaは, 先ほど, “I”と書かれたボタンを押して例の7音の掛け声を発してから, 自分の右手にあるこのswordのgripに数か所に付けられているランプが赤, 黄, 緑と変色しながらせわしなく点滅し, bladeも, 先日, Prishaと一緒に見た時よりもさらに明るく輝き, grip自体も熱くなっているのを感じ, 毎日目にしているこの電子装置が暴走し出したのではないかと心配していた.
Kasgaも緊張しながら, scabbardから抜いて右手に握っていたswordをゆっくりと振り上げ, 天頂にedgeを向けたところでポーズをとった. そうすると彼女のAR viewに, “セカンド・ロック解除.”と表示されたため, これが合図だろうと理解し, Kasgaは, 腹からしっかり出すあの低く気品のある声で, 特別な呪文を唱えた.
“Haru nasu kaze yo! Haru no hi to tomoni, Warera no daichi ni, Hana sakasan!”
すると, 807チャネルを設定しているsmart glassesを持つ者たちには, Haru-Swordの先端に天空から雷が落ちたかのように激しくbladeとその上空が発光するのが見えた. 同時にgripにも強度の振動が走ったため, 思わずKasgaは一瞬, 手を放したが, Monicaの言葉を思い出して握り直した.
そして彼女のAR viewに, “最終ロック解除. ダウンロード開始.”とステイタス・メッセージが出た後, “Swordのedgeを, 桐の大木の頂点に向けてください.”と, Kasgaに対するインストラクションが出たのでKasgaがそのとおりにして, その方向に目をやると, クリーム色に輝く球状の発光体が浮かんでいるのが見えた.
その場にいたKasgaやNaoeたちも, Castle Officeの電磁シールドルームにいたメンバーたちも, 皆がその発光体に見とれていると, その光の球から, “Harumi. 私を呼んでくれてありがとう.”と, 生前のHarunaの声でKasgaに話しかける音が発せられたのを, smart glassesのフックの骨伝導イヤホンを通じて感知した.
その音声情報があまりに衝撃的であったため, Kasgaは思わず息を飲み込み, scabbardを持っていた左手と, Haru-Swordを握りしめていた右手から握力が完全に抜け, いずれも同時に地に落としてしまった.
“お, お姉ちゃん…, なの…?”
ほとんどささやきに近いぐらいの弱々しい声でKasgaが発光体に誰何すると, それは, “そうよ. 私よ. Haruna Laliguras. 最初の名前は, TAKETORI Haruna.”と名乗った. そして, “驚かしてごめんね. 正確に言うと, 私は, 生前の私が残した膨大な自分自身の情報を基に作られた人工知能. デジタル情報となった私. 肉体は失ったけど, 情報としては生きているの. 今はまだ, もやっとした光と音声でしか表現できていないんだけど, そのうち, 生前の姿を精密に再現した化身で現れることもできると思う.”と説明した.
本人が本当に話しているとしか思えない声の質, 話し方, 語句の選び方, 息遣い. あまりのクオリティの高さに, Kasgaのみならず他の者たちも一様に口をぽかんと開けて, 拡張現実という技術を用いた演出とは考えられず, 現に死者がよみがえったことをどう受け止めればいいのか理解が及ばず呆然とした.
他人から思ってもいないことを突然言われてもとりあえず何かを答えられる能力を持つKasgaも, さすがに言葉に詰まって黙っていると, “死んだはずの人間がこんなふうに再登場してきて, 何て言えばいいか分かんないよね. ごめんね, Harumi.”と, 発光体のHarunaがKasgaを気遣った.
“それから…, 今までHarumiにはつらい思いをさせてしまって, 本当にごめんなさい. Unifierなんか引き受けなかったら良かったって思ったでしょ.”
“聞いてたの?”
Kasgaがぼそっとつぶやいた. さっきこの大樹に向かって話しかけていたことを, この発光体のHarunaがひそかにすべて記録していたのだとしたら, 少し恥ずかしいと思った.
“フフッ. 分かるわよ, それぐらい. だって, 私もしんどかったもん.”
“そうだったの?”
Kasgaにとっては, Harunaはそつなくその役割をこなしていたと思っていたので意外な答えだった. 彼女にとってHarunaは, 何でもできる超天才の万能人間で, それに比べれば自分は姉の劣化版にすぎず, ギターを弾きながら歌を歌うことぐらいしか, 姉に勝てる要素は何もないと思っていたからだ.
“そうね. しんどいのにHarumiに後を継がすなんてひどいわよね. 世襲制でもないのにね. それに, 私がやってた時より, 今のほうがみんなからの期待度が違うから, 本当に大変だと思うし, きっと, ずいぶん独りで悩んだと思う… だから, 本当にごめんね.”
しばらく黙っていたKasgaは, “ううん. いいの.”と軽く首を横に振り, “だって, お姉ちゃんが大変だった仕事を, ほかの誰でもなく, 私に譲ってくれたんだから… だから, いいの.”と, 自分を信用してくれた姉を恨んでいるわけではないことを表明した. それは, 姉の機嫌を取るための偽りの言葉では決してなかった.
“ありがとう. そう言ってくれると私もうれしい.”
本当に機械と対話しているとは思えないほど自然な流れで, 生前, 十分にお互いの思いを伝えきれていなかった姉妹が普通に会話できていた.
Kasgaや周りの人たちの緊張感が少しほぐれたところで, Harunaは今日のこの会話の本題に入った.
“今日, 私をこうやって呼び出すプログラムが動いたということは, Harumiが思っている以上に, Hanasakaに危機が迫っている状況だからなんだけど, 敵が本気で襲いかかってきたときに備えて, Hanasaka Castleの防衛手段を動かす必要があると思う. でも, これは毒をもって毒を制すると言えるの. 無差別に破壊したり殺したりする兵器じゃないし, 攻撃してこない者には興味を持たない兵器なんけど, 場合によっては人が死ぬかもしれないの. だから, 慎重に扱うべきなの.”
Harunaはそう告げたうえで, “Harumi, 今, swordを手に持っている?”と尋ねた.
Kasgaは, さっきまで手にしていたはずのswordとscabbardの現在位置が足元にあると気づき, 少ししゃがんでそれらをつかんで拾い上げた.
そして彼女の右手がswordのgripに接触したのを機に, KasgaのAR viewに, “ダウンロード完了. インストール完了. 正常にアップグレイドされました.”というメッセージが表示され, Harunaとの会話の間に, すでにHaru-Swordになされるべきアップグレイドが無事に済んでいたことが知らされた.
“持ったわ.”
“じゃあ, 今はやらなくていいけど, インタラクション・ボタンに指を当てて, ‘ガイド’って言えば, その防衛手段についていろいろ教えてくれるから, 時間があるときに勉強しておいてほしいの. 私の思いも, きっと理解できると思うから.”
KasgaがうなずくとHarunaは安心して, “ありがとう. 良かった.”と言って優しく笑った.
“でも1つだけ教えて.”
Kasgaは, 自分がここですべて納得したとHarunaに思われると, それで会話が終わってしまうのではないかと感じ取り, これから自分がShark Teeth作戦を実行するにあたって大前提となる大事なことを聞いておこうとした.
“敵はやっぱり私を殺しに来るの?”
今, こうして会話をしているHarunaは, Hanasakaの支配者であるFloraによって統制されているはずだと考えたKasgaは, Harunaを通してFloraの想定を探ることができるのではないかと考え, 彼女がどの程度の確度で敵襲を予測しているのか問うてみた.
多少なりとも敵が来ない可能性もあるのであれば, 殺害予告を受けている本人としては少しは気持ちが和らぐが, Harunaは, “残念ながら, 彼らは来るわ.”と答えた. そして一息も入れずに, “でも, Harumiが殺されることはないから, 安心して.”と付け足した.
“どうしてそんなことが言えるの? 不測の事態に陥ることだってあるかもしれないでしょ.”
“そうね. それは否定できないから, 私だってつらいわよ… 場合によってはHarumiがひどい目に遭うかもしれないから… でもね, 大丈夫なの. みんながHarumiを守ってくれるから.”
Kasgaは, “大丈夫なの”という, 物事が確定しているかのような彼女の言い方に引っかかり, 思い切って質問してみた.
“お姉ちゃん, それは, Floraが書いたシナリオどおりにみんなが動くことになるから大丈夫ってこと?”
“うん, そう言えるわね.”
Harunaは, ためらわずにあっさり認めた. そうすると, 今までに起きたことも, これから起きようとしていることも, すべてFloraによる自作自演なのかという疑問がわいてくるが, それを見越してHarunaは, “もちろんお芝居じゃないから, 敵は偽物じゃないし, 未来を完全に予測することもできないわよ.”と念押ししたうえで, “ただ, 勝算があるってことよ.”と, 自信を示した.
では具体的にどのようなシナリオでFloraは勝つつもりなのかをここでHarunaに聞いても, 大勢の人が聞いている状況では, 仮に話してくれたとしてもそれが真実である可能性は低い. しかしKasgaとしては少しでもヒントがほしかったため, “例えば, 私のことを大事に思ってくれている友人が助けてくれるの?”と, この会話の流れでは出てきそうにない質問をしてみた.
“そうね. きっとそうだと思う.”
Harunaは, Kasgaの質問の趣旨を問い返すことなく朗らかに答えた. そしてKasgaは確信した.
“あの手紙を書いたのはお姉ちゃんなのね… 最初からヒントをくれてたんだ. Unifierとしてみんなを幸せにするストーリーを作り出しながら, Keiちゃんの願いを叶えてあげることが, きっとこれから何か重要な意味があるってことなんだ.”
スクリーンに映し出されたKasgaがしばらく口を閉ざして何か考えている様子であったことから, Monicaは思い至った.
“今の会話…, もしかしてKasgaさん, 気づいたのかもしれない. あの質問は, きっとそうだろう. 大した意味がないように聞こえる質問を, Kasgaさんがこの場面でわざわざ言うはずがない.”
Monicaは, Floraが11月9日に襲ってくるであろう敵を迎撃するシナリオの全貌をKasgaが理解したわけではないにしろ, 何かその取っ掛かりを, Harunaとのこのちょっとした会話を通して彼女がつかんだのではないかと推測し, スクリーン越しに, 発光体とKasgaがさらにどのような話をするのか注意深く観察した.
長すぎる沈黙が気になったのかHarunaは, “Harumiにはもっとちゃんと教えたいんだけど, 今, 言えるのはそれだけ. ごめんね. 戦いは水面下で続いているから, 詳しくは言えないの.”と, Kasgaを気遣いつつ, 淡白すぎる自分の回答に理解を求めた.
それに対してKasgaは, “いいよ. 答えにくいことを答えてくれて, ありがとう. 自分なりに考えてみる.”と, 笑顔で答えた.
“そう言ってくれるとうれしい.”
その様子を見ていたMonicaは, なんと聡明な姉妹なのかと感心せざるを得なかった. この場で重大なことを暴露することなく, ひそかに2人は重大なことを理解し合ったのだ.
“ほかに質問はない?”
Harunaは, Kasgaが1つだけ質問がある旨を述べていたにもかかわらず, もう1つぐらいあるだろうと予想して先に尋ねた. するとKasgaは, その心配りを素直に受け取り, “ごめんね. もう1つあるの.”と言って, ずっと気になっていた不安を伝えた.
“今回の事件は, 大きな戦いの始まりなの? この後, HanasakaやNadiapolisで戦争が始まって, 戦場にたくさんの人を送り出さないといけなくなるから, みんなの意識を変えて, その準備をしているの?”
この質問は先ほどのものに比べると, Hanasaka市民の多くが感じる不安を代弁したものであり, Harunaにとっても十分想定の範囲内だったため, 語り始めるまでに1秒しかかからず, “未来のことは分からないけど, 心理戦にはHarumiも気をつけてね.”と, 彼女の質問に答える前にまずは注意を喚起した.
そして, “いろいろ不安をあおり立てる情報が錯綜しているから, Harumiがそう思うのは理解できるわ. でもね, Floraは, ‘Philosophy’を忠実に守って人間を庇護するために作られたAIであることを忘れないでね. そのほかのことは考えようとしないし, 考えることはできないの. 彼女には人間の命を粗末に扱うようなことはそもそもしないし, できないの.”と, Floraを創出した元AI System ArchitectとしてFloraの立場で当然の理屈を説いた.
“だから, 大丈夫よ. 大切なのは, 自分に期待されていることに力を尽くす. それだけよ. Harumiの周りには大勢の人たちがいる. みんな, Harumiのことを信頼し, Harumiの迷いを断ち, Harumiが行くべき道を一緒に歩いてくれる. 大きな戦いの始まりだなんて, そんな悲観的なこと考えないで. これはみんなが幸せに暮らせる社会を作るための, HanasakaとHarumiの長い旅路の始まりなのよ.”
“長い旅路?”
“そうよ. Hanasakaは一日にして成らず. 時には難局もあるわよ. これもその1つ. でも心配すぎないで. みんなが力を合わせれば乗り越えられる. Harumiもみんなに約束したでしょ. だから私も約束する. 私はいつも, HarumiやHanasakaの人たちとともにいる.”
自分がおこなった演説の中の言葉に照らし合わせて励ましてくれた姉の優しさに心をぎゅっとつかまれて目を潤ませたKasgaは, “分かったわ. ありがとう, お姉ちゃん.”と言って, 自然とあの万人の心をとろけさせる笑顔になった.
“Harumiのその笑顔が見れて本当にうれしい. ありがとう.”
感情を持たないはずのAIが, 全く不自然さを感じさせることなく, 思い切り喜びを表現した.
そして, “Naoeさん. そばにいるんでしょ. 妹のこと, よろしくお願いします.”と, Kasga以外の第三者にも言葉をかけた.
“あ, はい. しょ, 承知しました.”
まさか自分に話しかけてくるとは思っていなかったNaoeはまともに反応できず, ありきたりの返事をするので精いっぱいだった.
“それから, MonicaさんもPrishaさんも聞いているでしょ. Hanasakaのこと, 頼んだわよ.”
敬愛してやまない師匠の降臨に, 2人ともさっきから涙腺が極めて過剰に刺激されて, まともに会話できる状態ではなかった. 2人にとっては, プログラムが実行されたら, こういう演出がなされることは織り込み済みであったが, それでも心を激しく揺さぶられ, 冷静にプログラムの実行を見届けられるような心境ではなかった.
“じゃあ, またね, Harumi. またいつかお話しできると思うから, 楽しみにしてる.”
発光体の放つ輝きが徐々に弱まってきて, 別れの時が来たことが告げられた.
“待って! 行かないで. 私もそっちに行く!”
Kasgaは手を伸ばして思わず叫んでしまった.
“心配しないで. Harumiがこっちに来るんじゃなくて, 私がそのうちそっちに行くわよ. ‘Hanasakia’が完成したら, 私の姿を精密に再現した私が, Harumiに会いに行くわよ…”
そう言い終わるや, 発光体は消えて, Haru-Swordのbladeも発光を止めて, 鈍く太陽の光を反射している程度に落ち着いた. 807チャネルでこれを見ていた者はすべて放心状態で, 無言の時間がしばらく流れた. 誰も何か言葉を発する勇気も気力も残っていなかった.
Kasgaは全身の力が抜けて, 再びswordとscabbardが手からすり抜け, その場にひざまずいて両手を地面に付けた. そして声を立てて泣いた. もう二度と会えないはずの姉と話すことができた摩訶不思議な喜悦が, 言葉にできない激しい感情となって自分の体の中からのどを通って外に湧き出してきたのだ.
Naoeが, そっとKasgaのそばに来て, 片ひざを地面につけてKasgaの背中に手を当てた.
“Harunaさんは, 我々を見捨ててはいなかったな…”
10分後, ようやく落ち着きを取り戻し, おもむろに立ち上がったKasgaは, この桐の木の丘を立ち去る前に, 警備に当たった警察官たちに一言お礼を直接言いたいと言い出した.
予定していないことを突然求められるというのは迷惑なことでもあるが, Kasgaは現場の人たちに自分のメッセージを直接伝えることを常に意識し大事にする人であった. しかし各自が持ち場を安易に離れるわけにはいかないことから, Kasgaの近くに待機していた警備隊の隊長と調整の結果, 警察官たちが今接続している807チャネルにて, 彼らに話しかけることにした.
“皆さん, 警備に当たっていただいた警察の皆さん, 本当にありがとうございました. 今日, 無事にここでお墓参りができたのは皆さんのおかげです. 私はこれからHanasakaに戻ります. そして, 決戦の日には, 私は私の仕事をします. どんなことが起きても, やるべきことはやり遂げて, そしてまた時々, Tokyoに帰ってきます. 本日はどうもありがとうございました. 重ねて御礼申し上げます. 皆さんもお体を大事にしてお仕事がんばってください. お元気で.”
ごく普通のお礼の言葉にすぎないが, 音声通話が切れた後, それを聞いていた多くの警察官が敬礼をしたと言われている.
Chapter 3.7: Haruki’s Backroom Deal
Scene 3.7.1:
“遅すぎるという話ではなく, 拒否ですよね.”
Castle OfficeのHarukiは, 朝8時からビデオ・オフのオンラインで開かれたBoard of Directorsの会議で, 他のDirectorたちと自分の認識を共有できているか確認した.
“そうやな. 我々が‘Nemophila’に発注した特注品の納期は, 9月28日. 1か月の納期遅延ですわ. まあ普通それぐらいやったら, 業者さんと話して遅延損害金なしで, 納期猶予を認めてますけど, ただ一向に納めようとする気配もないようですな.”
Lerhiも同意した. 彼自身が4月7日にworkshopの“Nemophila”を訪れて, 特別仕様のsword 8本の製作を社長のKageroに直接依頼したのだが, Castle Officeとしては, その特別なswordを, 敵襲の日にRose Gateを守ることになる8人のFighter (正確には1級警備員でもあるFighter) たちに携帯させるつもりであった. (彼らはそれを, 通常のKassenの試合に使うものと区別するために, “Shining Sword”と呼んでいた.)
彼らはNemophila側の要望どおりのリードタイムを確保して発注したはずが, Nemophilaは, あいまいな理由を述べて2ヶ月ほど納入が遅れることを告げてきた. もっとも, それだけであれば納品を拒否しているとまではいえないが, 今回のNemophilaの対応には明らかに疑念を抱かざるを得ない理由があった.
“Nemophilaのような装飾を主にやってるworkshopは, 例えばswordならgripやshaftの部分はメーカーから規格品を仕入れてきて, 彼らは表面上の装飾や加工をしますが, 今回は特別なものですので, 我々から直接, それらをNemophilaに支給しました.
“受け取った彼らとしては, 明らかに規格品とは重さも違うし, 中身は電子デバイスがぎっしり詰まったものなので怪しいと思いますよね. そのためKageroさんや, 彼の妻であり副社長であるSawaeさんは, 店の経営のコンサルをやってもらっているLuiに相談したでしょう. そしてRusty-believersの考え方を持つ彼は, Castle Officeの陰謀に加担してならないと彼らに言ったでしょう. 間違いなく.
“そのLuiは納期の前日である9月27日に警察に逮捕されましたから, 彼らとしては態度を硬化させて, 納品を拒否することにした. そんな感じですね.”
Monicaは, 発注後のKageroとSawaeの様子をまるでずっと監視してすべて分かっていたかのような口ぶりで自分の推理を披露し, さらにPrishaが, “でも, 敵に筒抜けになる可能性がある脆弱な箇所がNemophilaだと分かっていながら, こちらの秘密情報を開示して, ばらまかせて, 追跡して, 敵方のネットワークを把握しようする, Lerhiさんのアイデアはうまくいきましたし, 彼らの態度も想定どおりとも言えますね.”と補足した.
今回のNemophilaへの発注にあたっては, Castle Officeから要求仕様書を出しているが, その電子ファイルは, Castle Officeが管理するサーバー内の, Nemophilaと共有するエリアに置かれ, アクセス権を付与されたNemophilaの人たちがそれを見に行って内容を確認するようになっていた.
そして, そのエリアから自分のサイバーエリアへのダウンロードはCastle Officeの事前の承認なしにはできない設定になっているが, Sawaeから, バックアップ用に1部だけダウンロードさせてほしいとのリクエストを受けた. それに対しCastle Office側はこれを一時的にSawaeのみに1回だけ許可したが, そのダウンロードの際に, その電子ファイルを閲覧したり複製したり共有したりした履歴情報をすべてCastle Office側に送信するプログラムを仕込んでいた.
これ自体は, 情報セキュリティに注意を払っている発注者であれば普通にやっていることである. そのため悪い意図を持った受注者であれば, ダウンロード後, このプログラムを削除するか, 偽の情報を流し続けるよう改ざんする.
ところが, Castle Officeが入れ込んだプログラムの巧妙なのは, 削除したり改ざんしたりされた時に, そうされたと偽装して悪者を満足させ, 実際には削除も改ざんもされずにそのまま動き続けるのである.
Castle Officeの要求仕様書は, 肝心なことはブラックボックスのままで外部的な仕様を示しているだけにすぎないものであったが, その生き残った追跡監視プログラムからの情報によると, それは, SawaeからLuiに送付され, そこからPro-Mayor Factionの人たちや, 市外のRusty-believersと思われる者にも共有されたことが明らかになった. そして警察がにらんでいたとおり, Hanasakaをサタンの都と呼ぶ宗教団体“Awakeners”の信者や, そこと裏でつながっている犯罪組織の“Vaminas”の構成員もその中に含まれていた.
また, Experimental CitiesのPhilosophyに反する思想を持ちながら市民権を持つ“仮面市民”や“内偵市民”をあぶり出したり, 市内で仲間を増やしたり, 市外のRusty-believersからそそのかされたりするのを防ぐ諜報活動をおこなう, Police DepartmentのCyber Patrol Sectionの協力を得て, 要求仕様書をダウンロードしたSawaeのサイバーエリアには, 彼女が受信した様々なメッセージや音声の中から特定の言葉だけを抽出して記録し分析するプログラムも念のため仕込まれた.
そうしたところ, KageroとSawaeの周りに, Awakenersの手が伸びてきていることが分かった. 夫婦自身は信者ではないが, 市外に住むSawaeのいとこは信者になっていた. また, 同じく市外に住むKageroの友人2人も信者であった.
これはRusty-believersが市外から市民に対して実験の遂行にブレーキをかける工作の1つであり, Awakenersは影響力のあるHanasaka市民やその市民と関わりがある人に対して集中的に布教活動をしていた.
ここ数年は効果を出し始め, Goblino市長の思考停止の施策に一定の理解が得られる素地を作り, また“Castle Office黒幕陰謀論”や“Kasga悪魔教祖説”などを通して, Castle OfficeやKasgaのなすことすべてに警戒感を持つよう仕向けられてきたのであった.
そうした工作活動がEquipmentの製作や装飾等に従事する者やFighterたちにもおこなわれ, 多かれ少なかれ影響を受けることは, Kassen communityを統括するCastle Officeとしては当然受け入れられないことであり, ましてその頂点に立つKasgaの親友であるKeikoの兄夫婦たちがその毒の影響を受けつつあるのは, Directorたちを焦らせる要因の1つとなった.
“では, Harukiさんとしては, EISに立入検査を指示して, 無理やり納品させるおつもりですか?”
Lerhiの問いに対してHarukiは, “はい. まあ実際は, ほかの業者に作ってもらって, 全部そろっていますし, メーカーによる単体試験はOKです. 今日, 我々がおこなう組み合わせ試験もおおよそ問題なくいけそうなんで, 当日までに総合試験も間に合うでしょう. なので拒否されても問題はありませんが, Keikoさんが使うことになる‘Shining Sword’だけはNemophilaが作ったほうが彼女としても気持ちが乗ると思いますんで, それだけでも作ってもらえないか, 彼に聞いてみようと思います.”と答えた.
結局, Nemophilaへの発注は, 実行されなかったとしてもさしたる影響はなく, 主に諜報のためにやったにすぎなかった. 従って, 彼らが納品を拒んでいるのであれば, そのまま放っておいても問題はないのだが, Harukiは, Keikoが使うことになるswordだけはこだわり, 実際にそれを手にする彼女の手の大きさ, 握力, 握り方など, 詳細なデータを持ち, 本人が握りやすく使いやすいようにgripに組みひもを巻いて微調整をして仕上げることができるNemophilaに, できれば今からでも作業を再開してもらいたかったのだ.
ただ, Kassenの試合に使うわけではない本物の武器について, しかも不正改造の疑いがあるわけでなく, 納品を拒否しているということに対して, 規約上そうした立入検査は可能なのか, Harukiは法務担当DirectorのPrishaに規則との適合性を念のため確認した.
“Kassen Regulationsの中に, EISが立入検査をおこなえる理由が列記されている箇所がありますが, その最後に, ‘Equipmentを扱う事業者がCastle OfficeによるEquipmentの適切な管理を妨げる行為をおこなった, またはおこなおうとしている疑いがあるとき.’と書かれています. 先のSpring Gamesで, Equipment管理システムが攻撃されましたが, その攻撃元の1つとしてNemophilaが挙がっていることを理由として掲げてはいかがでしょう?”
実際には彼らは攻撃の踏み台にされたことは確認されていたが, それだけにすぎないため, Prishaの提案はやや強引さを感じながらもHarukiは一応納得し, “今回は私も同行することにします. やや危険を伴うことになりますから. それに警察の応援も頼みます.”と補足した.
“そうしてください. EISのメンバーの安全が第一です. 立ち入る人員も慎重に選んでください.”
スタッフの健康や安全管理の責任者であるMonicaが注文を付けたうえで, “もし, 立ち入っても納品を拒否されたらどうするのですか?”と, Harukiに善後策があるのか尋ねた.
“彼は, 拒否しませんよ.”
Scene 3.7.2:
Kassenの試合のない日で休暇を取っていたため自宅で遅めの朝食をとり, 家族とくつろいでいたJuliaに, Harukiから電話がかかってきた. Juliaは, 自宅にいる時はsmart glassesを時々外して, 自分の脳をオフラインにしていた.
この時代の人たちは, 仮想空間にいる時と同程度の情報を現実世界で視覚的に得るにsmart glassesを常にかけており, その拡張された情報なしではとても日常生活を送れなくなっていた. 目の上にかぶせる拡張現実装置は, 以前までは基本的に視力の弱い人の視力を補うものであったが, 今は全人類にとって必要なアイテムであり, それを不便だと感じる人はほとんどいなかった. Nexus Unitもsmart glassesも持たずに, 自前の目と耳だけで現実世界の中を歩き回るなど, いかだで太平洋を渡るようなもので, 非常に頼りなく危険なことに思えたからだ.
ただ, 波がほとんどなく危険な水中生物も人間もいない池の上であれば, いかだを浮かべてのんびりするのも悪くはない. Juliaもそんな感覚で現代人に必要なギミックを時々外して, 生身の自分を味わっていたのである.
仕事仲間からの休日のいきなりのコールはたいていはろくなことがないが, Juliaは, キッチン・カウンターに置いていたsmart glassesを慌ててかけて, キッチン・タイマーの鳴動を止めるのに何のためらいもないのと同様に, 仮想空間上のベルを止めて応答した.
Harukiは, Board of Directorsの会議で話し合った, workshop “Nemophila”への立入検査について, それを実行するセクションの長であるJuliaに単刀直入に説明した.
それに対してJuliaが, “実施日はいつですか?”と事務的に尋ねると, Harukiは, 10月30日に実施したい旨を伝えた. 彼女はAR viewの左上に表示されている日付が10月28日であることを確認し, “じゃあ今すぐにでも, 遅くとも今日中には事前通告をしないといけません. 規則上, 36時間前までに通告することになっていますので.”と, 急ぎの仕事として処理する必要があることを告げた.
“急かして申し訳ない. できますか?”
“できます. ただ, すみません, こんなイレギュラーな形で実施する必要性がいまひとつ理解できていません. Shining Swordも, 本人が使うのに支障のないものがCastle Officeとしては一応すでに手元にあるわけですよね. なのにわざわざ規則上, きわどいことまでやって, しかも空振りするかもしれないのに, そこまでやる意味が分からないのですが…”
Juliaは, 自分のボスの指示に口うるさくいちいち異論を唱えるタイプではなかったが, 盲従するわけでもなかった.
“私の思いは別にあるんじゃないかってことだね?”
Harukiも, 今こうして話をしている自分の部下が, 上長の真意を理解したうえで行動した場合は想定以上のパフォーマンスを出してくれるタイプであることを分かっていた.
“そうです. やはり…, あのクレイジーなやつらですか?”
Juliaの質問にHarukiは, ハハッと短く笑い, “まあ, そうかな. あの夫婦まで信者になられると困りますからね.”と白状した. 5秒ほど沈黙が続いた後, Juliaが, “分かりました.”と承諾し, “久しぶりですね. Harukiさんが危険な仕事を私に振るのは.”と, やや声を弾ませて付け加えた.
“そろそろどうかなと思って.”
“お気遣いありがとうございます. 1年前の傷はもう癒えています.”
“分かりました. じゃあ, 好きなようにやってくれたらいいです.”
“承知しました. ご信頼にお応えします.”
少しかしこまった様子のJuliaにHarukiは, “もちろん信頼しているさ.”とさわやかに答えた.
“ありがとうございます. 私は, その…, いつも一匹狼のように動くHarukiさんが私を頼ってくださって, うれしいのです.”
HarukiはCastle OfficeのDirectorの中で際立ってミステリアスだと多くのスタッフが思っていた. 日常業務のほとんどをSection Managerたちに任せてしまい, 1年の半分は職場におらず, しかもどこに行っているか不明なこともあり, そしてたいていは単独行動だった. 市外に出かけていることも多く, 1週間以上帰ってこないこともあった.
5月11日にHarukiがTokyoで逮捕された時も, その1週間前から彼は姿を消していた. そしてそもそもあの時なぜHarukiが怪しい武器製造業者と一緒にいたのかについて, 一般には, 不正改造品の所在を確認するためにひそかに立入検査を行っていたと説明されているが, Castle Officeのスタッフからすればそれは不自然であった.
にもかかわらず, Harukiは彼らに詳しい話を語ろうとはしなかったし, 彼らも聞き出そうとしなかった. なぜならHarukiは, KassenやCastle Officeのために人には言えない仕事をする役割の人なのであろうと, 多くのスタッフが思っていたからである.
そんな謎だらけのDirector Harukiであったが, スタッフから厚く信頼されていた. テロリストによってCastle Keepが攻撃された時も, その前日に彼の的確な指示により彼らが総出で準備をしたため, 死傷者を出さずに済んだし, 普段から誰に対しても静かで優しく接し, 身長180センチほどで体格が良く, 鍛えられた肉体を持ち, 逆らったら殺されそうだと思える雰囲気も持つ, ちょっとワイルドで頼もしい中年のおじさんとして人気があった.
そして彼は実際に裏の仕事をする者であり, 裏の世界でも信頼されている者であった.
5月11日の朝7時頃, 彼は, ある武器レンタル業者とTokyoでひそかに会っていた.
シェアリング・エコノミーの考えは武器の世界でも広がり, 品質的に問題のない銃を利用したい人に対して, 必要なものを必要な時だけ, 安価に貸し出すサービスを提供する者が現れていた. 銃にチップが組み込まれ, レンタル期間中しか引き金のロックを解除できないように仕組んでおり, もちろんそのチップを取り除こうとすればチップ内にある所在確認のための信号の発出が止まり, 契約違反の使用をしていることが貸主に分かってしまうようになっている. レンタル期間を好きなだけ延長できる, サブスクリプション・サービスのような形で提供する場合もある. (Hanasaka Cityではそうしたサービスをおこなうことはそもそも違法である.)
そうしたレンタル銃は, 銃の所持が認められていない国では, 人間が直接会って受け渡されるのではなく, 闇の仮想空間で注文を受け付けて宅配便で送られる. 彼らは例えば, 数個のパーツに分解したうえで, ダミーで用意した別の部品も一緒に送り, 受領者がそのダミーの部品を組み合わせるとおもちゃの銃ができ上がるのだが, 注意深く説明書を読んで, そのダミーの部品を脇によけて組み立てると本物の銃が組み立てられる. 利用者は, レンタル期間が終われば, 届けられた時の荷姿に戻して返品するのである. (Hanasaka Cityでは銃の利用はそもそも違法である.)
そして銃弾については, Harukiが会った業者は, Kassenの試合で使用するarrowの直径2.5センチのarrow-headやspearのshaftの中に入れ込んで, Kassenの試合で使用するarrowやspearであるとして届けていた.
それがゆえにHarukiに知られることになり, 彼はHanasaka Cityの外で何度か実際にその危険物を注文しながら, ついにそのサービス業者のオフィスの場所を見つけ出し, さらにその組織の長であり, 本名不明のMukadeと呼ばれる男の自宅まで突き止めたのであった.
“いやぁ, Castle OfficeのDirectorが本当にのこのこやって来るとは思わなかった. しかもおれが早起きだということも知ったうえで. ま, ‘Facial Disguise’を付けているようだから, 素顔は分からんが, 体型や歩き方からして機械は本人だろうと認めているようなんで, 一応, おれもそう信じることにした. もちろんおれも付けているけどな.”
Tokyoの閑静な住宅地の中の一軒家で, 木々の枝に止まる鳥たちのさえずりを聞きながら, 朝日が入る明るい部屋の中央で, しかもお互いに立ったままの姿勢で2人は対面した.
Harukiがこの部屋に入る前に, 彼は住宅にしては不必要に長い廊下を歩かされ, そこで様々な角度からモニタリングをされ生体情報を取られたのは分かっていた. 彼が危険を冒してまでこの犯罪組織の長のMukadeに自ら会いに来たのは, 相手に信頼してもらうためである. まずは自分がリスク・テイクしたことを示したのである.
“早起きは三文の徳. 私も同じだ.”
HarukiはCastle Officeのスタッフたちに接しているときとはまるで違って, 不愛想で全く感情を出さずに低い声で短く答えた.
“で, 話を聞こう. 商売の話以外は興味ないぜ.”
相手は余計なおしゃべりが嫌いなようで, 要件を早く言うよう促した.
“この男が, ある過激派集団に武器を貸与しようとしていることは分かっている. そこで, 君が横取りしてやつらに武器をより安く貸与する. もちろんその武器を実際に使おうとする時にはロックがかかって, アンロックされないよう小細工する.”
Harukiはそう言いながら, Kasgaの演説の翌日にTokyoの警察によって逮捕される運命にある, 犯罪集団の“Vaminas”の幹部の1人の写真をMukadeに見せた.
Mukadeは, この瞬間, Castle Officeが, いやこの目の前にいる男が恐ろしい存在であることを理解した. すでに自分自身のプロファイリングを済ませて, 最大の効果を得られる力点を理解したうえでプッシュしてきていると見て間違いないからだ.
まず, この写真の男, Nezmanが率いる一派のマーケットに, Mukadeたちの組織が浸食し始め, ユーザーの奪い合いが生じていたため, 血生臭い戦いが近い将来起きることを覚悟しているMukadeにとって, Nezmanは今のうちに打ち負かせられるならそうしたい相手であった.
そしてHarukiがいう“ある過激派集団”とは, 宗教団体の“Awakeners”と関連があるRusty-believersの武闘派集団であろうと推測できた. なぜなら, Nezmanが所属するVaminasがAwakenersと組んで, 宗教団体と暴力団が連携するエコシステムのようなものを構築していることは, 裏の世界では一般常識であるからだ.
しかもその集団に, 使えない武器を貸し出してその活動を妨害することを提案してくるということは, 彼は, MukadeがAwakenersに決して味方しないことを事前に調べて確認しているからに違いない. さらに言えば, Mukadeがそうしたエコシステムを生理的に嫌がり, 自分たちの組織を彼らよりももっと大きなものにして, いずれは彼らを駆逐したいという強い野心を持っていることまで見透かされていてもおかしくない.
“横取りと言っても, 相手はVaminasだぞ.”
“心配するな. 2か月ほど待ってほしいんだが, 障害はこちらで取り除く.”
まるで道路をふさいでいる落石を取り除く経験豊富な工事業者のように, 作業に必要な期間を淡々と示すHarukiに対して, “2か月もその作業に時間がかかるのか.”と不満を述べた.
するとHarukiは, “君は若くて野心もあるが, 大きなことを成すには何よりも忍耐が必要だ. 絶妙なタイミングが来るのを待って一撃で仕留める. これは裏社会のビジネスでも鉄則だろう.”と説教した.
初めて会う者に偉そうに言われて自尊心を少し傷つけられたが, Mukadeは, 2カ月と具体的に見積もっているということはすでに何らかの算段があるのだろうと冷静に考えて, “そこまで言うのなら, 結果を見せてほしい.”と要求した.
“当然だ. 君が今日, 私の提案を受け入れたら手配を進める. 君は, 目下のライバル集団がこの夏にはマーケットのプレイヤーから取り除かれることを前提に, 事業拡大の準備をしていればいい.”
Mukadeは, どうとでも解釈できる教義や信念を語るやつは嫌いだったため, Harukiのビジネスライクな言い方に気分が多少良くなった.
“しかし仮にあんたがそれを取り除いてくれたとしても, おれがあんたとの約束を守って, その過激派集団に使えない武器を貸し出すとは限らないんじゃないのか? しかも割安な値段で提供するなんて, 差額分はあんたが埋めてくれるのか?”
Mukadeは, 悪ぶった態度を見せながら, Harukiがどこまで自分を調べ上げているのかを探った.
“君たちに金など渡さん. そんなことするわけない. ただ…, 君が心から憎んでいる相手が近いうちにこの世から消えるとしたら, 悪くはない話だと思うがね…”
Mukadeは, 驚きの表情を一瞬, 表に出してしまった.
“やはり, こいつはおれの過去を知っている. おれがどれだけあいつらにひどい目に遭わされ, どれだけ憎んでいるかを.”
Mukadeは観念せざるを得なかった. 彼は, Awakenersによって家族を崩壊させられていたのだ. 仮にHarukiがその“心から憎んでいる相手”を消してくれたら, 自分は狂喜してHarukiとの約束を果たしてしまうだろうと思わざるを得なかった.
しかしそう簡単に行くのだろうか. すでに結果は見えているかのように語る彼の自信はどこから来ているのだろうか. そう思案しているとHarukiが, “君が私のことを, なぜ将来のことをそう確定的に話すのかと疑いたくなるのは分かる.”と, 彼の心理を見透かしているかのように言った.
“これから私は, 近くにある, Vaminasと関連のある組織の作業場を訪問しようと思っている. これは1つの占いのようなものだが, どうやら…, Tokyoの警察の一部が私を無実の罪で逮捕したくて仕方ないようなんで, ちょっと逮捕されようかと思っている.
“私が‘Facial Disguise’を外して, 刀剣類に関する法律に違反する匂いがプンプンするその作業場にいたら, 警察官が10時ぐらいにそこに踏み込んできて, 周りのやつらと一緒に私を逮捕するだろう. まあ, 私は何もしていないと主張してすぐに釈放されるだろうけどね.
“君たちはそれを少し離れたところから観察していればいい. 本当にそうなったら, 私が未来に起こることを話すことができる人間であることを立証したことになるだろう.”
Scene 3.7.3:
そしてその日, 事実そのとおりに事は展開した.
さらに, おおよそ2か月後, ライバルのNezmanはTokyoの警察に逮捕された.
そしてその1か月足らず後には憎きカルト教団の教祖が不審死を遂げた.
MukadeはHarukiの有言実行ぶりに舌を巻き, Nezmanが警察の監視下に置かれている間に彼の縄張りを電光石火で侵略し, 彼の顧客だった過激派集団も自らの顧客としたうえで, 本番で全く役に立たないことになる銃器をその顧客に貸与した.
具体的には, デューデイトをレンタル期間の最終日としながらも, 引き金を引こうとした場所がHanasaka City内だとチップが位置情報を読み取ってレンタル期間を満了させロックをかけ, しかもそのロックを自分で解除できないようにひそかに仕込んだ.
そしてその後も手厚いサポートを継続してその顧客に対して, 自らの銃器に仕掛けたトリックがばれないように磨きをかけ, 銃器と合わせて貸与していた刀剣類にも小細工を施していった.
もちろん, MukadeとCastle Officeとの間では一切の金銭の授受はなく, Harukiとの間でもあの日一度2人きりで直接会っただけで, 何の連絡もお互いに取り合ってはいない. そもそもNezmanの逮捕や最高覚醒者の死にHarukiが関わっていたという証拠は一切ないにもかかわらず, Mukadeは彼の期待に応えたのだ.
つまり11月9日の決戦は, 彼らが勢いよく武器を持って攻めてきたとしても, 血生臭い殺し合いになる前に彼らの自壊によりあっという間に終わるようHarukiはひそかに手配を整えていたのであった. そしてこのことは4人のDirectorしか知らない極秘事項であった.
もちろん敵がShark Teeth作戦に乗らずに, それより前にあるいはそれより後に, 何らかの方法で攻撃してくる可能性は否めない. しかしその可能性について, Floraは, Castle OfficeのDirectorやPolice Departmentの幹部たちには, 11月3日頃までと言っていたラビリンスの縛りを11月8日まで延ばせる自信を示し, 11月10日以降については“Kochipina”のリソースの支援を受けて確実に敵のAIを粉砕する手はずが整っていることを, 以前よりも明確に表明していた.
しかしPolice Departmentは, 決戦日がまだ来ていないからといって, 捜査や警戒の手を緩めてはいなかった.
Hanasakaに敵対的な団体の筆頭株である“Awakeners”は, 教祖の急死によって幹部たちが猜疑心をもって身内どうしで責任のなすりつけ合いをしていたにもかかわらず, 末端の小組織たちは健全に機能し続け, 悪魔退治のフロント・ラインであるHanasaka市民への工作部隊は, デューデイトに城攻めをする別働の突撃部隊の側面支援をすべく, 市内各所で当日にかく乱行動をおこなうことをくわだてていることが, 捜査活動を通じて明らかになっていたからだ.
そのため彼らは, 市民たちに対して, 社会の秩序を乱す不穏なことをそそのかされたり, やろうとしている人を見聞きしたりしたら, 警察に連絡するよう呼びかけ, 不気味な精神汚染を食い止めようとした.
その不穏な動きを報告するコールが, Harukiとの通話を終えたばかりのJuliaに入ってきた.
“ご無沙汰しています.”
JuliaがAR viewに表示された応答ボタンを押すや, 1年ぶりに聞く声が鼓膜を叩いた.
“あら, 久しぶり. お元気ですか?”
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