Part 1: The Ninth Spring
Chapter 1.1: Holder of the Black Stone
Scene 1.1.1:
まだこの世界に大きな変化が起こる前のこと.
人類は, 地球上に23の“Experimental Cities”を建設し, その時代に彼らが持っていた最高の技術と知識と文化をもって, 誰もが安全で幸せに暮らせるための社会実験をおこなっていた.
これからお話しするのは, その都市の1つ, “Hanasaka City”についてである.
そこには, さらに400年以上前に建てられた, 中世の風格を残した城があった.
この物語は, その城に関わる様々な人たちを中心に, その活躍を映し出したものであるが, この都市とこの城に着目した理由は, 人類社会の大きな転機となった一連の出来事のきっかけがそこで起きたからである. それは“Experimental City Hanasaka”に対しておこなわれた攻撃であり, より正確に言うとその対象は, その当時の人類の最高傑作のsuper-intelligenceである“Flora”であった.
Floraは, 正確にこれと指差すことができない存在だが, それぞれのExperimental Cityを運営し, その住民たちの生活を支え, 保護する, 人工のsuper-intelligenceである. 人類は実に様々なAIを誕生させたが, Floraと名づけられたこのAIは, 人間をこよなく愛し, 個人の尊厳を守り, 人間たちが生涯, 安全で, 経済的に困らず, 健康的かつ文化的に暮らせるようにするために作られたものであった.
人類はうんざりするほど戦いに明け暮れ, また彼らの産業活動はこの星の表層に改変を加え続けてきたため, そのしっぺ返しもたびたび受けるに至っていた. そうした中, 心ある世界中の天才たちが協力して最初のFloraを作り上げ, その運用基準を定め, それを23の都市に実装し, 人類の生き残りを彼女たちに託したのである. そして彼女たちは人間たちの期待を裏切らず, 慈悲深く彼らに接し, 特に社会的に弱い者たちにとっては, もはや元の社会に戻ることなどあり得ないと感じるほどの心安らぐ都市を出現させた.
しかしながら人間は奇妙な生き物であり, そのExperimental Citiesの成功を快く思わない者たちによる妨害活動も徐々に増していた. 特に, Hanasaka Cityが設立されてから9年目にそこで起こされた出来事は, 世界中の人を大いに驚かせた.
その時の敵対勢力は, Hanasakaの城と, それをモチーフにした“Kassen”と名づけられたスポーツに目をつけた. Kassenは, Hanasaka Cityの誕生とともに市民の娯楽の1つとして開発されたものであったが, 彼らがなぜ城という建物とKassenというイベントに着目したのかを理解するにあたり, このPart 1では, その出来事が起きる数か月前のHanasakaに飛び込み, Kassenに関わる人たちにスポットライトを当てて話を始めたい.
Scene 1.1.2:
城の堀のどんより淀んだ冷たい水にも早春の陽光が降り注ぎ, 柔らかく照り返してきらめき, 堀に沿って植えられた桜も気の早いものは少しずつ花をつけ始めていた.
正午の鐘の音を鳥のさえずりとともに耳に受け, まだ冷たさの残る空気を吸い込みながら堀の内側に目を向けると, 優美な曲線の石垣が静かにたたずんでいた. その石垣の上には真新しい白い塀が再建されつつあり, さらに奥にも塀が重なり, そしてその先にこの城のシンボル塔の勇姿が見える.
天にせり出すこの塔は, 石の土台から約40メートルの高さを持ち, “Hanasaka Castle”の城郭全体を眺め下ろせる建造物であり, ここが城の中心であり最後の砦であることを示す存在で, “Castle Keep”または単に“Keep”と言われていた.
このCastle Keepが建つ城の中心地はおおよそ五角形であり, それを取り巻く堀が二重にめぐらされ, さらにその外の周辺を含めて, 一辺が約1キロメートルの正方形に近い緑豊かな土地がHanasaka Cityの人たちの憩いの公園になっていた.
補足: 城の構造やその周辺について 二重の堀はそれぞれ, “Outer Moat”と“Inner Moat”と呼ばれる. 城を含むこの公園は, “Castle Park”と呼ばれている. 詳しくは”Hanasaka Castle“を参照ください。
そのOuter Moatの北東部分から少し外に離れたところにある, 木々の中にたたずむ, 木造2階建てのやや灰色がかった壁の, モスグリーン色の屋根を持つ建物の近くを, Akio Diasが歩いていた.
“いつ見てもこの石垣は飽きないな…”
彼は, 根っからの城好きではなかったが, 昼休みに彼の職場であるその建物を出て, この石垣をなんとなく眺めながら散歩をするのが好きだった. 独りで歩いているときもあるが, この日は, 昨年の4月に入ってきたYugo Cefiroを誘い, お昼時に様々な弁当を売りに来るワゴンが集結している場所に向かっていた.
補足: 人名の表記について Hanasaka Cityには様々な国や地域にルーツがある者が住んでいるため, 人名や地名などはアルファベットで表記し, 発音に基づいてスペルを決定する方式を採る. アルファベットを用いる国の人でも, 母国での表記方法が必ずしも使えるわけではなく, Hanasakaのルールに基づき改められる.
“Akioさんは, ‘Air Enhancer’は使わないんですか? 私は嗅覚が過敏なんで使ってますが, typicalのAkioさんも, 花粉症の対策にいいんじゃないかと思いますが.”
不織布のマウスマスクを付けていたAkioに, Yugoは何気なく聞いてみた.
補足: “typical”の意味 Yugoが言う“typical”とは, 身体的感度や性能または精神的状態が大多数の人が収まる範囲内であることを意味し, 逆にその範囲外であることを“atypical”という.
気の早い桜の花がちらほら咲き始めるこの時期, Hanasaka市民は, 市外の南方にある針葉樹の森から飛来する大量の花粉にまだ悩まされていた. それだけでなく, 人類によるこの数世紀の地球の大改造に伴い, 年中, 人体に有害なものが諸々浮遊している. そのため人々は, 無防備に外気にさらしている顔面上の器官のうち少なくとも目と鼻は何らかの方法でカバーすることを当然のことと捉えるようになっていた.
基本的に, 小さな子供以外, 身体上の問題がなければ, 就寝中や入浴中を除き, 顔面には何らかのデバイスを装着しているのが普通で, まず, 目は, その視力に関係なく, 目の前の現実世界に様々な情報を表示する, “Smart glasses”または単に“Glasses”と呼ばれる装置を付けるので, それで覆う.
これに加えて, Akioのように, 寒い季節はマウスマスクを付けて鼻と口を覆ってプロテクトしている人もいるが, 気温が高くなってくると暑苦しい. そのためYugoのように, 自分の鼻を2センチほど伸ばす感じになる小型のデバイスを鼻の先端に装着する人もいる. これは, 通気性はあるものの不織布並みに浮遊物質をブロックする, 極めて薄く柔らかい膜を鼻の孔の前にかぶせるものである. 嗅覚の敏感さも自分好みに調整できる.
“マスクで十分かな.”
“そうですか. 楽ですよ. 常にきれいな空気が吸えますし.”
このような外付けの人体補強装置を“Enhancers”といい, 10年ほど前から世界的に普及が進み, 多種多様なものが日々, 世界のあちこちで作られていた. Smart glassesもその一種といえ, また, Yugoが付けている“Air Enhancer”は就寝中も入浴中も常に付けっぱなしであり, 人体の一部と化しているといえるものもある.
補足: この物語で出てくる特徴的な日用品について 詳しくは”Technologies“を参照ください。
Enhancersによって人間の感覚器官や腕や脚などを機械的に気軽に調整したり補強したりすることができるようになったことは, 単に人々の生活を便利にしただけではなかった. 自分たちが同じ種類の生き物であっても身体の様々な設定値がそれぞれ異なっていることを改めて気づかせ, そうした個体差のある人が一緒に暮らし, または暮らせる社会の実現を人々がより意識するようになったのだ.
“まあ, 今は‘Glasses’だけでいいかな.”
新しいギミックにすぐに飛びつかない, 流行に鈍感なAkioでも, smart glassesはさすがに常時装着していた.
各個人が手軽に持てる情報携帯端末が20世紀の末に登場し世界中に広がった当時は, その端末の表面にあるスクリーンを見て人々は情報を操っていたが, Akioたちがいる時代では, そんな狭いところを目を凝らして見ているのではなく, “Nexus Unit”または略して“Nexus”と呼ばれる端末自体をベルトに取り付けたりポケットやカバンなどに入れたりしておき, smart glassesとそのNexus Unitとの間で大量の情報をリアルタイムで授受しながら, ガラスの面に映し出される拡張現実の視界の中で人々は情報を得て操っていた.
補足: Nexus Unitについて Hanasaka市民は市から貸与されたNexus Unitを使っており, 市が認可していないものを使うことは禁じられている.
そうした人工的に作られた視界を“AR view”または単に“AR”というが, 人々はそれなしに日常生活を送ることはもはや至難の業になっていたため, 幼児以外で, smart glassesを付けていない人に外で会うことなどほぼあり得ない. あるとしたら, それは仮想空間の中で他人に会うときであった.
仮想空間内で過ごす時間が増えるにつれて, 人間にとって物理空間は制約が多いうえに情報不足で不確実な空間に思え, せめて視界は仮想空間と同程度の支援を施してくれる器具を付けて物理空間に飛び出すべきだと考えていたのだ.
“やれやれ. そんなこと言ってたら時代に取り残されますよ. Typicalでもatypicalでも, “nano-machines”を体内に取り込んで心身を調整する時代なのに, 外に付けるEnhancersぐらいでまだ抵抗があるなんて.”
Akioとしては, 人それぞれ順応のスピードは違うわけだから放っておいてと言いたかったが, うまく言葉が出ず, “お, おれはおれだから.”とだけ言った. 彼は, 頭の中に浮かんだことを実際に口に出して話すのに時間がかかったり, 途中でつかえたりすることが多かった. また, 長いセリフを話すのも苦手だった. そのため, スピーディーな会話のキャッチボールはせず, 短い文章をワンクッション置いたうえでポツポツと話した.
他方, Yugoは, 太い眉毛で目つきが鋭い外観には似合わず, 機嫌が良ければいくらでもペラペラしゃべるタイプであるため, Akioとの会話では9割ほどはYugoのセリフで占められた. また, 言葉が滑らかに出てこないAkioが何を言おうとしているのかを気遣う優しさもあり, AkioとしてもそんなYugoとの言葉のキャッチボールが嫌ではなかった.
ほどなく2人は, 城の外の北東側からOuter Moatを渡って内側に入ることができる“Lily Bridge”と呼ばれる橋の前の広場に出た.
補足: Hanasaka CastleのLily Bridgeについて このLily Bridgeは可動式で, 日中はこの橋を渡って堀の内側と行き来できるが, 夜間や有事の際は, 堀の内側に橋全体が引き寄せられるため往来できない.
“今日はワゴンが3台だけか… どうします? さらに先へ行きます?”
Akioはここで適当に買ってさっさと職場に持ち帰って食べたかったので, “あまり時間ないから, ここでいい.”と返事した. Yugoも了解し, 2人ともピザを売っているワゴンを選択し, それぞれ注文した.
“安易にnano-machines, 入れられたら, ピザもまずくなるかも.”
Akioは, nano-machinesの活用には否定的だった. この時代, 本人の同意なく体内にnano-machinesを入れることは重大な犯罪であるが, 仮に医師から十分な説明を受けて同意をしたうえで摂取したとしても, 自分の身体の機能や性能が予想外に大きく変化してしまう危険性は否めず, ピザをうまいと感じる感覚もいつどこでいじられるか分からない不安を口にした.
“Akioさんは慎重ですね. まあ, 技術が進歩するにつれて, 人間はだんだん, 自分という存在が確固たるものではないと思えるようになってきてますけどね.”
AkioとYugoは自らの体内に入れることになる食欲をそそる匂いを発する物体を入れた容器を手に持ちつつ, 来た道をまた戻る途中, Akioは, 自分よりはるかに順応性が高く, 悪く言えば早々に今の仕事に飽きそうなYugoに, “この職場に来て, そ, そろそろ1年だけど, どう思ってんの?”と聞いてみた.
昨年4月に同僚として迎えたYugoは, どこの国の出身かは明かしていなかったが, 世界的に有名な大学を卒業しており, 一見しただけで頭の良い人間だと分かるが, かといって決してエリート気取りせず, 熱意があふれる青年であった. 彼ならば, 市外にある巨大企業や主要な国の中央官庁など, どこにでも就職できそうに思えた.
しかしYugoは, Akioには解せないのだが, そうしたところには全く見向きもせず, 働くならここしかないという強い意思を持ってこのHanasaka Castleへ来たのだと言う.
住む場所として彼がHanasaka Cityを選んだ理由は, 分からなくはなかった. それはここHanasakaがある意味で最先端の都市だからだ.
職場の仲間から見ても仲が良く, すぐに打ち解け合えたAkioとYugoには共通点があった. それは, 彼らはある島国に長く住み, その地で教育を受け, そこで話される言語も完璧に使えるのに, 外見上その島国の人だと思われないことであった.
Akio Diasは, 5年前にHanasaka Cityに引っ越して来るまでは, “KAWAI Akimori”という名前だった.
補足: ファミリーネームを先に表す場合の人名の表記について その島国の人の名前は, ファミリーネームとギヴンネームを併記する場合, その慣習に従ってファミリーネームを先に表記し, ここではそれを大文字にする.
彼はその国に生まれ, そこの国籍を持ち, ファミリーネームも名前もありふれたもので, 黒い髪の毛に茶色の虹彩を持っていた. しかし彼は, その国の一般的な人たちより肌の色がやや黒かった. そして彼の母親はその国の生まれではなかった. ただ, それだけ. それだけで彼は数えきれないほどの苦労を重ね, また味わう必要のない失望も感じてきた.
ところが9年前, ユーラシア大陸の東方沖にあるその島の一部に, 国際公約に基づき, “Experimental City”または略して“Experi-City”と呼ばれる都市が誕生した. その都市の名前は, “HANASAKA”.
21世紀に入ってからずいぶん経った頃, 人類はこの星にExperimental Cityと呼ばれる都市を23か所建設し, Hanasakaはその1つであった.
Experimental Citiesは, その当時存在していたいくつかの国の一部の領土を切り取って設立されたが, その譲り渡した国の憲法も法律も及ばず, 行政上も司法上も独立した都市であった.
補足: 国名の非言及について Hanasaka Cityの人たちは, その設立のために領土の一部を譲り渡してくれた国を, 具体的な国名を言わずに, “Moto”と呼んでいた.
そしてExperimental Citiesは, その名から想像できるが, 実際にそこに人が住み, 生活をしながら様々な実験をおこなっている都市であった. より正確に言うと, 生活そのものが実験であった.
まず, その都市の立法も行政も司法も, 実質的には, 人間の幸せを第一に考えるAIと情報システム群によって運営されていた.
そして, 少なくとも18歳以上の市民は全員, 個体の識別と管理をする”micro-chips”が体内, すなわち多くは, 両手の親指と人差し指の付け根の辺りに埋め込まれ, その健康や安全は情報システムの複合体によって守られていた.
さらに, すべての市民に, つまり生まれたての赤ん坊も所得のある人も含めて市民権を有する者すべてに, 所定の金額を毎月各々に付与し最低限の所得を保障する, “Universal Basic Income”または略して“UBI”といわれる制度が導入され, 働かなくても, あるいは働けなくても, 衣食住に困窮することのない生活が約束されていた.
補足: Experimental Citiesの特徴的な社会制度について 詳しくは、Experimental Citiesを参照ください。
こうした社会環境の中で生活している人間はどう変化していくのか, そしてそもそもそのような社会環境をどうやって維持するのか, それを観察し試行錯誤するための舞台がExperimental Citiesであった.
従ってそこに住む人々は, ただのんびりと暮らしているだけで良いのだが, それだけだと飽きてくるであろうし, 社会を維持し発展するための労働力は必要であるため, 報酬を得て仕事をすることもできるし, 市から募集の告示がなされる様々な実験的施策や社会貢献活動に参加することもでき, そうしたことは奨励されていた.
そしてExperimental Citiesでは, 市民や市外の者から提案された様々な実験について, その必要性と相当性を情報システムの複合体がテキパキと判断し, 妥当とされたものは次々と実施された. 文化的, 宗教的または政治的な意見の対立によって多くの国では実施が難しい施策や実験があっても, Experimental Citiesは相当の対価をその国が支払えば速やかに実施を請け負っており, 市外の者たちもその点に存在意義を感じていた.
そうした実験を実施するにあたっては, ある程度の人の数と, 多種多様な人を確保しておく必要があることから, Hanasaka Cityの憲法といえる基本条例には, “何人もやむを得ない事由がない限り, 他人に出自を問うてはならない.”, “何人も他人の出自を, 事実であれ憶測であれ, ほかの者に伝えたり, 知りうる状況にさらしたりしてはならない.”という規定があった.
この出自を問わない原則, “The Principle of Non-Inquiry into Origins”は, Hanasakaでは, “Hanasakaに, 住めばみんな, Hanafolk.”という標語でまとめられ, 幼稚園児でも知っている. これは何も崇高な理念を掲げて自己満足に浸りたいわけではなく, 人類の発展と平和のために自分が実験台になっても良いと思う殊勝な人はそう多くはないため, 出自をいちいち気にしていては, 実験に必要な人数を集めることができないからだと一般的には言われていた.
補足: “Hanafolk”について ちなみに“Hanafolk”は, Hanasaka Cityの人々を意味する造語で, 正式には“Hanasakans”というが, 特に市民たちは自分たちを“Hanafolk”と呼ぶほうが一般的である.
Akioの場合は, 自らが実験台になることを望んでいたわけではなく, みんなが出自を気にしない社会に魅力を感じてこの都市にやってきた.
Hanasakaに移住して来たAkioは, いかにして, 周りの多くの人と同じ国籍の人として認めてもらうかに腐心する必要はもはやなくなったと考えた.
そしてHanasakaでは, 市民権を得るにあたっては, 自分のファミリーネームを捨てて, 自分で選択した新しいラストネームに変更する必要があったことから, これまで使っていた “Kawai”というファミリーネームを, 母親が名乗っていた “Dias”に改めた. さらにHanasakaでは, ファーストネームもラストネームも, 3年間のインターバルは設けられるものの, 何度でも自分の意思で変更できることから, ギヴンネームも変えることにし, Hanasaka市民の多くがファーストネームを3音節程度で言えるものにしていたことから, “Akio”と短くし, “Akio Dias”で生きることにした.
補足: 名前の表し方について Hanasakaでは自分の意思で何回も名前を変えることができるため, ギヴンネームやファミリーネームとは言わずに, ファーストネームやラストネームという. なお, Hanasakaでは, 基本的にはファーストネームで呼び合い, ラストネームは補助的な識別コードとして扱われるぐらいで, 何かの行政上の手続きや格式のあるセレモニーなど限られた場面でしか使わない.
Scene 1.1.3:
“あの, 私はAkioさんと違って, Hanasaka誕生の瞬間にはこの市内にいたんですよ. Hanasaka式の生活にはとっくに慣れてますって. まあ, 大学に入ってから数年間, 市外にいましたけどね.”
Yugoは, 先輩ぶるのはよしてくれという態度で答えた.
“とぼけてるな? ‘Castle Office’に来て, 1年経って, ど, どうなのかってこと. 面倒くさいなあ.”
“Castle Office”と呼ばれているその団体は, Hanasaka Castleの復元, 管理, そして活用をおこなうために作られた, 法人化された民間団体で, 正式には“Hanasaka Castle Development Association”という名前であった. この団体は, 確かに世界的に知られていた存在であったが, Castle Officeという団体が有名というより, 彼らがHanasaka Castleの近くで毎年春と秋に開催している“Kassen”という名のスポーツ・イベントが好評で, 多くの人々に知られていた.
このKassenは, Experimental City Hanasakaの誕生に合わせて始められた. どこのExperimental Cityもその当時の世界最高のsuper-intelligenceと情報システム複合体によって運営されていたが, Hanasakaでは, “機械” (この時代の人たちは, メカニカルな構造体のみならず, AIや情報システムなども含めてしばしば“機械”といっていた.) に支配された人間味のない都市のように人々に見られるのを恐れて, 厳格なルールの下で, 人間臭い, 生身の肉体がぶつかり合うイベントを考案したのであった.
そのKassenも今年で9年目. 最初は市民のための小さな催しにすぎなかったが, Kassenの試合に出る“Fighter”と呼ばれるプレイヤーたちの活躍によって, 多くの人々に興奮と感動を与え, 多くのストーリーを生み出し, 市外においても確たる知名度を持ったスポーツ大会になっていた.
そんな特別なステイタスを持つイベントを取り仕切る団体であるから, 有名な大学を卒業していようが, ここに就職したいと思っても不思議ではないとも思える. 事実, Kassenの現場で働きたいとCastle Officeへの就職を希望する者は数知れずいるため, むしろYugoほどの人材でないと入れないとも考えられる.
Yugoは, Akioの知りたがっていることを理解して, “Castle Officeに来てどうなのかってことでしたら, 不満なんて全くありませんよ. だって私は, Kasgaさんのおそばで仕事がしたくてここに来たんですから.”と返答した.
“何それ…, ほ, ほれてるの? メルヘン? マンガみたい.”
“バカにしてるでしょ. それにその言い方, Kasgaさんに失礼ですよ. だいたい, あのかたに魅了されない人なんていないでしょ.”
“そ, それは分かってる. 実際, お, お話しした時, 頭, 真っ白になったから.”
“自慢ですか?”
“事実を言っている.”
“じゃあ, メルヘンであろうが, マンガであろうが, 私の思いも事実です.”
一応, YugoがCastle Officeを気に入っている理由は理解できたとして, でもなぜ, KassenのFighterが試合中に使う, 相手を攻撃しまたは自分の身を守るための“Equipment”が正常に動作するかを検査する, “Equipment Inspection Section”または略して“EIS” (英語の“ace”と同じ発音をすることが多い.) と呼ばれる部署を希望して来たのか, それが彼にはいまだに十分納得できていなかった.
Castle Officeは, 11年前, 7人から始まった小さな集まりであったが, 今はスタッフの数が70人を超す組織に成長していた. その中の1つのサブユニットであるEISも重要な業務をになっているには違いなく, AkioやYugoを含めて7人の常勤のスタッフがいた.
Kassenの試合で使うEquipmentは, Fighterが手に持つ攻撃道具である“Weapons”と, 身を守るために体に装着する“Outfits”を合わせた総称である.
このEquipmentを検査するには7人はぎりぎりの数であり, 一昨年に退職を希望する者が1人出たため募集をかけたところ, 入ってきた新人が, 見るからに, また履歴書の上でも優秀な青年であったために驚いた. なぜなら, Equipmentの点検は, 決められたことをきっちりやりさえすれば良く, まじめであれば学歴に関係なく誰でもできる仕事であるからだ.
“で, EISの仕事は, ど, どうなの? 優秀な人が, こんな…, 単調な仕事, 合うと思えないし.”
Yugoは, Akioが言い終わるやすぐに, “何言ってんですか. ばっちり合ってます.”と, 太い眉毛を釣り上げてきっぱり答え, 自分がずっとKassenのファンであったこと, それゆえKassenを身近に感じられる裏方の仕事をしたいと思っていたこと, そしてその裏方の中で, Equipmentの点検は大事な仕事であり, それにたずさわれてうれしく思っていることを改めて説明した.
Akioは, 自分も同じ仕事をしているので大事な仕事であることはYugoに言われなくても分かっているし, 一応その説明に納得はしつつも, もっとKassenの運営全体や対外的な折衝にたずさわる部署などのほうがクリエイティブな感じがして良いのではないかと尋ねた. しかしYugoは, EISのほうが魅力的であると, ぶれずに答えた.
“Akioさんは前からやってるから当たり前のように感じてるかもしれませんけど, Kassenが単なるショーじゃなくてスポーツとして成り立つには, やっぱりEquipmentがちゃんと使われてることが一番大事じゃないですか. 決められたスペックどおりの機能と性能を持つEquipmentを, Fighterたちがルールに従って使う. そうじゃないとKassenは成り立たないじゃないですか. そういう意味で我々は, Kassenの最も基本的なところに関わってませんか?”
“まあ, 理屈はそうだけど…”
Akioは, そう言って左手で自分の後頭部をかいた.
“理屈だけで選んだわけじゃありません.”
Yugoはそう断言し, Equipmentのinspectorは, それを取り扱ううえでいろいろなFighterたちと直接会えること, またその製作, 装飾または修理に事業する人たちとも関わりを持てることなど, その魅力はいくらでもあることを熱く語った. そして, “Akioさんもそういう思いで入ったんじゃないんですか?”と逆に問いかけられ, Akioはしばし言葉に詰まった. そうとも言えるし, そうとも言えないからだ.
Akio自身, 3年前にこの団体に, 無期限雇用のスタッフとして就職したのも, やはりKassenが好きだったからといえなくはなかったが, Yugoほどの熱心なファンではなかった. 大学に在学中にCastle Officeの臨時スタッフとして関わったことが縁となって, そこに就職したにすぎなかった. それに, その臨時スタッフも薄給であったため, 積極的な気持ちで応募したわけでもなく, Experimental Cityに移住してきて, 全く働かないのも退屈だと思って求人広告を見て, やってみようかなと軽い気持ちで門戸を叩いてみただけだったのだ.
実際にCastle Officeの臨時スタッフとして登録し, Kassenの裏方として働き始めると, ほとんどが雑務だったが, 彼が他人との会話に難があることを周りが受け入れて仕事を与えてくれたため, 繁忙期だけの仕事であったが, 在学中, より高給の仕事をやってみたいという気も起こらず, そこでまじめに働いた.
その働きぶりはCastle Officeのマネージャーたちにも高く評価され, 彼が大学卒業後にほかの仕事についてしまうと自分たちの実務に支障をきたす恐れがあると心配し, またCastle Officeでは学歴は不問であったため, 彼らのほうからAkioに対し, 大学を卒業したら無期限雇用のスタッフとして, またEISのメンバーとして採用したいが来てもらえないかと申し出たのであった.
Akioとしては, Hanasakaの市民である限り衣食住には困らないものの, 嫌いではない仕事を続けられるというありがたい話を捨てるのももったいないと考え, その申し出に応諾した.
しかしYugoと少し違うのは, 確かにEISのメンバーになればKassenの試合で様々なFighterたちに直接会えるが, そうであるがゆえに, 悩んだ挙句にそのメンバーになったのであった. 彼は, 数多くのFighterたちの中で1人だけだが, そのFighterと対面で会うと, のどに何かがつかえる感覚に襲われ, 息が苦しくなるのであった. 自分なりにその原因を分かっていたが, 自分の努力で解決できるものでもないがゆえに, 彼にとってはつらかったのだ.
“Akioさんって, ほんと, 顔に出ますね. 悩みに悩んでEISに入ったってことですよね?”
いつの間にかYugoはじっとAkioの顔を観察していた.
“な, なんでそう言える? 悩む人もいるだろ. な, 何の迷いもなく, 選択できるなんて, お, おかしい.”
“私は別に悩むことが悪いことだとは一言も言ってませんよ.”
Yugoは, 正直な先輩をからかっているわけでは決してなかった. Yugoの周りには, 言葉を選び, 相手に合わせて器用に行動できるスマートな人間が多かったが, まるでそうしたことができない人間の代表例のようなAkioとは気が合っていた. 自分も器用ではないほうだったからだ.
“私はただ, どうして悩んだのかをいつか聞かせてくれたらうれしいと思っただけです…”
後輩に心優しい言葉をかけられたAkioは, ドキッとして, 顔に照れが出るのを見られまいと視線を上のほうに向け, 城の石垣が目に入るとふと思い出して, “そうそう, い, 石の写真を撮ろうと思ってたんだ.”と話をそらした.
Akioは, 身の回りにある石を撮影してそれに自分が考えた名前を付けて投稿するとちょっとしたリワードがもらえるという, 実に地味な“Stone Souls”というアプリをNexus Unitに入れていて, 城の石垣を構成する石の中で, あるいはCastle Park内の地面に転がっている石の中で, 変わった形のものを見つけてはそれを撮影し名前を付けて投稿していて, すでに108個の石の名づけ親になっていた. 名前を付けられた石には信念のようなものが生まれ, その信念に基づく要望に応じて石どうしをフレンドとして関連付けもできる.
Akioは, 自分が立っている位置から見える範囲で, smart glassesで望遠ズームをかけて石垣を見渡してみたが, 今日は, おもしろそうな石は見つからず, 探索はあきらめた.
“Akioさんが好きそうな, まったり系の地味なアプリですね.”
“そうでもないけど… い, 石によっては, 強い意思を持っているし…”
Akioが名づけ親になっている石の中でも特に変わったものが1つあった. それは, 彼が働いている職場の建物の近くで見つけた火成岩の一種の石ころだが, “見渡す限りがれきにしたい”という, 人間から見ると危険な信条を持っており, 建物を破壊した時に出てくる石を100以上見つけて登録せよという面倒なクエストを出していた.
“へえー, 荒涼とした世界が好きな石なんですね.”
Akioは, YugoのAR viewにも, 自分の石のコレクションの画像を共有し, その中の, 3月1日にAkioによって登録され, “New Moon in the Dark”と名づけられた, 球体に近い黒い石に指を当てて紹介した.
“そうなんだけど, こ, こいつが, 今日は変なんだ.”
Stone Soulsで集められた石たちはAR viewに表示されると即座に何か一言つぶやくようになっているのだが, その黒い石が出した言葉をYugoに見せるため, Akioは自分のAR viewの中に現れているStone Soulsの表示画面を空中で人差し指で触れ, それをYugoのほうに弾き飛ばす操作をして, YugoのAR viewにもその画面がシェアされるようにした.
“Castle will fall to dust, As spring sun sinks to night. Flower garden’s god, Will have lost all faith. You who hold the black stone, Go towards the blue light.”
不思議なメッセージをYugoが小声を出してなぞった.
“不気味ですね. 何かを暗示しているんでしょうか?”
Akioが言うには, 過激思想に染まったこの石は, いつもは, “燃やしてやる!”とか “たたきのめす!”といった攻撃的な短い言葉を発するぐらいだが, 今日に限っては, いつもより長い, しかも詩のような文章を生成したのだ.
“‘You who hold the black stone’って, Akioさんのことですよね? としても, いったい何を求めているんでしょうね?”
“う~ん… ‘Blue light’って何だろう?”
その時, AkioとYugoのAR viewに, EISのマネージャーのJuliaから, セクションのメンバーたちと13時半からおこなう予定だった会議を延期してほしい旨の急ぎのメッセージが差し込まれた.
補足: 時刻の表示方法について Hanasakaでは24時間方式で時刻を表す. ただし日常会話では、話者によっては, 従来のアナログの時計盤をイメージして, 例えば13時を1時と言うことはある.
Hanasaka Cityの鉄道や道路などの交通網を管制している“Vulcan”と呼ばれるシステムに異常が発生し, 現在, その稼働が一部制限され, Juliaが外出先からCastle Officeに戻るために乗っていた電車が途中の駅で止まってしまったとのことである.
Castle Officeの最寄り駅から3つ離れた駅で足止めされたJuliaは, 近くにあるビジネス用のカフェで仕事をしようとそこで電車を降りた.
“おそらくこれは外部からの攻撃. ちょっとした小手調べだろう. いよいよ敵が動き出したということか…”
Juliaの考えは正しかった. 多くの場合, 敵はいきなりド派手に登場しない. 様子をうかがいながらじわじわと忍び寄ってくるのである.
Chapter 1.2: Sapphire Comet
Scene 1.2.1:
その後, “Vulcan”のシステム障害はその日のうちに収束し, 一時的な出来事として終わった.
また, AkioとYugoの間で, “New Moon in the Dark”の謎めいたメッセージについて話題に上がることはしばらくなかった. 翌日から, その黒い石のつぶやきは, ロック魂を武骨に見せたいつもの調子に戻ったからだ.
基本的に, Hanasaka Cityは平和であった. 百万には届かないものの多くの人が住む大都市であったため, もちろん犯罪や火事は毎日どこかで発生していたが, ほかの同等の人口の都市に比べると, 問題にならない程度であった.
そして, 本格的に春を迎え, 気温も軽やかなステップで上がっていくとともに, Hanasaka Cityでは, 4月の中旬から始まるKassenの”Spring Games”に人々の関心が集まりつつあった.
おおよそ200平方キロメートルの面積を持つHanasaka Cityは, Castle Parkやそれに隣接する“City Office” (市の行政機関) の建物などがある中央のエリアを除き, East, South, West, Northの, 4つの行政上のエリアに分かれており, それぞれにCastle Officeが主催するKassenに参加する, “Kassen Club”または単に“club”と呼ばれる団体がある.
そのclubに所属し, Kassenの試合に出場する選手を“Fighter”という. Castle Officeが定めるKassenの公式な規則 (“Kassen Regulations”) では, Fighterは, 20歳以上のHanasaka Cityの市民権を持っている者であれば基本的には誰でも採用試験を受ける資格があった. またKassenの規則では, 試合に出るFighterは, 身体的な性に基づき, 男女の数をほぼ同じにしなければならないと定めていることから, Fighterたちの集まりであるKassen clubは決してマッチョな男臭い団体ではない.
Kassenは, Hanasakaを含む島々一帯においてかつて実在していた武装集団の戦いをモチーフにはしているが, その歴史や伝統を世界の人にアピールする気はさらさらなく, あくまで実験の1つとして新しく作り出されたスポーツであり, WeaponsもOutfitsも史実に基づき正確に再現されたものでは全くなく, 用語は, 基本的に英語であった.
補足: “Weapons”や”Outfits”について 詳細は、Kassenを参照ください。
つまりKassenは, 世界中からやって来た様々な顔や体格のFighterたちが所定のルールに従ってみんなで行動できるようデザインされ運営されているスポーツであり, その武装集団が唱えていた精神論を勉強する必要もなく, また彼らがいた島国の出身者だからといって有利なことは何もなかった.
そうした千差万別のFighterたちが活躍するKassenの世界, すなわちKassenの試合を主催するCastle Office, 試合をおこなうFighterたちが所属するKassen clubs, Fighterたちが使うEquipmentの製造などに関わる事業者, さらにはKassenのファンなどを含め, Kassenに関係する者たちの集合体である“Kassen community”で, ここ数年, 毎年人気トップ・ファイブ内に挙げられる有名なFighterが, Hanasaka Cityの“West”と呼ばれるエリアにあるKassen club, “Sapphire West”にいた.
名前は, Keiko Sacra.
Keikoは, Weaponsの一種であるspearの名手であり足が速かった. 自由自在にspearを振り回し前後左右に走り回り, 瞬時に相手を突き, 叩き, なぎ倒す. その実力は申し分ないがそれだけではない. 彼女の人気をさらに高めているのは, そのボーイッシュで精悍な顔立ちと凛々しい行動であった. 試合をおこなうfieldでは仲間のFighterに大声でしかも的確に指揮し, 仲間はもちろん観客にとっても, 強くて頼りになる勇士であった.
そのため彼女は老若男女を問わず人気であり, “Sapphire Comet”と呼ばれて親しまれていた.
そのスターFighterが今, 厳しい状況にあった.
4月7日, “Sapphire Comet, 左手首を骨折! Spring Gamesへの参加は絶望か?”と, メディアがFighter Keikoのけがを一斉に伝えた.
その前日, Keikoは, Hanasaka Cityと陸続きの隣の国“Moto”にあるHimeji CastleのKassen club, “Himeji Egrets”からの派遣要請を受けて, Hikone Castleのclub, “Hikone Cats”との試合に参戦していたのだが, そこで手首を負傷したのだ.
HanasakaでのKassenの人気とともに, “Moto”の各地にも自然発生的にKassen clubが数々作られたが, その中でCastle Officeの定める規格などを受け入れて運営していることを, Castle Officeから認められたclubが全部で16あった. それらは, Hanasaka Cityに4つあるclubのいずれかと協業の契約を結ぶことができ, その締結をもって“Alliance club”または単に“Alliance”と呼ばれるようになる.
Alliance clubは, Hanasaka CityでのKassenの試合には参加できないが, 市外において, ほかのAlliance clubと試合をおこなう (その試合を“Inter-Alliance game”という.) ことができ, その時に提携先のHanasakaのclubからFighterの派遣を受けることができる. Keikoも, Sapphire WestとHimeji Egretsとの協業契約に基づき参加したのだ.
補足: 提携契約について 逆に, Alliance clubの有能なFighterは提携先のHanasakaのclubが独占的にスカウトできる. そのほかにも契約では諸々の取り決めがなされるが, あくまで両当事者の地位は対等で, いずれも1年ごとに契約を継続するか破棄するか選択できる.
Scene 1.2.2:
4月6日の昼過ぎ, Hikone Castleの近くに設けられた試合会場は, 前日に降った雨のため, 足元はまだぬかるみがとれていない状態だった. しかもこの日, Keikoはもともと体調が悪かった. めったに引かないかぜを引いてしまい, 朝から微熱があった.
しかし, Hikone CastleやHimeji Castleがある“Kansai”と呼ばれる地域に生まれ, かつてそこに住んでいたKeikoは, 試合の後に旧友に会う約束をしていたため, これぐらいで負けてはならないとclubのヘルスケア・マネージャーから提供された解熱剤を飲んで試合に臨んだが, 案の定, いつもより体の動きに滑らかさがなく, 相手のspearの突きをよけようと後ろに飛び跳ねて着地した時に足が滑り, 倒れる体を左手で支えようと無理な力がかかって骨折してしまった.
“あぁ, 情けない. ウチの不覚やった…”
Keikoは夕暮れ時のオレンジ色の柔らかい太陽光線が差し込む病院の一室で, 短い真っ黒な髪を, けがをしていない右手でガリガリかきながら悔しがった.
彼女は, 幸い, 複雑な骨折をしたわけではなく, その日とりあえず運び込まれたHanasaka Cityの病院ですぐに手術を受け, 全治約3週間と診断された. 病院側は, Keikoが体調を崩していることもあり, そのまま1週間ほど入院し養生に専念するよう勧め, clubのヘルスケア・マネージャーも同意したため, Keikoは無理やり1週間, 病室に閉じ込められることになった.
ただ, そもそもKeikoのような根っからのFighterに, Kassenのことは考えずにゆっくり療養するよう強く求めたところで, そのようなことは通じない話であり, 彼女にとっては, 1週間も病室でじっとしていなければならないことのほうが苦痛であった.
入院してからまだ1日も経っていないにもかかわらず, 部屋にはEgretsとCatsの両club, 開催場所のHikone Cityの関係者, それに彼女のファンから贈られた花束や菓子などが並べられていた. そして非物理世界でも, Sapphire Westの仮想空間の公式の“掲示板”には, 見切れないほどの見舞いのメッセージが寄せられていた.
Keikoは, ファンからのメッセージは, 公式の掲示板に来るものはできるだけ読むようにしていたが, この日はそういう気分ではなかった. 昨日の戦いのことがまだ頭から離れなかったのである.
Hikone Castleでの試合では, 想定外のことが1つあった.
Alliance clubの“Hikone Cats”は, Hanasaka Cityの“East”と呼ばれるエリアにあるKassen club, “Garnet East”と協業契約を結んでいるため, この試合に, GarnetのFighterが何人か送り込まれることは当然として, 彼らの中で最大限に警戒すべきは, “King of Flame”の異名を持つ, Don Dandelionであった.
その日, 彼はMatsumoto Castleに向かう予定になっていたため, Hikoneには来ないだろうと思われていた. Garnet Eastの公式の掲示板でもそう書かれていたし, 前日に確認した双方の参加Fighterの名簿にも載っていなかったからだ.
ところが当日の朝, Donが予定を変更してHikone Castleの試合に参加する旨, Hikone Catsが発表し, 当日の朝9時の時点での最終確定版の名簿には彼の名前が入っていた.
SapphireとEgrets側は, この初歩的な情報戦に引っかかったことを認めざるを得なかった. Donが出てくるのであれば, Sapphire Westとしても精鋭のFighterをさらに投入しないと勝てる見込みは3割以下に落ちるといえ, 苦しい状況に追い込まれた.
Keiko自身も, 最大のライバルの突然の出現に平静心を失った. 観客は盛り上がり, Keikoにも声援を送ってくれた. 観客の期待に応えようとし, 外面は強がったが内心は焦るばかり.
“まずい… あっちは自分が相手と分かったうえで作戦立ててこの試合に臨んでるのに, こっちは全く予想してへんかった. 油断してたウチらが甘いだけかもしれんけど, 作戦も心の準備も何もないやん…”
そして案の定, 負けた. 大した見せ場を作ることもできず, DonとKeikoが相対しspearで勝負する場面もあったものの, ほとんど防戦一方だった. 左手首の激しい痛みに立ち上がれず担架が運ばれてきた時にDonが, 大丈夫かと話しかけてきたが, その時のKeikoに言った言葉が忘れられなかった.
“まあ今日はいきなり出てきたから, 仕方ないかもしれんな. でも, Kassenは単なるスポーツとは違う. 戦いなんだから, いつどんな相手が現れても冷静に倒せるようにならんと, ‘Apex Fighter’にはなれない.”
そう, そのとおり. Keikoは反論しようがなかった. サプライズを仕掛けたGarnetとCats側が悪いわけではない. 仮にそれをSapphireのスタッフたちが知っていながらFighterたちには黙っていたとしても彼らが悪いわけでもない. 自分の未熟さがこの結果を招いたのだ. それは分かっている. Donの言うとおり, いつどんな相手が現れても冷静に倒せる力量を持たなければ, Kassen Fighterの中で最強であり, “Apex Fighter”の称号を持つDonを倒し, 自らがそれになることはできない.
Keikoは, Apex Fighterの称号を得ることを常に意識し, それを公言していた. しかしその時点においてKeikoは, まだDonを倒すほどの実力は備わっていないと素直に認めていた.
彼女のバトル・スタイルは, 相手の攻撃をすばしっこくかわしながら接近戦に持っていくものだった. 身長160センチほどの彼女が図体の大きい男性Fighterとパワーでぶつかり合えば, ビデオ・ゲームの世界と異なり, 物理法則に基づき吹っ飛ばされ得るため, 俊敏な動きでそのパワーを前後左右にいなしながら, 相手の隙ができたところでspearやswordで突いたり叩いたりする.
ところがDonの場合, その隙がなかなか生まれない. パワーもあるし俊敏さもあるのだ. こうなるとKeikoは攻めどころが見いだせないまま体力を消耗し, やがてやられる.
とはいえ, Keikoはあきらめの悪さにも優れていた. 実際, 彼女のスキルは年々向上していたし, しぶといというかしつこいというか, 彼女は容易には負けないため, Donとの間でも“いい勝負”にはもつれ込める. しかし結局, 勝てない状態が続いていた.
“何かが足りてない. 何か分からんけど, その何かを見つけて身につけんと, Donさんに勝てへんし, 自分が最強のFighterやと認めてもらえない.”
モヤモヤした気分を払しょくするためにKeikoは, リンゴジュースを買おうと思い, 病室を出て同じフロアの, 自動販売機が何台か設置されている一角に向かった. 自分の右手首を販売機の前面の所定の箇所に近づけると, 飲み物を選択するよう求められ, その1つであるリンゴジュースの絵に指で触れると, マシンの前面中央部にある取出し口に目当てのものが出てきた.
そしてそこに目をやると, その取り出し口の上に一片の紙がセロファンテープで貼られていることに気づいた.
“Blue light, then shine bright.”
意味不明な短文が黒いインクで書かれ, 右隅に小さな二次元コードが付されていた.
その紙をKeikoがさっと引きはがした, ふとその時, 販売機の前面のパネルに, ゆっくりこちらに近づいてくる人影が映っているのが見えた. そして動物的な勘で, 何者かが背後から自分に襲いかかろうとしていると判断したKeikoは, いきなり振り向かずに, 気づいていないふりをしてジュースを取り出そうとやや前傾姿勢をとるや, 右腕を外側に伸ばしながらさっと右方向に体を回転させ, 左腕を盾にしたファイティングポーズをとった.
“いない?”
しかしKeikoは自分の直感を信じて, すぐに販売機コーナーから通路に出て左右を確認した. すると右前方に走る人影を視認し, はいていた院内用のつっかけを放って追いかけた.
入院患者とは思えない俊足で, はだしのランナーは怪しい人物にぐんぐん近づき, あと5秒ほどで追いつくだろうという距離で, 対象者が角を右に曲がったのを確認し, Keikoもそこで曲がろうとした時に近くを歩いていた病院スタッフに危うくぶつかりそうになった.
すみませんと一言謝ったうえで, 曲がった先を見ると, 走っている人は誰もおらず, 代わりに患者やスタッフなど十数人が確認できた.
“クソッ, どこ行きよったんや.”
Keikoの立っている通路の右側には男子トイレと女子トイレが並んで設置されていた. いきなり姿を隠せるとすればやはりトイレに逃げ込んだに違いない. しかもKeikoが女性であることを考えると, 入るのに抵抗を覚える男性用トイレに隠れていると考えて良さそうだ.
そこでKeikoは男性用トイレの前で, 腕を胸の前で組んで仁王立ちし, “こら! クソ, 出てこい!”と叫んだ. その後も何度も出てこいと大声でわめいていたことから, 誰かが, おそらくトイレ内で外に出れずにおびえていた男性が, 院内の警備室に通報したのだろう. 2分後にがたいのいい警備員2人が駆け寄ってきた.
“Keikoさん, あとは我々にお任せいただき, どうか病室にお戻りくださいませ.”
警備員は丁寧にKeikoの怒りを鎮めながら, 病室まで半強制的に連れ戻した.
結局, その怪しい者は見つからず仕舞いだった. Keikoとしても, 実際に襲われたわけではなく, そのような気配をして人影を追いかけただけだったので, 病院側が院内の警備員によるパトロールを強化することを約束したこともあって, 彼女としては警察に届け出ることまではしなかった.
ただこの時, もう1つ奇妙なことが起きていた.
Keikoがジュースを買いに病室を出る前に, 彼女を担当していた看護師の1人が彼女に処方する何粒かの錠剤を持ってきていた. ところがKeikoが警備員たちとともに病室に戻ってきた後, 見覚えがない別の看護師が来て, 先に別の者が持ってきた薬の一部は, 病状が回復しているKeikoには不要のものだったので, Keikoが病室にいない間にそれを取り除いた旨を, 詫びの言葉を添えて報告した.
冷静に考えると, 機械化が進んでいるHanasakaにおいて, そうした初歩的なミスが病院で発生することはほぼあり得ない. 各患者に渡す薬を用意するのは機械であって, 人間の看護師はそれを患者に物理的に運んで渡しているだけだからだ.
従ってそれは単なるミスではなく, それを運搬した人間が途中で差し替えたのではないかと疑うほうが普通である. しかしKeikoは, 先ほどの不審者を捕まえられなかった悔しさで頭がいっぱいだったので, 看護師の言うことを素直に受け止めるにとどまった.
Scene 1.2.3:
Sapphire WestのFighter Keikoが病院内で経験した出来事については, 30分後にはCastle Officeの“Green House”と呼ばれている事務所に, 外出先から戻ったばかりの, Directorの1人であるMonicaに報告されていた.
補足: Green Houseについて Castle OfficeはCastle Park内に複数の事務所を持ち, Lily Bridgeの近くにある木造2階建ての建物をmain officeと位置づけ, 緑色系の屋根を持つことからそこを“Green House”と呼んでいた.
“いやぁ, 危ないところだった. 病院に協力員を忍び込ませてFighter Keikoに毒薬を飲まそうとは, 敵もいきなり思い切ったことを仕掛けてきたものね…”
Castle Officeは, 信頼できる情報源から, 入院中のKeikoに, 悪い作用を起こすnano-machinesを体内に入れるための工作が近いうちになされる旨の連絡を受け, ひそかに彼女の周辺を監視していたのであった.
“あ, Juliaさん. ちょっと時間, いいかしら?”
Monicaは, たまたま自席の近くを通ったEIS (Equipment Inspection Section) のマネージャーのJuliaを呼び止めた.
Monicaは, Castle Officeにいる, 設立時から変わらない4人のDirectorのうちの1人で,人事, 経理, 職場環境など総務的な事項を担当している. JuliaがいるEISを管轄するのは, Equipmentや城に関する事項を担当する別のDirectorであるHarukiであったが, 彼がしばらく不在にしていたため, MonicaはHarukiの部下であるJuliaに, 現状に関する自分の認識を共有しておこうと思ったのであった.
そして2人は, 事務所の地下にある, 秘密の会話ができる会議室に一緒に下りていった.
その地下の会議室には電磁シールドが壁や扉に張られ, 外部に電波が漏れないようになっており, 室内にある電子機器の多くは有線でつながっていた. その中央には円卓が設けられ, その円周に等間隔にいすが置かれているが, MonicaとJuliaはそれらに座らず, 立ったままで話をし始めた.
Monicaは, まず今回のFighter Keikoの病院内の出来事を簡単にJuliaに説明したうえで, “やはり, Floraは, 先日の‘Vulcan’システムへの攻撃と今回のKeikoさんの件はつながっていると見て, 今後どんなことが起きようとしているのかをかなり気にしているようです…”と, 右手であごを触りながら小声で伝えた.
Floraは, それぞれのExperimental Cityの立法, 行政, 司法を含めた, 日常生活に欠かせない様々なサービスを提供する情報システム群を束ねてつかさどる, 人類がこの時代に有していた最高傑作のsuper-intelligenceであった.
普段, Hanasaka市民はこの都市を運営する様々な情報システムとNexus Unitを介してコミュニケーションをするが, その背後にいるこの都市の事実上の支配者であるFloraの存在を感じ取ることはほとんどない. なぜなら, 市民の日常生活においては, 手足となっている情報システム群が市民と会話すればよく, その上位にある中枢頭脳が市民に直接何かを語りかける必要がないからである.
しかし今, Monicaは, Floraを主語にした. Juliaは, 以前から彼女がたまにそういう表現をすることが気になっていた. それは単に比喩か文学的表現なのか, それとも事実をそのまま述べているのか, よく分からなかったが, それを聞く勇気がどうしても起こらず, そのまま受け流していた.
“何かこの後, テロか何かが起ころうとしているのですか?”
“分からない… ただ, どうも, 非常に厄介なダークAIが動き出しているみたいで, 悪いことが起きる予感しかしません.”
日進月歩の情報技術は残念ながら犯罪者にも恩恵を与えており, すでにこの時代, 犯罪の計画や実行を支援するAIやプログラムが闇の世界で数多く存在していた. つまり人間は, よほどの突発的なことでもない限り, AIなしでは犯罪をおこなうことなどなく, 犯罪者の裏にはほぼ確実に何らかの犯罪を生成し支援するAIが存在していた.
従って, Monicaが自分たちの脅威となっているものがAIであることを語ること自体に何の新鮮味もないが, “非常に厄介な”という言葉を付加したのが, Juliaは引っかかった.
“Floraに戦いを挑んでくるような, とんでもないAIがあるってことですか? もし本当にあるなら, 確かにそれは非常に厄介だと思いますが.”
23のExperimental Citiesにはそれぞれその都市を統治するFloraが配備されているが, 彼女たちは個々に主体性を持っているものの, 横のつながりも強固であり, Flora sistersとして1つの統合された意思を持っているようでもあった. そして日々, 学習結果を共有し改善を重ね, 行政手腕のみならず, 敵対勢力から身を守る戦術を磨きまくっているため, Flora sistersは最強であり無敵であると評されていた.
そんなFloraにまともに挑戦できるAIとなると数が限られ, 片手で足りるぐらいだが, そのうちのどれが動き出そうとしているのか, JuliaはMonicaに聞いてみたが, 彼女は明言を避けた.
“私が現時点でJuliaさんにお話ししておきたいのは, AIどうしの戦いが本格的に始まると, いろんな情報が入り乱れて, わけが分からなくなるから注意が必要だということです. 例えば, 複数の対立軸が持ち込まれて, いったい誰が自分たちの現実的な脅威なのかが分からなくなることもあります.”
JuliaはMonicaの助言を踏まえて, “例えば, Experi-Citiesの実験に反対する市外の‘Rusty-believers’との対立とか, Hanasakaの今の市長の考えに賛同する者とそうではない者との対立とかですか?”と例を示してみた.
補足: Rusty-believersについて “Rusty-believers”は, Experimental Citiesの市民の視点での言葉で, 機械が人間社会を実質的に運営している事実をいつまでも受け入れられず, 自分たちの実験を妨害しようとする, 古臭い思想に捕らわれた厄介者を意味している.
“そうね. その2つは, ごちゃ混ぜにしてかき乱してくるでしょうね. それに, 政治の話だけじゃなくて, 我々のKassen communityの課題のようなものまでネタにされて, 揺さぶりをかけてくる可能性もあるから注意してほしいの. 市民たちにとって大きなイベントであるKassenの試合に, 敵が目をつけないはずはないからね.”
Juliaは, Monicaがそこを自分に伝えたかったのかと合点した. どのような組織にも悩みや課題はあるが, そうしたものも, もしかしたら背後でダークなAIが糸を引いているかもしれないと疑い出せば, どんな組織であれ, 落ち着いて安心して仕事ができなくなる. 際限なく物事を検討できてしまい, 問題解決をためらってしまう恐れがある. しかし, のんきに構えていると, その些細なことを起点にしてそのAIに寝首を刈られるかもしれず, 迅速な決断と疑心暗鬼の両方が求められる.
“おっしゃるとおり, 非常に厄介ですね. 身の回りの警戒を怠らないようにします.”
“ありがとう. あなたなら大丈夫だと思うけど, 用心に越したことはないわ.”
自分より上の職位の者から信頼されていることを認識したJuliaは, それで気分が舞い上がるタイプではなく, 1つの疑問をMonicaにぶつけてみた.
“ところで, Keikoさんに誤った薬を渡した看護師はまだその病院にいるのですか?”
Juliaがそうした質問をしてきてもおかしくはないと思っていたMonicaはニンマリ笑みを見せて, “もういないはずよ. 安心して.”とだけ答えた.
Scene 1.2.4:
一方, 自分に毒を盛られかけていたことを一切知らされず, 怪しい悪者を捕まえられず不機嫌だったKeikoは, あまりぐっすり眠れないまま翌朝を迎えた. そして起床して最初にsmart glassesを装着した時に, AR viewに突然メッセージが表示されたことに彼女は驚かされた.
“この秋, Apex Fighterに贈られるswordを手に入れ, 愛と勇気を語る者を守れ.”
Keikoは小さな声で音読した.
“Castle Officeからのお知らせかな?”
しかしCastle Officeから発信されたことを示す文言は一切なかった.
Smart glassesは実際の視覚情報の上に, Nexus Unit内に入っている様々なプログラムによって処理された情報を重ねて, 拡張現実の視界をリアルタイムに生成しているが, 自身に何らかの危険が迫っている時には, その表示部分のやや上部に, 緊急のメッセージ文が, ユーザーの操作なく, 表示される. また, あらかじめ設定しておけば, 自分の興味がある重要なイベントがまもなくおこなわれる時にも表示されるが, いずれでもないのにこうしたメッセージがいきなり出てくるというのは, 極めて異例なことが起きたと言っていい.
従って, この正体不明の者からのメッセージに, Keikoは警戒心を覚えるべきだったのかもしれないが, 彼女は, それをCastle Officeによる善意の励ましの言葉と捉えた.
“へへっ. もちろん, そのつもりやで.”
彼女の闘魂に小さな熱い灯がともった.
Chapter 1.3: A Special Order for Workshop Nemophila
Scene 1.3.1:
Hanasakaに敵対的なAIによって自分たちも標的の1つになっているかもしれないという認識を持っていたCastle OfficeのDirectorたちにとっては, 当然ながら, 試合の最中に何らかの問題が発生し, Fighterやファンの命が奪われるようなことは絶対避けたいことであった.
加えて彼らは, それらと同等に, 何が何でも守りたいものがあった. それは, “Unifier of the Kassen Community”または一般的に“Unifier”と呼ばれる者であった.
このUnifierは, Castle Officeや市内外のすべてのKassen clubの上に超越的に立つ, Kassen communityにおける“統合の象徴”であるが, 何か強力な権限を持っているわけではなく, Kassenを明るく盛り上げるためのマスコットのような存在であった.
そのUnifierという役割を, Castle Officeは, Kasga Wisteriaという名の女性に演じてもらっていた.
彼女は, すべてのExperimental Citiesの市民が従うべき基本道理であり, また大事にすべき価値観を示した“Philosophy”や, それに基づきKassenに込められた思いや施策をよく理解し, Fighterのみならず, ファンやcommunityの人たちに, その意義を明るく優しく示していた. 彼女は, Kassen communityの多くの人から敬愛され, それゆえcommunity内で多少の不和が生じても, 彼女の前では恰好の悪いことができず自制が働き, 決定的な対立や紛争には発展せず, 組織の集合体を健全に束ねる機能を果たしていたのであった.
補足: “Philosophy”について 正式には“Philosophy of the Experimental Cities”といい, Experimental Citiesにおいて, 最上位の法規範に位置づけられる.
ところが, Experimental Citiesの取り組みに強く反対する者たち, すなわちRusty-believersからは, その模範的存在であるKasgaは, とても分かりやすい憎悪や批判の対象になり始め, 悪魔のボスに見えていた.
Experimental Citiesの外に住む彼らは, その中にいる住民がsuper-intelligenceによって身も心も完全に支配され, 様々な実験台にされながらも家畜のようにおとなしく生きているように見え, 非常に嘆かわしく不快に思っていた. そしてその家畜たちが自らの聖典であるPhilosophyを掲げて周辺に布教を展開し, いずれは自分が住む場所も支配されるのではないか, あるいは自分の親族や知人が次々と家畜のようになってしまうのではないかと恐れていたのだ.
他方で, そのPhilosophyに基づいて作り出されたsuper-intelligenceの支配によって安全で安心な生活を現に送っていることを実感している市民たちにとっては, そうした心配は妄想に思えた. 実験と言っても, 怪しい薬を飲まされたり, 心身の限界に挑むようなことをさせられたりするわけではない. そもそも人間の幸せを最優先に考えるsuper-intelligenceが飼い主であれば, そうしたことは起こり得ないのである.
従って市民からすれば, 自分たちが参画している実験は人類にとって有益であり, それをよく理解し分かりやすく伝えているKasgaは, Kassenというイベントで出てくるマスコットに留まらず, 彼女こそはこの時代における自分たちの最高の指導者に思えるようになってきたのだ.
敵対勢力からも一目置かれる大きな存在になってきたKasgaを, Castle Officeは, 警察に頼るだけでは心許なく, 自分たちでもできる限りの手を使って守ろうと考えていた. そこである日, そのDirectorの1人であるLerhiは, ある人物に協力を求めることにした.
Scene 1.3.2:
Hanasaka CastleのOuter Moatの最北端から500メートル余りさらに北に進むと, “Minerva River”という名の幅50メートルほどの水路が若干, 蛇行しながら横たわっており, その川を挟んで城から見て対岸側に“Pegasus”という名の中小の商工業者が集まっている地区がある.
このPegasusの西には“Fortuna”という名のHanasaka Cityで最大の繁華街があり, そこは高層ビルと街路樹が林立する洗練された緑豊かな街並みだが, その東の縁に位置するPegasusは, 道幅も狭く緑も少なく雑多な建物が好き勝手に並ぶ, かつてこの地を治めていた国の20世紀の典型的な都市の景観がまだ残っているところであった.
その中の, 大した特徴もなく, ぼんやりしながら歩いていると見過ごしてしまいそうな, ある雑居ビルの2階と3階を借り受けて, Kassenに使うEquipmentの装飾を専門に請け負うworkshop “Nemophila”が, 表に大きな看板を掲げることもなくひっそりと営業していた.
補足: Workshopについて Equipmentの製造, 装飾, 修理などをおこなう事業者のうち, EquipmentをFighterやteamの注文に応じてカスタマイズする事業者は, “Equipment workshop”または単に“workshop”と呼ばれる.
Kassenの試合に使うWeaponsやOutfitsは, すべてCastle Officeが定めるEquipmentの規格に則って作られ, これらの大きさや形はもちろん材質や耐久性, さらにそれらに組み込まれる電子機器の仕様も規格で決められている.
こうしたEquipmentは, 見た目は中世に使われていたものと似せてあるが, KassenのFighterたちが使えるWeaponsに殺傷力はない.
Kassenで使われるWeaponsは, spear, sword, dagger, bowそしてarrowがあり, そのうちspear, swordそしてdaggerのbladeの部分は特殊なゴムでできており先端も丸められているため, 叩かれると痛いが, 皮膚が鋭く切れて血が噴き出すようなことはない. Arrowにしても, arrow-headが直径2センチの大きさの球の形をし, 飛行中は空気抵抗を受けるようになっており, また軽いゴム素材で作られているため, bowを使って力いっぱい射ても, Outfitsや人体に突き刺さることはない.
つまり, Kassenで使うWeaponsは, 相手方に接触させる部分は金属ではなく, 市の条例で規制の対象としている“刀剣類”に当たらない.
こうしたEquipmentは, Castle Officeが認定したメーカーが規格に従って同じものを量産するが, その表面のゴムの部分以外の装飾はFighterにある程度自由が認められていた. そのためFighterたちは, より使いやすくするために, あるいは自らをアピールするために, 自分のEquipmentをworkshopに持ち込み様々な装飾を施してもらうのだが, このNemophilaの職人は腕が良く人気があった.
あのSapphire Cometが持っている“Four Star Spear”と呼ばれる名高いspearは, そのshaftの中央より少し先の辺りには, 小さなブルーサファイアの模造石が4つはめ込まれ, しかもそこが光る仕掛けになっており, このworkshopの作品の1つであった. (Spearの棒の部分またはarrowの軸を“shaft”という.)
そのspearの持ち主にアクシデントがあった翌日, Nemophilaに珍しい客人が訪れた.
“どうもご無沙汰してます, Lerhiさん. 2年ぶりですね. Harukiさんにはお会いすることはあるんですけど.”
Nemophilaの社長, Kagero Sacraは, Castle OfficeのDirector Lerhiを迎えた.
“いやいやどうも…, Kageroさんのworkshopにお邪魔するのは初めてですわ. EquipmentはHarukiさんの仕事やから.”
Lerhiは, HarukiやMonicaと同様, Castle Officeの創始者の1人であり, 広報や拡販活動, Kassenの試合をおこなうArenaの運営などを担当するDirectorを務めていた. Equipmentの管理を担当するDirectorはHarukiであり, Lerhiの役職だとworkshopを訪れる目的がよく分からなくなるため, Harukiが長期の出張に出ていることを理由に, その代理で訪問したい旨をあらかじめKageroに伝えていた.
“どうですか? お仕事のほうは?”
“おかげさんでお客さんも増えてます. 今年からはTopazさんからも受注をいただいてますし. まあ, 私の車いすがギリギリ通れるぐらいの狭苦しいところなんで, ゆくゆくはもっと広いところに引っ越したいですけど.”
Nemophilaは, 自分たちが借りている2階と3階の大半のスペースを作業場として使っており, Lerhiを迎えた事務用のエリアは2階の片隅に追いやっていた. そのためそこは, 確かに机と机の間隔も狭くてせせこましく, 車いすを使うKageroにとって安全上の配慮が十分になされた職場空間とは言い難かった.
“いろいろ大変かもしれませんけど, 商売繁盛なら何よりですわ. いやほんまに, ‘みんなで儲けて, より良い社会’ですわ.”
自分で即興で作ったキャッチフレーズが気に入ったのか, Lerhiは口ひげを触りながら陽気に笑い出した.
“ところで, Keikoさんは大丈夫ですか? もう心配で, 心配で.”
“ええ, 大したけがじゃないようです. 私も見舞いに行きたいんですが, まあこんな体やし, おかげさんで仕事もたくさんありますんで, 電話で話しただけなんですけど, あいつはほんまに戦うために生まれてきたようなやつですから, たぶんSpring Gamesもあきらめてないですよ. 何が何でも治すと思います.”
Lerhiは, Keikoの兄であるKageroから楽観的な言葉を聞いて少し安心した. Keikoは今やKassenの看板スター. 彼女が出るか出ないかではCastle Officeの売り上げに少なからぬ影響が生じるのは間違いなかった.
LerhiはKageroと2人きりで話をしたい旨を伝え, Kageroは事務エリアの一角にある唯一の応接室に案内した.
応接室といっても, 体を深く沈ませる革張りのソファや大理石風のテーブルもなく, 高価そうなつぼも置かれていなかった. 山小屋にありそうな丸太のテーブルと, 持ち運びやすい軽量な木製のいす4脚が部屋の真ん中に置かれ, それ以外は床の上には何も置かれておらず, 車いすで移動するKageroの安全が優先されていた. またテーブルの高さは, Kageroがそのままテーブルの端に来た時に手やひじを置くのにちょうど良いように合わせてあった. 壁には芸術性の高い観賞用のspearやswordが数本飾られていた.
Lerhiは部屋に入るなり自分が携帯するNexus Unitを右手に持ったままグルっと360度ゆっくり体を回した. 盗聴器などが仕掛けられていないか, 一応チェックしているのである.
特に異常がないことを確認したLerhiは静かに切り出した.
“Kageroさん, 次の’Autumn Games’が始まるまでに, 特別なWeaponsをこしらえてもらいたいんです.”
しばらく間を置いたうえでKageroは, “特別とは本物ということですか?”と尋ねた.
Lerhiは黙ってうなずいた. Nemophilaは, HanasakaのCity Officeの部局の1つであるPolice Departmentの許可を得たうえで, 本物の刀剣の製造と販売もおこなっていたのだ.
補足: City Officeの組織構成について City Officeは, 市長の下, Finance Department, Police Department, Emergency Services Department, Health Department, Education Departmentなどの複数の部局から構成される行政機関である. Police Departmentは略して“PD”と呼ばれることも多い. 単に警察と呼ばれることももちろん多い.
“Swordを8本, お願いしたい.”
“Sword?”
“はい. 正確に言うと, Kassenのswordに似ていて, 殺傷力があるものを8本です.”
“8本? なんで, 8本なんですか?”
Kageroは, Lerhiが示した数字が何を意味するのか見当がつかなかった.
“まあ, 予備も含めてなんですが, あまり深い意味はないです. 中に仕込む基板や電子部品はこちらから支給します. 装飾用の部品もいくつかはめ込んでいただきたいので, それも支給します. 仕様に関するデータも後でお送りいたします.”
Lerhiの回答はKageroの疑問を何ら解消するものではなかったが, 一応それは良しとして, 次に, “で, 誰が使うんですか?”と, 当然思う疑問を示した.
“護衛の者に持たせようと思ってます. 開会式や閉会式の時にKasgaさんの周りにつく, あの護衛です. あるいは, club teamの代表1人か2人に持ってもらおうかと考えてます. まあ, いずれにしろ儀式的なもんなんで, どっちでも構わないんですが.”
Lerhiのこの回答は, 使う主体が分かっただけだったため, “であれば, 別に本物じゃなくてええんと違いますか? 所詮, 儀式ですよね?”と, 多くの人がそう聞きたくなる質問が投げかけられた.
“まあ, 開会式や閉会式で, 本物の武器で彼女の身を守っているところを見せる演出をしたいんですわ. もし万が一, 何者かが彼女に襲いかかってきたときも本物の武器であれば, とりあえず撃退できるでしょうし…”
Lerhiの“撃退できる”という言葉は, 引っかかりを覚えざるを得なかった. 彼はそこに着目して, “でも, その何者かが銃で撃ってきたら防ぎようがないと思いますが.”といぶかった.
“まあ, あくまで演出が主目的です. 本当に彼女に対して厳重警備を敷く必要があるときは, 警察や警備業者に頼みますよ.”
Kageroは, この奇妙な依頼の真意を測りかねていた. 万が一のための備えと言いつつも, それは演出にすぎないという理屈が理解できなかったのだ.
“本物はお値段が2桁近く違いますし, 警察への申請も必要ですし, 演出のためにそこまでこだわる理由がどうも私には分かりませんが…”
Kageroはなおも慎重であったため, Lerhiはついに観念した.
“まあ, そうかもしれません. この程度の説明ではご納得いただけませんか…”
Lerhiは自分の説明が下手な抽象論だったと認めざるを得なかったが, 今ここでCastle Officeが把握している, Hanasakaに対する脅威の内容について詳しく語るわけにはいかなかった. なんとかぼやかしながらも, まだ多くの人が認知していない危機感を目の前の男と共有する必要があった.
“分かりました… 正直に申し上げます. でも, ここだけの秘密にしておいてください.”
Lerhiはそう言って, 少し顔を前に出して, “実は最近, 何者かは分かりませんが, Kasgaさんの命を狙おうとしているという, 信頼性の高い情報を得ています.”と, いつもよりぐっと声の高さを押さえて伝えた.
“Kasgaさんですか?”
“はい. もちろん警察とも連絡を取り合いながら対応しています. ただ, いつ襲ってくるか分かりませんし, 漠然とした不安のために警察にずっと警備をお願いしても彼らも暇じゃないですから無理でしょう. つまり, 日常の護衛のために, まあ, あまり知られていませんが, 我々は警備団体を別法人で持ってますんで, その警備団体の警備員たちから4人ほど護衛係として選んで, 彼らに使ってもらおうと思ってます.”
Lerhiの話に驚きを隠せないうえ, その内容も解せなかったKageroは, “いや, それだったら本物の刀とか持たせたら違法じゃないですか. 警察官じゃない警備員って, 殺傷性のないものしか使えないですよね.”と問うた.
“おっしゃるとおり, 今すぐは使えないでしょう. ただ, 彼女にかなり近い距離まで接近されて攻撃されたり, 複数の刺客が襲ってきたりすれば, 殺傷性のない武器では撃退できないでしょう. 幸い, 近いうちに市の条例が改正されて, 警備員が槍や刀を持って防衛することが認められるようになるはずですから, それを見越しての対策です.”
“そうだとしても, そいつらが機関銃とか手投げ弾とか持ってたら, 相手にならないじゃないですか. 我々は魔法の槍や弓を作れるわけやないですから, アニメやゲームのようにはいきませんよ.”
“分かってます. でもだからと言うて, 機関銃や手投げ弾みたいなものまで我々みたいな民間団体が用意したら, それこそ反社会的勢力じゃないですか. ですから, Kasgaさんを守るために周りの者が持っていても不審に思われないようなswordを作ってもらいたいんです. 万が一の場合に備えて, それを彼女の身辺警護をする警備員が正当防衛の範囲で使えるようにしておきたい. 考えすぎかもしれませんが, 備えはしておきたいんです. しかも大量にそうした武器を持つわけじゃなくて, 予備も含めて8本だけです.”
Lerhiの言っていることは分からなくはないが, 本当にCastle OfficeのDirectorの発言として捉えていいのか, Kageroはなかなか決断できず, ひたすら汗をかき続けた.
“ご心配なさらなくても, 警察への許可申請はうちでやりますから, Nemophilaさんは作ったものをうちに納めてもらえれば結構です. すべて我々に無理やり指示されてやったということで結構です.”
Kageroは諾否を答えず黙っていた. 殺傷力のある刀剣類を警備員が所持して警備業務に当たることは, Lerhiが言う条例が改正されれば合法かもしれないが, 改正されない可能性もあるはずではないのかと考えた.
Kageroの疑心暗鬼の様子を見てLerhiは, “まあ, いきなりこんな話, ホイホイと受けるわけにはいかんでしょうなぁ.”と言ってため息をついて見せた.
そして商談の成立に核心的に影響を及ぼす要素をズバリ提示しようと, “納期までに納めていただければ, 全部で8万‘XC’相当の額をお支払いしようと思ってます. 着手金として3割ほどは最初にお支払いします. 可能であればきらびやかで美しいものに仕上げていただきたいので, 足りなければ増額も検討します.”と口説いた. (“XC”は, Hanasaka Cityの通貨の単位で, “eksi”と発音する.)
Kageroにとっても, 値段も支払い方法も申し分なかった. 依頼人が何のためにどう使うのかにこだわらなければ, 悪くない取引だった. Kageroは口に出さなかったが, 彼がそう思っているに違いないと踏んだLerhiはさらに畳みかけてきた.
“Kageroさん, HanasakaはExperi-Cityだからこそ与えられたsuper-intelligenceによって運営されてますから, みんな節度を守って, 衣食住に困らず, 平和に暮らしています. でも, このまま実験を進めれば, 人間が自ら物事を深く考えたり, リスクを取ってより良い結果を得ようとしたりせず, ダラダラと一生を過ごすだけになって, 全人類が退化すると本気で懸念している人たちもいます.
“そうしたRusty-believersは, 我々の実験を, AIやロボットによる人類の家畜化だと考えて, Experi-Cityを廃止するよう求めているわけですが, その中には実力行使でExperi-Cityをつぶしにかかろうとする過激なやつらもいて, そいつらが近いうちにこのHanasakaをターゲットにして攻撃しようと準備を進めているようなんです.
“まあ, でもこんなこと言うても, 今のHanasakaの人たちには現実味がない話ですけど, 我々Castle Officeや警察は, 詳しくお話しできませんが, Hanasakaに何らかの混乱が起きそうな予兆をつかんでいます.”
Lerhiは, Kageroの妹のKeikoが, 体内に悪い作用を引き起こすnano-machinesが入った錠剤をのまされそうになったことは隠して, Hanasakaに現に魔の手が伸びてきていることを伝えようとした. Castle Officeは, Kassen communityに無用の混乱と不安を起こすことを避けるために, その事件を公表も通報もしていなかったからだ.
“Kageroさん, こういうことはよほど信用できるかたとやないと話せませんし, まあ今日こうやって直接お願いに来たのもそういうことです. KageroさんやNemophilaの皆さんにご迷惑をかけるようなことはありません. どうか我々を信用してください.”
両手を机の上に置いて頭を下げるLerhiの対面にいたKageroは, しばしためらったが, 結局は承諾した. NemophilaのようなworkshopはKassenがあってはじめて存在できるのであり, そのKassenを取り仕切っているCastle Officeは当然, 最重要ステークホルダーであり, その組織の経営陣の1人が単身で乗り込んできてこうやって頼まれると, 断ることは非常に難しい.
ただ, Kageroはどうしても解せない点があり, 承諾の意を受けて安堵の表情を示していたLerhiに, “あの, 1つだけ質問してもいいですか?”と尋ねた.
“私がお答えできることやったら.”
Lerhiは, 若干の警戒感をにじませながら鷹揚に答えた.
“すみません. なぜKasgaさんなんですか? こう言っちゃ失礼ですけど, Castle OfficeはKassenを取り仕切る団体ですから, まあ, 何らかの利権に絡んで恨みを持たれたり, 今の運営方針に反対するやつらがいて, Lerhiさんとか, ほかのDirectorたちが狙われることはあるかもしれません. でも, さっきからLerhiさんは, Kasgaさんの命が危ないっておっしゃっていますよね. なぜ, お飾りにすぎない, 形式的な頭領であるKasgaさんなんですか?”
“確かに何の利権も権力もないですが, 万人に慕われてますからなぁ. 彼女が殺されれば, HanasakaやKassen communityは極めて大きなダメージを被ることになると思いませんか.”
Lerhiは, 言葉を選びながら慎重に答えた.
“いやしかし殺すって, なんでそんなことまでする必要があるんですか? それに, みんなに慕われている人を殺してみんながショックで悲しんだとしても, そんなのでExperi-Cityをつぶすことにならないと思いますが… ちょっと理解できないです…”
Lerhiはあごに手を当ててしばらく黙っていたが, “まあ, その点は何とも申し上げられませんが, ただ我々も, 漠然とした推測で動いているわけではありません. そう考えざるを得ないいくつかの証拠があるからです… いずれにしろ, 今日お伝えしたことは, どうか決して口外なさらないでください. それからKasgaさんについてあまり深く詮索するのも控えたほうがよろしいでしょう. いずれもKageroさんの身が危なくなる.”と警告を示したうえで, “一言だけ申し上げるとすれば, 彼女はまだ本当の実力を出していません. しかしどうも敵はその潜在的な実力に感づいているようで, だから危険なんです.”と伝えて, 部屋を出た.
応接室を出たLerhiは, その後, workshopの中を見学し, そこで働く人たちに, 持ち前の陽気さを表に出してねぎらいの言葉をかけた. そして最後に, そこを出る前に振り返り, 戸口までついて来ていたKageroに一言付け足した.
“そうそうKageroさん, もう1つ大事なこと言うのを忘れてましたわ. 今頃, うちの姪がKeikoさんの見舞いに行ってると思いますわ.”
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