Part 2: The Ninth Summer
Chapter 2.4: The Looming Shadow of the Mayor
Scene 2.4.1:
“断じて許さん!”
Garnet EastのClub ManagerのRudraは, 両こぶしで机を叩いた.
“今回の逮捕もどうせあいつが黒幕だろ. だいたいあいつは, Kasgaさんの, その…, 上半身の一部を触るなどという, とんでもないけしからんことをしたうえに, 熱愛スキャンダルなどでっち上げて自ら広めた時点で, ボコボコのメチャメチャのグチャグチャにして, 城の堀に蹴り飛ばして沈めるべきだったのだ.”
Rudraは怒り心頭であった.
“Rudraさんの見解の大部分は賛成しますが, 最後の部分だけ反対します. 我らの神聖な城の堀に, あのような汚らわしい物体を放り込むべきではない. Hanasaka湾の沖で船から突き落とせばよい.”
Emerald NorthのClub ManagerのAlcesが冷静に補足意見を述べると, “おぁ, さすがAlcesさん, おっしゃるとおりだ.”とRudraも追従した.
“そういう野蛮な行為はHanafolkらしくありません. おふたりとも本当はKasgaさんの胸の近くを触ったGoblinoが憎たらしいほどうらやましいんじゃないですか?”
Sapphire WestのClub ManagerのAilaがさらに冷静に突っ込むと, RudraとAlcesのみならず, Topaz SouthのClub ManagerのCristaも赤面しながら, “No!”と同じ言葉を同時に発し, 思わず3人で唱和した.
そしてすかさずRudraが, “そもそも気安く, 胸とか言わないでほしい.”と抗議すると, Ailaが, “あら, 今, Rudraさんも, 胸っておっしゃいましたよ. もしかして, ついでに想像されたんじゃないですか?”とからかった.
“Ailaさん, ちょっとGoblinoっぽくなってるわよ. だいたいあいつは, 私に対してもいやらしい目で見てくるし, なぜあんなヤツがこの崇高な理念を掲げるHanasakaの市長なのか, さっぱり分からない. 直ちにリコールして, 市民権をはく奪して市から追放したい.”
Cristaは, Goblino市長が生理的にも理論的にも受け入れられない存在だと主張した.
“あの, 皆さん! 今日は, 市長のKasgaさんに対する先月のセクハラ行為に対して議論するためにお集まりいただいたのではありません.”
Castle OfficeのDirector Monicaがレベルの低い議論にあきれて, 机をコツコツ叩いて変な盛り上がりを鎮めた. Monicaは, 人事, 経理, 職場環境などに関する事項を担当しているが, 重要な会議の取りまとめもしていたため, この会議を急きょ招集したのも彼女であった.
“そうです. ご存じのとおり, 今日の午前中に, うちのDirectorのHarukiとLerhiが逮捕されて, Castle Officeとしては4人いるDirectorののうち2人がいなくなるという極めて異常な状況に陥った中で, 一連の市長側からの攻勢に対してどう立ち向かっていくかを決めるために, 今日, ‘Council’を開催したのです.”
もう1人のDirectorで, 法務, 規則, 情報システム関係を担当するPrishaが, 会議の目的を述べた.
彼女が言った“Council”は, 正式には“Kassen Representative Council”といい, Castle Officeの経営者であるDirector 4人と市内のclubの代表者であるClub Manager 4人の計8人で構成される. 原則非公開の会議体で, Castle Officeだけで決めるのが適当でない, Kassen communityにおける重要な問題が発生したときに, その8人の誰かの提案により開催され, 会議の進行はCastle Officeの総務的事項を担当するDirectorが務めることになっていた.
その6人が集まったのはCastle OfficeのGreen Houseの地下にある電磁シールドが張られた会議室であった. この部屋は正方形に作られており, 中央には円卓が設けられ, その円周に等間隔にいすが置かれ, 今, 6人が座っているが, Alcesが, 空席が3つあることに気づき, “全部で9?”と疑問を呈した.
“さすが, 鋭いですね. はい, HarukiとLerhiの2人分が空いているのは当然ですが, もう1つ用意したのは, 本日, Kasgaさんにお座りいただきたいためです. まさにそれが今日の会議の最初の議題です.”
Monicaは4人のClub Managerたちの顔を見て反応をうかがった.
“Monicaさん, どうぞ説明を続けてください.”
Ailaが, その議題自体に異議はない旨表明した.
“はい. Castle Officeとしては, Kassen communityの最高意思決定機関ともいえるこの会議のメンバーにKasgaさんを加えたいと考えていました. ご存じのとおり, Kasgaさんは, Kassenの広告のための形式的な存在であって, それを業務委託契約に基づき, 我々が歌手のKasga Wisteriaさんに演じていただくことをお願いしています. そのため, Kassenの運営について実質的に関わることはなく, 我々が決めたことを, 決められたとおりに, Unifierとして振る舞っていただくだけでした.”
Monicaは, 額に一筋の汗を垂らしながら, さらに説明を続けた.
“しかしながら敵の目的は, このCastle Parkと城の奪還と, おそらくKasgaさんの殺害.”
ここでCristaが, “ちょっとお待ちください. あいつの考えは, Kassen廃止論にひそかに便乗してKassenがなくなればいいという程度ではないのですか? 彼女自身を殺すことまで本当に考えているのですか?”と口を挟んだ.
“はい, おそらく. 我々の内偵によると, 彼がそう考えていると思えるいくつかの情報をつかんでいます.”
Prishaが補足した.
“となるとヤツの狙いはKasgaさんがお持ちのswordを奪うことなのか? それとも永久無効化なのか? あのswordはKasgaさんの生体情報が切れた瞬間に単なる刀剣になる. だからヤツは, Kasgaさんが生きていない状態にしたいのか?”
Alcesはあごをさすりながら深読みしてみた.
Kasgaが持つswordは, Fighterが試合で使うものより短く, daggerよりは長い中型のもので, bladeは45センチメートルほどあり, 金属でできている. つまり, 殺傷能力のある護身用のswordとして一応作られている.
Alcesの推論に対してRudraが, “いや, あいつはあのswordの本当の効用を知るはずもない. あの密約を結んだ時のCity Office側の関係者だったLeonさんは知っていたが, 秘密を抱いたまま亡くなった. もしヤツがそれを知っていたらそう考えたくなるのも分からなくはないが, 絶対知らないはずだ.”と反論した.
“Rudraさんがおっしゃるとおり, 彼は知りません. ただ, 彼は鋭い直感で, 単なるマスコットにすぎないとCastle Officeが言っているKasgaさんがこのHanasakaで何か重要な機能を持っていて, それが, 自分がHanasakaを支配するうえでの障害になっているのではないかと考えているようです. つまり彼は, Kasgaさんが生きたままだと, 彼女が持つ謎めいた力によって, 本当の意味でHanasakaを実効支配できないと考えているようです.”
Prishaの説明を聞いて, 4人のClub Managerたちは同時に舌打ちした.
“議題に戻りますが, ご存じのとおり, Kassenは, この都市の実験のために開発されたスポーツであり, それ自体が実験であり, Floraにとって重要な役割と機能を持っています. そのため我々は, Hanasaka City誕生の際のCity Officeとの密約に基づき, ‘Philosophy’の番人であり続けなければならないという使命があります. そして我々は, 市長やCity Officeがそれを怠ったりないがしろにしたりしないよう牽制する勢力でもあります.
“前市長までは実験の推進に積極的でしたので我々はそれに協力しているだけでよかったと言えます. しかし慣性でしか実験が進まなくなった今, 我々は実効的な影響力を行使する必要があります. そのためには, 市長が何を考えていようとも, Kasgaさんには, 従来のように我々の注文どおりに演じていただくだけではなく, 我々と一緒に意思決定にも参画いただき, その決定事項に基づいて自らの意思で動いていただく必要があります.”
Monicaの説明をそこまで聞いた時点でRudraはこの議題の意味を理解し, “Monicaさん, 分かりました. 私はKasgaさんがこの会議のメンバーに加わることに賛成です. だいたい私は以前から, Kasgaさんを軽んじすぎていると主張してきたぐらいだ. だからこれは至極当然だと思っています.”と, 早々に賛成の意を示した.
“私も異論はないですが, Kasgaさんの意思は確認しましたか?”
Alcesも同意しつつ, Castle Officeが自分たちの判断だけで決めたのか, 念のため尋ねた.
“はい. 先ほどMonicaさんと一緒に確認しました. Kasgaさんは, 会議のメンバーの全員の一致した考えならばそれに従うとおっしゃっています. Castle Officeの4人のDirectorの考えは, Kasgaさんの加入を求めることですでに一致しています.”
Prishaの回答にAlcesは満足したが, Cristaは別の質問を投げた.
“Kasgaさんは, ご自身が持っているswordが何らかの特別なものであることは分かっていらっしゃると思いますが, 本当の効用はご存じないと思ってよろしいですね. そして, 当面の間, それを教えるつもりもないですよね?”
“もちろんです. すべての真実を知れば彼女は精神的に崩壊する可能性があります.”
Monicaは重く厳しく冷たい表情で, 誰とも視線を合わせずにうつむいたまま答えた.
“分かりました. であれば私も賛成します. では, 最後の1人, Ailaさんはどうですか?”
Cristaは, Ailaに意思表示を促した. 振られたAilaは少し緊張した面持ちだった.
“私は…, 初めてKasgaさんにお会いしたときのことを今ふと思い出しました. なんと言うか, 雷に打たれたかのようなあの衝撃を今でも忘れられません. 全身が硬直するとともに, 気持ちが穏やかになり優しくなる, 不思議な感覚でした. 彼女こそは私たちの真のリーダーだと直感し, 彼女についていきたいと思いました. だから私は, 理屈抜きで彼女が大好きですし, この会議への参加を心より歓迎します.”
“これで決まりだな. いつも理知的なAilaさんにしては珍しく情熱的だったが, 我々4つのclubの締めのセリフとしてこの上ない. さすがです.”
Rudraがそう言って手を叩くと, 会場の全員が拍手をした.
“では, Kasgaさんをこちらにお連れします. 別室ですでにお待ちですので.”
Prishaが席を立ち, 扉のそばの生体認証装置に自分の手をかざして扉のロックを解除させて部屋から出ていった.
Scene 2.4.2:
そしてちょうど1分後, 170センチ余りの背の高さのKasgaがPrishaとともに, この秘密会議専用の部屋に入ると, 室内にいた5人全員が起立した. ややクリーム色の白のシャツの上に黒いジャケットを着て, その上から肩甲骨の下まで伸びる黒く滑らかな髪がスカーフのようにかぶさっていた. 彼女はビジネスウェアとしてはスカートを着用しない主義で, スリムな黒いパンツをはいていた.
Monicaが, Castle OfficeのロゴとHanasaka Cityの紋章である“Four Heart Emblem”がそれぞれ描かれた2枚のタペストリーが掛かっている壁を真後ろにする席にKasgaを案内して座らせ, その後に残りの6人も着席した. 普段この席はCastle OfficeのDirectorのうち誰かが座っているが, Kasgaがここに座ると, 以前からずっとそこは彼女専用の席であったような感覚に皆が包まれた.
“この会議への参加を認めていただきまして, ありがとうございます.”
Kasgaは穏やかな表情で一同に礼を述べたが, いつものような, 一気にその場を和ませる笑顔は見せなかった. HarukiとLerhiの逮捕の報を聞いて不安の気持ちでいっぱいであり, 気を抜くとすぐに暗い表情になるのを, 無理やり阻止している感じにすら見えた.
“失礼ながら, 憂うるお顔もまた美しい.”
AilaはうっとりとKasgaを眺めていた. RudraとCristaは感情移入しすぎなのか目に涙があふれ, Alcesは自分の心理状態を悟られまいと, 会議室の少し上のほうに視線を置いていた.
“では早速議題に入ります. 本日10時頃に, Director HarukiとDirector Lerhiが相次いで, 別々の容疑でTokyoの警察に逮捕されたことについてです. Castle Officeとしては, いずれも逮捕されるべき事実はなく, 速やかに解放されることを望む旨, 11時頃にとりあえず短い声明は出しています. そしてこの後, 18時ぐらいに我々の考えをもう少し詳しく発表する予定です. その発表内容については後ほど皆さんと話し合いたいのですが, まずは今回の逮捕について我々が把握している情報を皆さんと共有するために, Prishaさんから説明してもらいます.”
Monicaは, 冷静に事の経緯を説明することを得意とするPrishaにバトンを渡した.
“はい. まず, Lerhiさんですが, 昨夜は, 動画配信サービス大手の“Propagan”の幹部とTokyoのShinjukuでお会いしています. Castle Officeからは誰も同行していませんが, Kasgaさんが所属する会社の社長のNaoeさんが同行していました.
おそらく夜のShinjukuの歓楽街のどこかでカバンに忍び込まされたのだと思います. ただ, 常時蓄積しているLerhiさんのバイオデータを見れば, 少なくとも覚せい剤を使用はしていないと分かるでしょう. とはいえ, 知らぬ間にカバンに入れられたのだと証明することは難しいと思います.
ただ警察側の動きも奇妙なところがあります. Naoeさんから聞いた話では, 2人が宿泊していたホテルから出てしばらく歩いていたところを, 警察官に呼び止められたそうです. そして, 任意だと言いながら, カバンを開けるよう求めてきたそうです. これは何か怪しいトリックがあるような気がします.”
“明らかに怪しい. 昨夜じゃなくて, そのカバンを開けた時点が一番怪しい.”
Alcesの推論に対してPrishaは, “そうかもしれません. しかし犯罪をでっち上げるトリックがバレたら大変なことになります. そこまでのリスクを彼らが背負うでしょうか? 彼らにはそこまでする動機がないでしょう.”と疑問を唱えた.
“まあ確かに, ‘Moto’の警察としてはCastle Officeと敵対関係にあるわけではないし, 去年, 彼らは防犯ポスターに我々Fighterたちを使ったぐらいですから, 彼らにとってはCastle Officeを怒らせても何の得もないし, どちらかというと損でしょうね.”
Alcesが同調するとPrishaは, “おそらくそうだと思います. そうすると, これは彼らの中の一派が, どこかから頼まれて, しばらくの間捕まえておくことだけを目的に実行したと考えています. つまり, 不起訴となって釈放される可能性大だと考えています.”と, 自らの仮説を説明した.
Kasgaの顔色に少し明るさが戻った.
“それはいいことだけど, なぜそんな逮捕ごっこみたいなことをするのですか?”
Cristaの質問に対してMonicaが, “脅しですよ. おまえたちはいつでもどこでも捕まえようと思えば捕まえられるんだぞと. 今回の逮捕劇を仕組んだやつらに頼んだのはおそらくGoblino市長か, 彼に同調する“Pro-Mayor Faction”の連中でしょう. 市内で捕まえないところが巧妙ね.”と答えた.
“Monicaさんの言うとおりです. 市長としては, 自分の欲望を隠すために, Castle Officeとは協力関係にあると世間には思わせたいはずです. そのため, Castle Officeが困った事態になっているのはAnti-HanasakaのRusty-believersが画策しているからだと思わせたいはずで, 彼は, もし説明を求められれば, 今回の逮捕は市外の警察の中のAnti-Hanasakaの思想に染まった人がやったんだと説明するでしょう.
“一方, 我々も, 市長からのあの要求内容が世間に知られるのはまずい. そのため我々も, 今のこの状態はRusty-believersが画策しているからだと説明するのが得策だと思っています. Spring Gamesの時にKasgaさんの名前で出した檄文も, そう思わせるような文章にしましたし, 今後もそうしたいと思います.”
Prishaの説明に対して, ずっと黙って聞いていたKasgaが, “あの, すみません.”と割って入った.
“よく分かっていないのですが, 市長はCastle Officeに何を要求しているのですか?”
事情を知らない者からすれば当然の質問だったが, 会議室内が重たい沈黙に覆われた. いつまでも黙っていてはKasgaに疑念を抱かれるため, Monicaが口を開いた.
“実は, 市長がこのCastle Parkと城の所有権を渡すよう要求しています. あまり知られていませんが, このCastle Parkの土地とその上の建物はCastle Officeが所有権者となっています. これはHanasaka Cityが設立された時に, Castle Officeと市との契約で我々が購入したのです. 我々はここをKassenのテーマパークとして自由に開発したかったからです. でも, ここからは憶測が入りますが, 市長は, Kassen communityを自分の支配下に置きたくて, 所有権を返すよう要求してきているのです. 彼は私たちが力を持ちすぎていて, やがてはこのHanasakaを実質的に支配するのは我々だろうと危惧しているようです.”
これに対してKasgaは, “ご説明ありがとうございます.”と礼を言いつつ, 少し考えこんだうえで, “でもそれなら, 私たちは市長の要求内容を公にして, 我々に支配欲がないことも示して, 正々堂々と彼にあきらめさせてはどうですか?”と, 至極真っ当な意見を提示した.
会議室の空気はさらに重たくなり酸欠状態に陥ったような感覚に襲われた. とはいえ, やはりいつまでも答えないままだと本当に窒息しそうだったためMonicaが再び意を決して, “その…, 実は…”と言いかけると, Cristaが, “やめて. どうか言わないで.”と, 今にも泣き出しそうな顔をして訴えた.
Kasgaはその様子を見て目を大きくし驚いたが, “あの, こういうことを言うとすごく生意気なのは分かっているのですが…”と前置きしたうえで, “いろいろ隠されると, 私がここにいる意味がないと思います. 皆さんのご議論の邪魔になるだけですので, やっぱりこの会議のメンバーになるのはやめようかと…”と言いかけると, Monicaが慌てて, “すみません.”と謝ってKasgaの言葉を遮った.
“申し訳ございません. 我々はただ, Kasgaさんがショックを受けないか心配なのですが, 大変失礼いたしました. では…, はっきり申し上げます.”
Monicaは唾をのんだ.
“ご存じのとおり, City OfficeとCastle Officeはともに‘Philosophy’を守るために協力し合う関係ですが, 今の市長は現実と安易に妥協して何も進めようとしないタイプです. そればかりかそもそもPhilosophy自体を理解しているのかどうか怪しい行動すらします. 一方, KasgaさんはPhilosophyに忠実で, 人々を明るい未来に導こうとされていますので, 市民から見れば, Kasgaさんのほうが彼なんかよりますます輝いて, Hanasakaの太陽のような存在になっています.
“そんなKasgaさんを…, 市長は…, 大変申し上げにくいのですが, うっとうしくて憎いのです. 自分よりも輝く人のように自分もなりたいと思って努力するわけではなく, 自分よりも輝く人を支えようとするわけでもなく, 自分より輝く人を単に消したいだけなのです. Goblino市長はそういう陰険な人です. KassenからUnifierというものをなくし, 土地と城を奪い, Kassenを単なるスポーツ・イベントにしたいのです. 同じHanafolkとして信じがたいことですが, 彼にとってPhilosophyなんて, 本心ではどうでもいいのです. 独立国と同じ扱いであるExperi-Cityの市長として, 何をしたいわけでもなくただ単に君臨したいだけなんです. そのために彼は, Kasgaさんを…, その…, こんなこと言いたくないのですが…, 消したいのです.”
一気にそこまで言った後, Monicaは両手で顔全体を覆い, “ごめんなさい.”とだけ言って, 感情の高ぶりを抑えようとした.
Kasgaは, にわかには受け入れがたいことを言われて, しばらくまぶたを閉じて気持ちを整理しようとした. そしておもむろにまぶたを開き, 涙でうっすら濡れた目をsmart glassesを通してキラキラ輝かせながら, “Monicaさん. 本当のことを言ってくれてありがとうございます. つらい思いをさせてごめんなさい. 皆さんがこの会議に私を参加させた意味が今, 分かりました. 私自身にとって重大なことだからなんですよね. もちろん, 私を消そうとしている人がいるのを知って, とても怖いです. でも事情は分かりました. 皆さんのご配慮には感謝します.”と優しく語りかけた.
“あぁ, その悲しむお姿, なんてお美しい. そしてなんとお優しい…”
AilaはKasgaに心底ほれぼれと見とれていたが, Kasgaが続けて, “でも, 皆さんがつらくて苦労されるのでしたら, 私は, Philosophyを語るのをやめて, Unifierもやめて, ただの歌手に戻ってもいいですよ.”と言うのを聞くや, 衝動的に席から立ち上がり, “No!”と発した. 自分らしくないその行動に自分でもびっくりしながらも, 彼女は言葉を続けた.
“勝手なことばかり言って申し訳ございませんが, KasgaさんのいないKassenなんて考えられません. FighterもスタッフもみんなKasgaさんが我々のUnifierであることを誇りに思っています. うちのFighter Keikoだってそうです. KasgaさんがUnifierをやめるなんてことになれば, 彼女は精神的に崩壊します. どうか, おやめにならないでください. 私たちが必ずKasgaさんをお守りします.”
“Ailaさんに全面的に同意です. 我々が不甲斐ないためにこのような事態になり, 本当に申し訳ないと思っています. ですが, どうか我々のUnifierでいてください. 安全は保障します. ご安心ください. あんなセクハラ野郎は, 我々が責任をもって, ボッロボロの, メッチャクチャの, グッチョグチョにして, Hanasaka湾に沈めてご覧に入れます.”
RudraもHanafolkらしくない表現で強く願い出た.
逃げられないと観念したKasgaは, フウッと小さくため息をついて, “分かりました. では, 皆さんを信じます. どうかよろしくお願いします.”と言って, 今度はややためらいがちな笑顔を見せた.
Kasgaとしては単に理解した旨を言っただけだったが, ここにいたほかのメンバーとしてはこうした会議の場であったがゆえに, これをUnifierとしての初めての命令として受け取り, Rudraは, “かしこまりました.”と胸に手を当てて返答した. この瞬間, Kasga Wisteriaは, この6人にとっては精神的なボスになったのであった.
“では, 議論を戻したいのですが…”
ようやくいい雰囲気になってきたところでPrishaが今回の両Directorの逮捕に対する対応の協議を続けたいと一同に呼びかけ, 皆が彼女のほうに顔を向けた.
“ところで一方のHarukiさんについても, 先ほど申し上げたとおり, Hanasakaと‘Moto’の警察の共通した意思としては, exoskeletonで強化した者による本物の武器で戦う違法なKassenもどきのゲームの問題があるものの, 我々がこれまで防犯活動に協力してきたことや, 警察出身者をFighterとして受け入れていることなどを考慮すると, 我々とあまりもめたくないはずと思われます.
そのため, Harukiさんの件も, Kassenに使うWeaponsと酷似する刀剣類を製造し所持している者がいるという情報を得て, 臨時の立入検査をしていただけだと主張すれば, いずれ釈放されると思いますが, ただHarukiさんについては, Equipmentのinspectorではない立場でなぜそんな連中のいる所にいたのかが気になります.
警察には言い訳できたとしても, これはCastle Officeの職務規則違反. スタッフに対して範を示すべき立場なのに許しがたい. だいたい, LerhiさんもHarukiさんも行動が甘すぎる. 私が, あまりあちこち行かないでと言っているにもかかわらず, それに市外に出るときは‘Facial Disguise’を付けて変装するよう言っているにもかかわらず, 無防備で出歩くからこんなことになるのです. 帰ってきたら, たっぷりと, じっくりと, きっちりと, お話しする必要があります.”
だんだんPrishaがヒートアップしてきて, 誰かが彼女を止めないといけないと皆が思っていると, Kasgaが, “本当にすみませんでした. 私からも注意しておきます.”と謝った.
“あ, いや, 失礼しました. つい, 本音が出てしまいました.”
Prishaがぼそぼそ釈明すると周りからクスクスと笑いが起きた.
“まあ, Prishaさんの説教は後の楽しみにしておくとして, Kasgaさんも, 可能であれば, 生活の拠点をTokyoの外に移していただけますか? 念のためです. ‘Pro-Mayor Faction’とつながりのある者がTokyoの警察の中にいることが分かった以上, 次にKasgaさんを狙ってきてもおかしくないからです.
といってもお仕事でTokyoから遠く離れるわけにもいかないと思いますので, 近辺の物件を急いで探しているところです. 今お住いのTokyoの邸宅よりは狭くなるかもしれませんが, 最新設備のところを見つけておきます. Tokyoへの交通の便を考えるとSouth-Musashiでしょうか. いずれにしろ明日にはいくつか候補をご提示します. Tokyoの外なので安全です. お引っ越しのために少し準備が必要ですが, ご安心ください.”
Monicaは不動産業者になった気分でKasgaに住み替えを勧めた.
Chapter 2.5: Kasga, the Voiceless Singer
Scene 2.5.1:
“すみません, わざわざ来ていただきまして.”
6月1日の午後, Director Lerhiは, Hanasaka Cityの外に出て, Tokyoの南西にあるSouth-Musashiという町のKasgaの新しい事務所を訪れた. この事務所は, 鉄道の駅の近くにあり, 下層の5階までにコンビニや薬局などの商業施設や, 診療所, サテライト・オフィスなどが入り, 6階より上が住居となっている, 複合ビルの4階にある.
事務所の玄関で出迎えたのは, LerhiがCastle Officeに入る前からの仕事仲間であるNaoeであった.
Kasgaの本職は歌手であり, Tokyoを仕事の拠点にしていた. そして彼女は, 歌手や楽器奏者の音楽活動などを企画・支援するための“Haruppi Office”という小さな会社の従業員として雇われている.
そこの社長のNaoeと, 彼女のおじであるLerhiは, 高校を卒業したばかりの, 歌とギターがうまかった“TAKETORI Harumi”を, “UESGI Kasga”という名前の歌手に変身させ, 大手の芸能事務所に任せず, 彼女本人のために会社を作ったのであった.
それは, 彼女を一流の歌手として活躍させるという目的だけを持っているわけではなく, Kassenの宣伝活動員として, そしていずれはUnifierになるかもしれないことを見越し, Kassenのadvocateと歌手という, 2つの職を兼ねた活動をしていく必要があったからである. つまり, Haruppi Officeは, 歌手のKasgaでがっぽり儲けるつもりはなく, Kasgaが, 国籍, 年齢層, 性別, 人種, イデオロギーや宗教を越えて, 幅広く人気を得ることが大事であり, それこそがこの会社設立の真の目的であった.
そういう意味では彼女は自由だった. 必ずしも歌手で大成する必要はなかった. 売れるからと言って新曲を次々出すようなこともしなかった. また, 俳優などのほかの芸能の分野にも手を伸ばすようなこともせず, 歌とKassenだけに絞った. 仕事の合間をみては, 修行の旅と称してギター1本持って様々な国や地域を訪れるストリート・ミュージシャンになった.
ある日, 突然現れて路上や広場でギターケースを開けて歌う. ケースに入れられたお金の1割は自分が旅をするうえでの諸経費として使うが, 残りの9割は慈善団体などに寄付してしまう. そして訪れた場所では, 自分の歌だけでなく民謡や童謡までリクエストに応じて歌いながら地元の人たちと気軽に話し合うなどして交流し, 最後にそこの風景などを鉛筆で簡単にスケッチし自分のサインを入れた色紙を置いていく.
こうした地道な活動は, もちろん様々な人たちが裏方としてサポートしているがゆえにできることであるが, Kasgaの人気をより強固なものにし, 彼女自身も意義あるものと感じて楽しんでいた. 人々にKasgaを遠い世界の有名人ではなく身近な存在のすごい人と認識させる. つまりスーパースターだが身近に感じられる, いわばサンタクロースのような存在になってほしいと, LerhiやNaoeは考えていた.
そうしたサンタ的な歌姫のKasgaは, そうした存在であるからこそ, Kassen communityのUnifierを務めることができている. それは形式的な存在であるが, Castle Officeが運営するKassen communityにおける最高位であり, 統合の象徴である. 宗教団体の教祖ではないためcommunityの全員が心底, 服従するようなカリスマ性は必要ないが, 少なくとも好き嫌いがはっきり分かれるようなタイプの人間はUnifierになれず, また誰からも嫌われない影の薄い人間でもなれず, 実際に多くの人から親しまれている人間でなければならない.
その方針の下でKasgaを実質的に育ててきたのがNaoe社長であった. 彼は, Lerhiの片腕でありながら, Hanasaka市民にはならず, Kassen communityからも距離を置き, 歌手としてKasgaを育成し磨きをかけてきた. Kasgaとしても, 歌手として仕事をしている時間のほうがCastle Officeから受託しているKassenの仕事より何倍も長い. そのためKassen communityの人たちよりも, Naoeのほうが彼女にとってははるかに身近な存在であり, 一緒に仕事をする中での親方として信頼していた.
ちなみに, “UESGI Kasga”という芸名もNaoeが考案したものだった. 彼女の当時の本名はTAKETORI Harumiと称し, 彼女がいた島国の人たちにとっては, 晴れやかで美しい女性をイメージできる名前ではあったが, やや古風な雰囲気を感じ, 彼女自身も別人になったつもりで歌手になりたいと希望したため, 全く違う名前にすることにした.
そこで芸名の苗字の部分は, Hanasaka市民になる前のLerhiのファミリーネームだった“UESUGI”を使わせてもらうことにした.
そしてギヴンネームの“Harumi”については, まず“Haru”の部分は“晴れる”の意味を持つ漢字で示していたがそれを, その島国では同じ音で読む“春”の意味を持つ漢字に変え, また“mi”の部分は“美しい”の意味を持つ漢字で示していたがそれを, “mi”に近い音の“hi”と発音する“日”の意味を持つ漢字を当てた. そしてこの2文字が連なる場合, その国の人たちは“Haruhi”ではなく“Kasuga”と発音することから, “UESGI Kasga”が誕生した. (それぞれの“s”の後の“u”は取り除いて, 音をすっきりさせている.)
その後, LerhiからKassenのadvocateになるよう頼まれ, Hanasaka Cityの市民権を得た彼女は, Naoeが作った“Kasga”をファーストネームとして使うことにし, 他方, “Uesgi”の部分は, 歓迎の意味の花言葉を持つ藤の花を自らのシンボルにしようと考えたため“Wisteria”に変え, 本名として, “Kasga Wisteria”と名乗ることにしたのであった.
補足: Hanasaka市民の自分の名前に対する考え方についてHanasakaの市民権がある者にはすべてID番号が付与されているため, 市の情報システム群としては, 名前は人間たちの間で呼称しやすいように用いているもう1つの識別子にすぎない. そのため, ファーストネームもラストネームも単なるニックネームにすぎず, 多くの市民は遊び心も用いて自由に名前を決めていた.
ちなみに, 彼女の事務所である“Haruppi Office”の名前もNaoeが考えたもので, “Harumi”の“haru”の部分と“happy”を組み合わせて作った造語であった.
Lerhiが事務所に着いたとき, Kasgaは, South-Musashiの隣の市に仕事で外出していた. 午後におじが事務所に来るということは分かっていたが, まだ戻れていなかった.
先日の, Goblino市長の意向を受けたPolice Departmentの一派とつるんだTokyoの警察当局の一派によると思われる, HarukiとLerhiの逮捕については, 結局, 両人とも逮捕から40時間後に釈放された. そもそも犯罪の事実自体がはっきりせず, 検察官への送致もおこなわれなかった.
従って, 不起訴となった以上, 2人は元の日常に戻れたわけであるが, 世間のCastle Officeに対する視線は警戒感が増した. つまり, 徐々に支持を得つつある陰謀論をベースに, 火のないところに煙は立たないという理屈で, Castle Officeを, なんとなく怪しい集団であり反社会的勢力とも関係しているのではないかと考える人が増えたのだ. これこそが市長側の狙っていた効果だとも言えた.
そうしたことからCastle Officeは, MonicaとPrishaが今回の逮捕が全くいわれのないものであることを強調するとともに, 反社会的勢力の遮断は当然であることを改めて表明し, 防犯活動や犯罪被害者の支援活動などに協力してきたことを宣伝し, なんとか信頼回復に努めつつ, HarukiとLerhiには厳しく説教し, 5月末までHanasakaから外に出ることを一切禁止し, Harukiに対しては内規違反で厳重注意処分を下した.
そのうえで, 次はKasgaが逮捕ごっこの犠牲になる可能性があると考えたCastle Officeは, 彼女の身の安全保障と本業の継続の両立策を模索した.
まず, Monicaが会議のあった日の翌日に, Alliance clubの1つであるOdawara Castleの“Odawara Triangles”のClub ManagerであるIseに書簡を送り, 昨今の事情をRusty-believersのたくらみとして説明したうえで, Castle OfficeがKasgaに対して採ろうとしている“両立策”に協力してほしいと要請した.
驚いたIseは, とりあえず, 協力する旨を返答したが, 翌日, さらに驚いたことに, なんとKasga本人がIseをひそかに訪ね, 助けてほしいと頭を下げたのだ.
“か, Kasgaさん. ど, どうか, なにとぞ頭をお上げください.”
全く予期せぬKasgaの訪問にIseは慌てた.
そもそもHanasakaとTokyoを行ったり来たりしているKasgaがほかの地方に赴くことは, 歌手としての仕事以外ではほとんどなく, 市内外のすべてのKassen clubのClub Managerやスタッフが参加している“Club Union”という親睦団体のイベントにゲストとして参加してちょっとしたあいさつ程度の話をしたり記念撮影をしたりするぐらいで, Kasgaのほうから1つのAlliance clubをわざわざ訪問することは, その当時はなかったのである.
しかも, Alliance clubの中では最大級の規模を誇り, Tokyoを含むKantoと呼ばれる地域で代表的なclubであったOdawara Trianglesの長である自分に, Kassen communityの頂点に立つ彼女が庇護を求めてきたことは, 彼のプライドを十分に満足させた.
“とりあえず今から早速, 市長に電話して, 明日かあさってにでも, 市長と一緒に知事に会いに行って話をしてみましょう.”
“ありがとうございます. であれば私も同席します. 私から直接, Daidouji知事にお願いします.”
Kasgaは目を輝かせてIseを見つめた.
“分かりました. Kasgaさんから直接お話しされるなら, きっと知事も協力してくれると思います. 知事も忙しいでしょうけど, そこはまぁ, なんとか時間を作らせますよ.”
“いろいろと甘えてしまってすみません.”
“いえいえ, そんな. Kassen communityの一員として, Unifierをお守りするのは当然のことですから.”
すっかり気をよくしたIseは胸を張った.
“ありがとうございます. 今日はこちらに来て良かったです. 頼りにしてます.”
彼女のこの最後の一言は非常に重い. ニコニコ愛想良く言ってはいるが, “我が身を守れ”と命令されたに等しい. こうなるとclubの威信をかけて, 何が何でも彼女をお守りせねばならず, もし彼女の身に何かあればcommunityから抹殺されかねない.
翌日の夜, Kasgaは, Odawara TrianglesのClub ManagerのIseとOdawara市長に連れられて, Tokyoの南西にある地を治める県知事のDaidoujiと県庁内で非公式に面会した. その場には県の公安委員会の委員長も, 本物のKasgaをこの目で見たくて同席していた.
“Kasgaさん, どうか頭をお上げください.”
知事の言葉に対して, Kasgaはもう一言待った.
“もちろん我々のできる範囲で最大限ご協力させていただきます.”
そこまで聞いてKasgaはゆっくり顔を上げてDaidouji知事を正視した. そして, あの魔法の笑顔で, “ありがとうございます. 大変助かります.”と礼を述べると, その場の雰囲気が一気に華やかになった.
彼が治める県は, そのエリア内にOdawara TrianglesというAlliance clubが存在し, Kassenの経済的効果を享受していたが, 今回, Castle Officeは, Kasgaを警護してもらう見返りに, 5月27日にOdawara Castleで開催される予定の, Odawara TrianglesとAizu-Wakamatsu Castleの“Aizu Red-cattle”との試合に, Inter-Alliance gameとしては初めてKasgaが臨席することとした.
そしてTrianglesはEmerald Northと同盟関係にあることから, Chammeiが派遣されることはすでに決まっていた. 従って, 全く想定外であるが, Kassen communityのUnifierであるKasgaまで来るとなると, Hanasakaでもめったに見られない華やかなイベントになり, 多くの観客がやって来てお金を落としてくれることが期待できた.
そのためDaidouji知事としては, 今, 自分の目の前にいる女性からの依頼を断る必要は全くなかった. 彼にとっては, Rusty-believersの画策などどうでもよく, さらさら加担する気もないし, Castle Officeが示してきたディールに乗ったほうが県民のためにもなることは十分に分かっていた.
こうしてKasgaは, 県知事および公安委員会からの指示を受けた県警から, 彼女自身のみならず事務所に対してこっそり警護をつけてもらえることになり, そのうえで5月21日にこの避難場所に引っ越してきたのである.
Scene 2.5.2:
“Kasgaさん, 元気にやってるんかな?”
Lerhiは, 事務所の一角にある応接スペースにある革張りのソファの背に持たれて座り込むと, その視線の先の壁に貼られたKasgaの大きなポスターをまじまじと見ながらNaoe社長に問いかけた. ポスターの中の彼女は, 屈託のない笑顔でこちらをじっと見ていて, 見る者の心を和らげようとしているが, その黒い大きな瞳をよくよく見るとその心中にある何かを切なく訴えたがっているようにも思えた.
“それが, 全く元気がありません. 実際, 仕事も減ってきてますし, かといって今の状況じゃ気分転換に修行の旅にも出にくいですし. それにまずいことになってます.”
Naoeは, 話を進める前に, 事務所の片隅にある冷蔵庫からアイスコーヒーのペットボトルを取り出し, Lerhiの分と自分の分をコップにそれぞれ注ぎ入れ, 小さな丸いお盆に乗せて, ソファの前のテーブルの上に置いた.
そして, “実はその…”と, 言い出すのをためらう言葉を置いたうえで, “最近, 大きな声が…, 出ないそうです. つまり…, 普通にしゃべることはできますけど, 歌を…, 歌えないという, 歌手としては致命的な状況に陥っています. 黙っていてすみません. 一過性のものかもしれないと思って, ご心配をかけたくなかったので.”と, 彼女が元気のない理由を述べた.
それを聞いて, 普段笑顔を絶やさないLerhiは珍しく心の動揺を隠し切れない表情を見せた.
“それは大変なことやないか…”
“はい. あの日以来だと思います. Castle OfficeでKasgaさんがあの会議に初めて参加を認められた日です. Hanasakaから戻った翌日に事務所で会った時, 明らかに一睡もできなかった様子でした. それでも彼女は気分転換しようと, スタジオでボイス・トレーニングをし始めたんですが, そこで気づいたようです. 大きな声が出ないことに. 本人も驚いて何度も試したようですが, 大きな声を出そうとすると逆にかすかな声しか出ないようで, スタッフが私を呼びに来てスタジオに入ったときは, 床に両手をついてボロボロ泣いていました.”
“そうか… かわいそうに…”
Lerhiは深くため息をついて嘆いた.
“彼女の気持ちが落ち着いてきた段階で, その会議で何かショッキングなことでも伝えられたのかと聞いてみたんですけど, Hanasakaに危機が迫っているという抽象的なことしか教えてくれませんでした. いったい, その会議で何があったんですか? あの日出席していたDirectorから後で聞きましたよね?”
もちろんLerhiは聞いていた. しかしそれをここでNaoeに話すのはためらいを感じた. 怒り出すに違いないからだ. とはいえ隠したところで仕方ないとも思った. 今後何をするにも彼の協力は必須だからだ. そのため, “Naoeさんには言いにくいことやけど…”と前置きして, その日のKassen Representative CouncilでKasgaに何を伝えられたのか, その概要を彼に話した.
案の定, Naoeは怒り出した.
“どうしてそんなこと, 彼女に言うんですか! 市長から疎まれて殺されるかもしれませんなんて, そんなこと言われたら, 誰だって不安でいっぱいになっておかしくなりますよ. さすがに今回のCastle Officeの対応は納得できません! 私の歌姫をこれ以上傷つけるのはやめてください. 彼女の本業はあくまで歌手です. いったいCastle Officeは何をたくらんでるんですか. 全く, Hanasakaの人たちにはあきれました. そんなんだから, 退化した人間だとバカにされるんですよ.”
彼の怒りはそう簡単に収まりそうになかった. Lerhiはあえて鎮めようとはせず, 彼自身が自分の心を落ち着かせるのを待った.
そして待つこと15分余り. 2人の間に重苦しい沈黙が流れ出すと, Lerhiは頭を下げ, “本当に申し訳ない. NaoeさんにもKasgaさんにも, 勝手なことばかりお願いしてすまないと思っている.”と謝った. そして, “もちろん私も, かわいい姪がどうなるのか心配でたまらんのや. でも, もうプログラムは走り出した. もはや誰にも止められへん.”と小声で言って, いかんともしがたい, もどかしい気持ちを伝えた.
Naoeも, つい感情的になって不満と非難をLerhiにぶつけたが, それで何か1つでも問題を改善できるわけでもないことは分かっていた. そのため, 自分の気持ちを整理するためにも, 一気にコップの中のコーヒーを飲み干した後, “昨日の晩, ここでKasgaさんと2人だけで話してたんですけどね…”と, その時のことを語り始めた.
Scene 2.5.3:
“Naoeさん, そのタバコ, 1本もらえる? なんか, 吸ってみたくなっちゃって…”
いすに座っていたKasgaは, Naoeが応接テーブルの上に置きっ放しにしていた電子タバコの箱を指差して頼んだ.
“あれ? Kasga姫が, ここでは吸うなとおっしゃるから, いつも外で吸ってんのに.”
Naoeが軽くからかうと, Kasgaはいつもと違って, 言葉に詰まってうつむいた. その様子を見てNaoeは, “ま, ここはHanasakaじゃないから, 吸いたかったら吸ってもいいけど…”と言って, 彼女のご依頼を受諾しつつ, “症状が悪くならなければいいけど.”と心配した.
“この声が出ないのはメンタルのせいだし, 心療内科でお薬もらって飲んでるから大丈夫よ.”
理知的なKasgaには珍しい変な理屈で彼女は喫煙を正当化しようとした. Naoeは, 彼女のためにタバコを箱から取り出し, 吸入器にセットして, それを彼女に手渡す前に, “いつもは手にしないタバコを吸ったところで, 何も期待できないと思うけど.”と, 余計なことまで言ってしまった.
自分の心を見透かされていると感じたKasgaは, “私は, タバコをいただけるのかどうかを聞いただけです.”と反発してみせた. しかしすぐに素直になって, “でも, Naoeさんの言うとおり. 私, 最近, どうかしてるから…”と言って, またうつむいてしまった.
Naoeはため息を深くついた後, 掟を破ってその場で吸入器のスイッチを入れて, Kasgaに渡そうとしていたタバコを自ら吸い, 窓辺に行って外を眺めた.
“つらいんだったら逃げたらいい. KassenやHanasakaの宣伝がどれだけ大事だとしても, Kasgaさんが命をかけるほどのものじゃないだろう. Kasgaさんは歌手なんだから…”
人一倍責任感の強いKasgaの性格を知っているNaoeとしては, 彼女がこれ以上苦しまないようにするための真剣な提案だったが, それに対してKasgaは, “じゃあ, 逃がしてくれるんですか? 逃がしてくれないでしょ. 逃げたらいいって言いますけど, 私に逃げ場なんてあるんですか?”と, 彼の背後で冷静かつトゲのある言い方で反論した.
相変わらず聡明であるがゆえに不器用なKasgaをなんとか救えないかとNaoeが考えていると, Kasgaのほうから, “Naoeさんは, 私のこと, まじめすぎるって思ってるでしょ. 人はもっと自由に生きれるんだって. 好きに生きたらいいじゃないかって…”と, Naoeが言おうとしていたことを先取りしてきた.
“私も, それは分かっているつもりですけど, でも, やっぱり私には無理. 期待されるとなおのこと無理. だから私は…, このまま, 目の前に敷かれた道を行きます. たとえいばらの道でも歩いて行きます… いいんです. 私, 他人より忍耐力はあるほうだと思ってますから… とか言って, 声, 出なくなっちゃったけど…, それでもいいんです. なんとか, きっと…”
その“きっと”の後, ポウズ・ボタンが押されたかのように沈黙がしばらく続いた. 続きのセリフがなかなかKasgaの口から出てこないのをNaoeが辛抱強く待つと, Kasgaが再び口を開いて, “でも, いばらの道を歩くのに…, 本当に疲れてつらくて心が折れて倒れてしまったら…, その時は…, 悪いけど勝手に逃げます. そうさせてください.”と本心を吐いた.
Naoeは, 何とも言いようがなかった. まだまだ親の愛情が必要な年齢で両親が離婚し父親とは別居し, その後, 母親が違う精神世界に行ってしまって母親とも別居し, 両親とも自分の元から去っていったKasgaの子供時代のことをLerhiやKasgaから聞いていた彼は, 彼女がいつしかおのずと自分を厳しく律し他人の期待に応えようとするようになり, だからこそ今, 彼女が発言したように, それがいばらの道であったとしても怖じけず進むべしという行動指針を持つに至っていることを痛いほどよく理解できた.
あの“万人の心をとろけさせる笑顔”も, なんとか周りの大人たちに自分の存在を認めてほしいという, 子供の頃の彼女の強い思いから必死に努力して形作られた, 単なる処世術というレベルを超えた, 彼女なりの強烈な承認欲求なのかもしれないとNaoeは考えていた.
“そうかぁ… ほんま, ええ子すぎるなぁ. そんなこと, 言うてたんか.”
“ええ. 周りがどれだけ心配しても, Kasgaさんは頑固ですから.”
“そこはあの子の父親に似てるわ.”
“そうかもしれません. その親父さんとは相変わらずあんまりうまくいってないみたいですけど…”
“やれやれ… そっちも問題やなぁ.”
Lerhiはそうつぶやきながら, 話が暗くなってきたと思い, “ま, でもあさってからやろ? グアム.”と, 話題を変えた.
Kasgaは1か月余りの長期間, グアム島で過ごし, 最小限の仕事だけをしながら骨休めをする予定にしており, Naoeも同行する.
“まあ, 窮屈な国におったら息が詰まるやろうから, ちょうどええやろ.”
“そうですね. あっちにいてもアバターでできる仕事ならできますし.”
“そやな. それに6月はHanasakaには来んほうがええわ.”
Naoeはそれを聞いて, 何か危険なことがHanasakaで起こるのか声を潜めて聞いた.
“おそらく. ここだけの話やけど, 何か重大なことが近いうちに起きる.”
Chapter 2.6: Those Who Protect Kasga
Scene 2.6.1:
うろちょろするなとPrishaに叱責されていたにもかかわらず, Lerhiが6月1日に市外に出て, Kasgaに物理的に直接会って話をして確認してきた彼女の現状は, 翌2日, Castle OfficeのDirectorたちとSection Managerたちが参加するマネージャー会議で共有された.
Castle Officeでは, こうした情報共有と方針確認を主目的とする30分以内の会議はオンラインでおこなうことにしていたため, ある特定の会議室に全員がいたわけではなかったが, 今日は, 参加者一同ひどく落ち込んでいるのは, 顔映像やチャットで容易に認識できた.
歌手であるKasgaが大きな声が出なくなるという重大な問題を引き起こした要因は, 5月11日のKassen Representative CouncilにKasgaが参加し, そこで自分が市長側に殺害されるおそれがあることを知ったことであろうということも伝えられたが, これはCastle Officeの責めに帰すべき大失敗といえた. しかももし症状が回復しなければ彼女のキャリアを断ち, 人生を大きく狂わせてしまうことは明白で, Castle Officeの責任は極めて重いと誰もが思った.
“誠に申し訳ございません.”
MonicaとPrishaはカメラ付きのモニターの前で深々と頭を下げた. 彼女らは, 謝罪の時に頭を下げる習慣のある“Moto natives”ではなかったが, 自分が傷つけてしまった相手はそうであったため, それは自然に出た動作であった.
“もしKasgaさんの症状がひと月後に帰国された時点でも回復していなかった場合, 私は責任をとってDirectorを辞任します.”
Monicaは単に謝るだけでは気が済まず自らの辞任についても付言したが, Harukiから, “Monicaさん. お気持ちは分かりますが, この会議は責任問題を論じる場ではありません.”と諭された.
“マネージャーの皆さんにお願いしたいのは, Kasgaさんが歌えなくなったことについて, 6月4日に彼女が所属する会社から公表されますので, それまでは口外しないでください. そしてその後は, 公表されたこと以外の情報は, スタッフの皆さんや外の方に話さないようお願いします.”
Lerhiは, 会議の参加者に秘密保持を求めたうえで, 今後の対応の方針を示した.
“おそらく会社側は, 彼女が精神的に病んでしまった原因までは明らかにしないでしょう. とはいえ, 多くの人がUnifierとしての活動が彼女にとって負担になっているんやないかと考えるでしょう. 私とHarukiさんが逮捕され, 彼女が身の上を警戒してTokyoの外に拠点を移したことはすでに多くの人が知っています.
“そうした中で, 我々を敵視する連中は, 我々が彼女を精神的に追い込む危険な行為をさせようとしているとか, セクハラやパワハラなどがあったのではないかとか, 一気にいろいろ騒ぎ出すでしょうから, スタッフの皆さんのみならず, Fighterたちも含めて, 大きく動揺するやろうと思います. いろいろと憶測が広がって問題が複雑化するのは危険です.
“我々としては, そうしたうわさを否定するとともに, これまでの疲労の蓄積があったことを考慮して, 当面の間, Unifierとしての仕事をお願いしないことにしたとだけ伝えるようにしたいと思います. 苦しいですが, それしかありません. 我々の組織防衛のためだけではないんです. そうやって騒がれて言い争いになること自体, 彼女自身をさらに傷つけることになるからです.”
6月3日の午後, Kasgaは, Naoe社長と, 秘書兼運転手のJessicaとともにグアムに旅立った.
その翌日, 予定どおり, Haruppi Officeは, Kasga Wisteriaが精神的な不調により大きな声が出なくなり現在療養中であることと, 昨日から1か月間ほど海外で過ごしほとんどの仕事は控えることを簡潔に告知し, “ご迷惑とご心配をおかけしますが, 静かな環境で療養に専念いたしたく, なにとぞご理解のほどお願い申し上げます.”という文章で締めた. これは, 結界を張って, 当面の間は何人も入ってくるなというメッセージにほかならなかった.
しかしながら案の定, 世間は会社側の思いとは関係なく早速騒ぎ始めた. そしてLerhiが予想したとおりにCastle Officeは責められた. もちろん想定どおりに, “これまでの疲労の蓄積があったことを考慮して, 当面の間, Unifierとしての仕事をお願いしないことにした”と答え, それ以上は何を質問されようがコメントを避けた.
だが, その逃げの姿勢は反感や疑念を招くことにもなった. Goblino市長側からすれば笑いが止まらないほど, Castle Officeは勝手に窮地に追いやられていったのだ.
しかしそうした苦しい状況の下で, 図らずしてCastle Officeへの攻撃を和らげてくれたのはFighterたちやclubのスタッフたちであった.
もちろん彼らも今回のKasgaの発症にはショックを受けた. そして, ふと気づいたのである.
今までは, “Unifier”という存在が形式的な役職であり宣伝用のマスコットであるがゆえに, それを演じてくれている人もどこか空虚で実体のないものに思えていたのだ.
だがそれはとんでもない勘違いだったと気づいたのである. 自分たちにいつもすてきな笑顔で接してくれて, 自分たちのがんばりをねぎらってくれて, 明るくさわやかに自分たちの目指すべき道を示してくれる, そんなKasgaはまさに自分たちにとって最高ののリーダーであり, かつ病気にもなる生身の実体のある人間であると.
それゆえFighterたちは, 自分とKasgaが写った写真をにわかにアルバムから引っ張り出してきて, 彼女に対する熱い思いを書き添えて, ネット上で各々発信した.
そこにはCastle Officeへの非難のようなものはなかった. そもそも機械的検閲により消されるが, FighterたちにとってはCastle Officeなどどうでもいいのだ. 自分たちとKasgaとの間で語られるべき問題として, 自分たちのcommunityのUnifierが今, たいへん苦しんでいるのに対して, 自分たちは何ができるのかを考え始めたのだ.
例えば, Garnet EastのCaptain Donは次のような投稿をした.
“今回のご発症を機に私は深く反省した. 我々Fighterたちをいつも最高の笑顔でねぎらっていただいていたのに, 自分はKasgaさんに何か役に立つことをやったことはあるのかと. UnifierをKassenの宣伝のための存在だと勝手に思い込んで, 本来の役目を忘れていたと. 全く自分が情けない. これは我々の問題だ. 我々がちゃんとお守りしていなかったために, こんなことになったのだ. できれば今すぐにでもKasgaさんに頭を垂れて謝りたい.”
King of Flameらしい熱き思いのこの投稿を, Sapphire Cometも読んではいた. しかし彼女は何の反応も示さなかった. そもそも彼女は個人の意思でそうした投稿を全くしない. そうしたことに興味がないからだが, それ以上に彼女は今, 完全に撃沈されていた. もしかして自分も声が出なくなるんじゃないかと思えるほど落ち込んでいた. 大好きなKasgaが歌を歌えなくなる病気になっているなど, 全く受け入れられないことであって, 理屈や言葉であれこれ考えられるものではなく, いったいどうすれば良いのか途方に暮れていたのだ.
Keikoは, KasgaのNexus Unitとつながっているので, グアムにいる彼女に直接電話をかけてみたりチャットを打ってみたりしたものの, 全く反応がなかった. Kasga側のNexus Unitが自動選別をかけて通信を遮断しているからだ. これは, 静かな環境で療養したい場合におこなう措置で, どこから発信されたものであっても100%はねつけ, Kasga側からもどこに対しても発信できない状態にしていた.
このままではKeikoも危険な状態に陥ると心配したSapphire WestのCaptain Soaは, Club ManagerのAilaに相談した.
“やはり, そうですか… Keikoさんは, SapphireにとってもKassen communityにとっても必要不可欠です. なんとかKasgaさんサイドで回線のゲートをKeikoさんに対してだけ, ほんの10分間だけでもいいから開けてもらえるよう頼んでみます.”
“ありがとうございます, Ailaさん. 急かして申し訳ございませんが, 一両日中にお願いしたいです.”
“そうね… 早めに手を打ったほうが良さそうね. こんなことになって本当にごめんなさい. 私がなんとか掛け合ってみるから.”
Scene 2.6.2:
30分後, Lerhiから電話で要請を受けたNaoe社長は悩んだ. 基本的にはそうした要請はすべて断っているが, Kasgaにとって心の支えとなっているKeikoとは回線を一時的につないでも良いかもしれないと考え, 彼女を診察している精神科医 (といっても人間ではない) に相談したところ, 構わないだろうという回答を得たため, 10分間, 音声のみ, 1対1という条件で了解し, Kasgaにもその旨伝えた. 彼女自身も快く受け入れた.
“もしもしKasgaさんですか?”
いつもの元気がまるでないか弱い声でKeikoが話しかけた.
“そうよ, 私よ. Keiちゃん.”
Kasgaが優しく答えると, Keikoはその時点で感極まって泣き出してしまい, 持ち時間の10分のうち冒頭の4分の1はほとんど会話にならず, KasgaのほうがKeikoを慰めたり謝ったりしているだけだった.
“Keiちゃんに心配かけちゃって本当にごめんね.”
“いえ, 私のほうこそすみません. Kasgaさんに元気になってもらおうと思って電話したのに, 私が泣き出すやなんて. ほんまにアホやから…”
“そんなことないわよ. 今日は電話してくれてありがとう. 久しぶりに声を聞けてうれしいわ.”
“それやったら良かったです. ちっともつながらへんから, Kasgaさん, ウチのことも嫌いになったんかと心配してました.”
“そんなこと, あるわけないでしょ. お医者さんの指導で, 通信ゲートを閉じてるの.”
Kasgaは治療の一環としてやむを得ない措置であることをKeikoに簡単に説明した.
“分かりました.”
Keikoは素直に受け入れた. Keikoは野獣呼ばわりされたりするのでわがままな人のように思われがちだが, 基本的に社会の規範や専門家の指導には従順であった.
“ありがとう. 私も, Keiちゃんとお話しできないのは寂しいんだけど.”
Kasgaは, Keikoがそうした閉鎖措置を心底受け入れているわけでもないだろうと考えて, それは自分もそうだと同調の姿勢を示したところ, Keikoは, “じゃあ, 月に1回だけでいいんで, こうやってお話ししたいです.”と, うまい具合に提案してきた.
Kasgaは3秒ほど間を空けて, “いいわよ.”と答えた. 今日の泣き出しぶりから考えると, このままではKeikoの身のほうが心配だと考えたからだ.
Kasgaの承諾にもちろんKeikoは喜んだが, 医者の許可なくそんなことを決めていいのか, 念のために聞いた.
“大丈夫よ. Keiちゃんとだけの秘密. 月に1回, 10分間だけど, Keiちゃんが好きな時に, あ, でも真夜中とかはやめてほしいけど, いつでもかけてきてくれていいわよ.”
“ほんまですか! うれしい! Kasgaさんとの秘密なんですね.”
Keikoは, 大好きなKasgaと2人だけの“秘密”を共有できたことが何よりもうれしかった. そしてこうした無邪気に喜ぶ反応がKasgaにとっては心の栄養になっていた. さっきまでの雨があっという間に晴れて, 雲間からの日差しで植物の葉や道路の水たまりがキラキラ輝き出す, そんな風景を見ているような気持ちにさせてくれるのだ.
“Kasgaさんは, 考えただけでもワクワクするような秘密ってありますか?”
Keikoの唐突な質問に対してKasgaは, 頭の上に疑問符が出て, “え? 秘密なんだったら話しちゃダメじゃないの?”と明るく問い返した. 確かにそうだと思い直したKeikoは, 自分が国語の成績が著しく低かったのがバレてしまうと思い, “あ, いや, その, 考えただけでワクワクするような思いをしたことってありますか?って言いたかったんです.”と, 質問の趣旨を若干修正した.
“その…, 例えば, 毎週水曜日はカレーがてんこ盛りなのが楽しみだとか, 毎週金曜日はウルトラ・スパイスがもらえてサクサク狩れて気持ちいいとか, あるじゃないですか.”
Kasgaの頭の上に次々と疑問符が浮いて出てきた. Keikoとしては, Sapphire Westの拠点であるVictoria Sports Centerの食堂の昼食で毎週水曜日はカレーライスが大盛りでも料金が同じであるため, てんこ盛りにして食べることができるということと, Keikoが好きなハンティング・ゲームで, 毎週金曜日はログイン・ボーナスで攻撃力が増強されるバフをもらって強いモンスターも倒せてゲームの進行が楽になるということを言いたかったのだが, 彼女の国語力だと残念ながら, 彼女の良き理解者であるKasgaにも通じなかった.
それでもKasgaは, “そうね…”と言いながら何かおいしい食べ物について一生懸命に考えてみたが, 思い当たるようなものがなく, “特にないかな…”と答えた.
大した意味もなく, 単にKasgaと会話したかっただけの質問をしたことで, かえって本人に, 楽しみに思えることはないということを改めて認識させただけとなってしまったと感じたKeikoは慌てて, “あの, その, 今はなくてもいいんですけど… 思い出話とかでも…”と, 質問の範囲を拡大した.
“そうね… 今, 思いついたけど…, もう5年ぐらい前なんだけどね…, 私, Tokyoのほうの大学に一時期, 通ってたの. 高校を卒業してから歌手の道に進んだから, なんとなく大学で勉強するってあこがれてたのよね. 社会人用のコースだったから, 週に1回学校に行って授業を受けたりグループワークに参加したりしてたんだけど, いつも学校に行くのがとっても楽しみだった. 大学のキャンパスって広いしさ. 独りで散歩しながら, 私も歌手にならずに大学に行って勉強してどこかの会社に就職していたら, 今頃どんな感じの人生を歩んでいるんだろうなと想像することもあったわ.”
“いいなぁ. ウチは高校, 卒業してから, Maruokaで修行してたから…”
“それはそれで貴重な経験だったでしょ? 大学進学はあくまで選択肢の1つよ. それに, いつでも勉強はできるわよ.”
“ウチは, 勉強はあんまりしたくないというか, 苦手というか…”
そう言ってしまうと, さっきの“いいなぁ”は心に思っていないことを適当に言っただけではないかと捉えられてしまうと思い, Keikoは, “でもKasgaさんは, 卒業したんですか? その大学.”と, 急いで付け加えた.
“1年間のコースだったけど, まあ, 仕事との両立が難しかったけどね. なんとか最後までやって, 研修発表もして, 修了証をいただいたわよ.”
“えぇ! すごーい! めっちゃ尊敬します.”
Keikoの声が思いっ切り弾んだ. 彼女はお世辞やへつらいの言葉は言えないタイプであるため, それは心からそう思っているのである.
“大げさよ. ちゃんと授業聞いてたら大丈夫よ. 社会人のコースなんだし…”
“いいえ, それは頭のいい人が言うことです.”
Keikoは妙に自信たっぷりに, なぜそれが偉業と言えるのか自らの見解を述べた.
“私なら絶対, 1年間も授業を聞くなんてできません.”
それを聞いたKasgaは声を立てて笑った. KeikoもKasgaの明るい笑い声を聞いて安心した.
しかし残念ながら, あと30秒で制限時間が到来する旨の自動音声が流れたため, KasgaとKeikoはまたおしゃべりしようと固い約束をして電話を切った.
この日, 2人が10分間という短い間であっても会話できたことは双方にとって良い効果が得られた. KeikoもKasgaの現状を受け入れ入れることができ, 彼女の回復の手伝いをしたいと前向きに考えられるようになった. また, Kasgaとしても, Keikoのような, 渦巻く陰謀と全く関係のない, しかもまっすぐな心の持ち主と話ができたことは, いばらの道で傷ついた手足を清く穏やかな小川の水につけながらせせらぎを聞いているかのような気持ちにしてくれた.
“あ, 私ですけど. 今, Keiちゃんとの電話, 終わったから, また回線, 閉じてくれていいです.”
Kasgaは, 回線ゲートを一時的に開けてくれたNaoeにすぐさま電話した.
“少しは気分が楽になった?”
“うん, とっても. 10分過ぎてたけど, Naoeさん, 延長してくれたんですね? ありがとう.”
“あれ? 10分のはずだけどな. まあ, グアムは時間がゆっくり流れてるのかもな.”
Kasgaとの電話を切り, Naoeはホテルの部屋の窓辺に立った.
“Keikoさん, どうもありがとう. いつかきっちりお礼を言わせてほしい.”
Naoeは, いつも何かをたくらんでいそうなCastle Officeには不信感を持っていたが, いつも純粋にKassenを盛り上げるFighterたちは好きだった.
彼は, 窓の外に向かって, 神社での作法に則って, パンパンと2回, 自分の胸の前で手を叩いて, 両手を合わせ, Kasgaにとっての守り神であるKeikoに感謝の気持ちを念じた.
だが, この日の2人の会話による治癒の効果も, それから24日後に全く無になってしまうのであった.
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