Part 1: The Ninth Spring
Chapter 1.1: Holder of the Black Stone
Overview (Spoiler-Free)
Akio Dias, a staff member at Castle Office near Hanasaka Castle, takes his lunch break with his younger colleague Yugo Cefiro. Their casual conversation introduces the world of Hanasaka City — an AI-governed experimental city built on principles of equality and shared living. The chapter also introduces Kassen, a unique sport central to Hanasaka’s culture. Meanwhile, a mysterious message from an unexpected source catches Akio’s attention.
Detailed Summary
Akio Dias, a staff member at the Equipment Inspection Section (EIS) of Castle Office, strolls near Hanasaka Castle during his lunch break with his junior colleague Yugo Cefiro. Their conversation touches on wearable technology such as Smart Glasses and Air Enhancers, revealing how citizens of this AI-governed city interact with daily life. Through their exchange, the chapter introduces the world of Hanasaka City — one of 23 Experimental Cities where AI systems like Flora manage governance, UBI provides universal income, and the Principle of Non-Inquiry into Origins ensures all residents begin as equals. Akio's own backstory illustrates this principle: he moved to Hanasaka to escape discrimination, changing his name in the process. Their workplace, Castle Office, organizes Kassen — a sport designed to showcase human vitality within an AI-run society. At the end of their walk, Akio notices an unusually poetic and ominous message generated by his favorite stone-collecting app, "Stone Souls," hinting that something significant may be approaching. Shortly after, a system disruption in the city's transport network — quietly recognized by EIS manager Julia as a deliberate external attack — signals that trouble has already begun.Scene 1.1.1:
まだこの世界に大きな変化が起こる前のこと.
人類は, 地球上に23の“Experimental Cities”を建設し, その時代に彼らが持っていた最高の技術と知識と文化をもって, 誰もが安全で幸せに暮らせるための社会実験をおこなっていた.
これからお話しするのは, その都市の1つ, “Hanasaka City”についてである.
そこには, さらに400年以上前に建てられた, 中世の風格を残した城があった.
この物語は, その城に関わる様々な人たちを中心に, その活躍を映し出したものであるが, この都市とこの城に着目した理由は, 人類社会の大きな転機となった一連の出来事のきっかけがそこで起きたからである. それは“Experimental City Hanasaka”に対しておこなわれた攻撃であり, より正確に言うとその対象は, その当時の人類の最高傑作のsuper-intelligenceである“Flora”であった.
Floraは, 正確にこれと指差すことができない存在だが, それぞれのExperimental Cityを運営し, その住民たちの生活を支え, 保護する, 人工のsuper-intelligenceである. 人類は実に様々なAIを誕生させたが, Floraと名づけられたこのAIは, 人間をこよなく愛し, 個人の尊厳を守り, 人間たちが生涯, 安全で, 経済的に困らず, 健康的かつ文化的に暮らせるようにするために作られたものであった.
人類はうんざりするほど戦いに明け暮れ, また彼らの産業活動はこの星の表層に改変を加え続けてきたため, そのしっぺ返しもたびたび受けるに至っていた. そうした中, 心ある世界中の天才たちが協力して最初のFloraを作り上げ, その運用基準を定め, それを23の都市に実装し, 人類の生き残りを彼女たちに託したのである. そして彼女たちは人間たちの期待を裏切らず, 慈悲深く彼らに接し, 特に社会的に弱い者たちにとっては, もはや元の社会に戻ることなどあり得ないと感じるほどの心安らぐ都市を出現させた.
しかしながら人間は奇妙な生き物であり, そのExperimental Citiesの成功を快く思わない者たちによる妨害活動も徐々に増していた. 特に, Hanasaka Cityが設立されてから9年目にそこで起こされた出来事は, 世界中の人を大いに驚かせた.
その時の敵対勢力は, Hanasakaの城と, それをモチーフにした“Kassen”と名づけられたスポーツに目をつけた. Kassenは, Hanasaka Cityの誕生とともに市民の娯楽の1つとして開発されたものであったが, 彼らがなぜ城という建物とKassenというイベントに着目したのかを理解するにあたり, このPart 1では, その出来事が起きる数か月前のHanasakaに飛び込み, Kassenに関わる人たちにスポットライトを当てて話を始めたい.
Scene 1.1.2:
城の堀のどんより淀んだ冷たい水にも早春の陽光が降り注ぎ, 柔らかく照り返してきらめき, 堀に沿って植えられた桜も気の早いものは少しずつ花をつけ始めていた.
正午の鐘の音を鳥のさえずりとともに耳に受け, まだ冷たさの残る空気を吸い込みながら堀の内側に目を向けると, 優美な曲線の石垣が静かにたたずんでいた. その石垣の上には真新しい白い塀が再建されつつあり, さらに奥にも塀が重なり, そしてその先にこの城のシンボル塔の勇姿が見える.
天にせり出すこの塔は, 石の土台から約40メートルの高さを持ち, “Hanasaka Castle”の城郭全体を眺め下ろせる建造物であり, ここが城の中心であり最後の砦であることを示す存在で, “Castle Keep”または単に“Keep”と言われていた.
このCastle Keepが建つ城の中心地はおおよそ五角形であり, それを取り巻く堀が二重にめぐらされ, さらにその外の周辺を含めて, 一辺が約1キロメートルの正方形に近い緑豊かな土地がHanasaka Cityの人たちの憩いの公園になっていた.
補足: 城の構造やその周辺について 二重の堀はそれぞれ, “Outer Moat”と“Inner Moat”と呼ばれる. 城を含むこの公園は, “Castle Park”と呼ばれている. 詳しくは”Hanasaka Castle“を参照ください.
そのOuter Moatの北東部分から少し外に離れたところにある, 木々の中にたたずむ, 木造2階建てのやや灰色がかった壁の, モスグリーン色の屋根を持つ建物の近くを, Akio Diasが歩いていた.
“いつ見てもこの石垣は飽きないな…”
彼は, 根っからの城好きではなかったが, 昼休みに彼の職場であるその建物を出て, この石垣をなんとなく眺めながら散歩をするのが好きだった. 独りで歩いているときもあるが, この日は, 昨年の4月に入ってきたYugo Cefiroを誘い, お昼時に様々な弁当を売りに来るワゴンが集結している場所に向かっていた.
補足: 人名の表記について Hanasaka Cityには様々な国や地域にルーツがある者が住んでいるため, 人名や地名などはアルファベットで表記し, 発音に基づいてスペルを決定する方式を採る. アルファベットを用いる国の人でも, 母国での表記方法が必ずしも使えるわけではなく, Hanasakaのルールに基づき改められる.
“Akioさんは, ‘Air Enhancer’は使わないんですか? 私は嗅覚が過敏なんで使ってますが, typicalのAkioさんも, 花粉症の対策にいいんじゃないかと思いますが.”
不織布のマウスマスクを付けていたAkioに, Yugoは何気なく聞いてみた.
補足: “typical”の意味 Yugoが言う“typical”とは, 身体的感度や性能または精神的状態が大多数の人が収まる範囲内であることを意味し, 逆にその範囲外であることを“atypical”という.
気の早い桜の花がちらほら咲き始めるこの時期, Hanasaka市民は, 市外の南方にある針葉樹の森から飛来する大量の花粉にまだ悩まされていた. それだけでなく, 人類によるこの数世紀の地球の大改造に伴い, 年中, 人体に有害なものが諸々浮遊している. そのため人々は, 無防備に外気にさらしている顔面上の器官のうち少なくとも目と鼻は何らかの方法でカバーすることを当然のことと捉えるようになっていた.
基本的に, 小さな子供以外, 身体上の問題がなければ, 就寝中や入浴中を除き, 顔面には何らかのデバイスを装着しているのが普通で, まず, 目は, その視力に関係なく, 目の前の現実世界に様々な情報を表示する, “Smart glasses”または単に“Glasses”と呼ばれる装置を付けるので, それで覆う.
これに加えて, Akioのように, 寒い季節はマウスマスクを付けて鼻と口を覆ってプロテクトしている人もいるが, 気温が高くなってくると暑苦しい. そのためYugoのように, 自分の鼻を2センチほど伸ばす感じになる小型のデバイスを鼻の先端に装着する人もいる. これは, 通気性はあるものの不織布並みに浮遊物質をブロックする, 極めて薄く柔らかい膜を鼻の孔の前にかぶせるものである. 嗅覚の敏感さも自分好みに調整できる.
“マスクで十分かな.”
“そうですか. 楽ですよ. 常にきれいな空気が吸えますし.”
このような外付けの人体補強装置を“Enhancers”といい, 10年ほど前から世界的に普及が進み, 多種多様なものが日々, 世界のあちこちで作られていた. Smart glassesもその一種といえ, また, Yugoが付けている“Air Enhancer”は就寝中も入浴中も常に付けっぱなしであり, 人体の一部と化しているといえるものもある.
補足: この物語で出てくる特徴的な日用品について 詳しくは, “Technologies“を参照ください.
Enhancersによって人間の感覚器官や腕や脚などを機械的に気軽に調整したり補強したりすることができるようになったことは, 単に人々の生活を便利にしただけではなかった. 自分たちが同じ種類の生き物であっても身体の様々な設定値がそれぞれ異なっていることを改めて気づかせ, そうした個体差のある人が一緒に暮らし, または暮らせる社会の実現を人々がより意識するようになったのだ.
“まあ, 今は‘Glasses’だけでいいかな.”
新しいギミックにすぐに飛びつかない, 流行に鈍感なAkioでも, smart glassesはさすがに常時装着していた.
各個人が手軽に持てる情報携帯端末が20世紀の末に登場し世界中に広がった当時は, その端末の表面にあるスクリーンを見て人々は情報を操っていたが, Akioたちがいる時代では, そんな狭いところを目を凝らして見ているのではなく, “Nexus Unit”または略して“Nexus”と呼ばれる端末自体をベルトに取り付けたりポケットやカバンなどに入れたりしておき, smart glassesとそのNexus Unitとの間で大量の情報をリアルタイムで授受しながら, ガラスの面に映し出される拡張現実の視界の中で人々は情報を得て操っていた.
補足: Nexus Unitについて Hanasaka市民は市から貸与されたNexus Unitを使っており, 市が認可していないものを使うことは禁じられている.
そうした人工的に作られた視界を“AR view”または単に“AR”というが, 人々はそれなしに日常生活を送ることはもはや至難の業になっていたため, 幼児以外で, smart glassesを付けていない人に外で会うことなどほぼあり得ない. あるとしたら, それは仮想空間の中で他人に会うときであった.
仮想空間内で過ごす時間が増えるにつれて, 人間にとって物理空間は制約が多いうえに情報不足で不確実な空間に思え, せめて視界は仮想空間と同程度の支援を施してくれる器具を付けて物理空間に飛び出すべきだと考えていたのだ.
“やれやれ. そんなこと言ってたら時代に取り残されますよ. Typicalでもatypicalでも, “nano-machines”を体内に取り込んで心身を調整する時代なのに, 外に付けるEnhancersぐらいでまだ抵抗があるなんて.”
Akioとしては, 人それぞれ順応のスピードは違うわけだから放っておいてと言いたかったが, うまく言葉が出ず, “お, おれはおれだから.”とだけ言った. 彼は, 頭の中に浮かんだことを実際に口に出して話すのに時間がかかったり, 途中でつかえたりすることが多かった. また, 長いセリフを話すのも苦手だった. そのため, スピーディーな会話のキャッチボールはせず, 短い文章をワンクッション置いたうえでポツポツと話した.
他方, Yugoは, 太い眉毛で目つきが鋭い外観には似合わず, 機嫌が良ければいくらでもペラペラしゃべるタイプであるため, Akioとの会話では9割ほどはYugoのセリフで占められた. また, 言葉が滑らかに出てこないAkioが何を言おうとしているのかを気遣う優しさもあり, AkioとしてもそんなYugoとの言葉のキャッチボールが嫌ではなかった.
ほどなく2人は, 城の外の北東側からOuter Moatを渡って内側に入ることができる“Lily Bridge”と呼ばれる橋の前の広場に出た.
補足: Hanasaka CastleのLily Bridgeについて このLily Bridgeは可動式で, 日中はこの橋を渡って堀の内側と行き来できるが, 夜間や有事の際は, 堀の内側に橋全体が引き寄せられるため往来できない.
“今日はワゴンが3台だけか… どうします? さらに先へ行きます?”
Akioはここで適当に買ってさっさと職場に持ち帰って食べたかったので, “あまり時間ないから, ここでいい.”と返事した. Yugoも了解し, 2人ともピザを売っているワゴンを選択し, それぞれ注文した.
“安易にnano-machines, 入れられたら, ピザもまずくなるかも.”
Akioは, nano-machinesの活用には否定的だった. この時代, 本人の同意なく体内にnano-machinesを入れることは重大な犯罪であるが, 仮に医師から十分な説明を受けて同意をしたうえで摂取したとしても, 自分の身体の機能や性能が予想外に大きく変化してしまう危険性は否めず, ピザをうまいと感じる感覚もいつどこでいじられるか分からない不安を口にした.
“Akioさんは慎重ですね. まあ, 技術が進歩するにつれて, 人間はだんだん, 自分という存在が確固たるものではないと思えるようになってきてますけどね.”
AkioとYugoは自らの体内に入れることになる食欲をそそる匂いを発する物体を入れた容器を手に持ちつつ, 来た道をまた戻る途中, Akioは, 自分よりはるかに順応性が高く, 悪く言えば早々に今の仕事に飽きそうなYugoに, “この職場に来て, そ, そろそろ1年だけど, どう思ってんの?”と聞いてみた.
昨年4月に同僚として迎えたYugoは, どこの国の出身かは明かしていなかったが, 世界的に有名な大学を卒業しており, 一見しただけで頭の良い人間だと分かるが, かといって決してエリート気取りせず, 熱意があふれる青年であった. 彼ならば, 市外にある巨大企業や主要な国の中央官庁など, どこにでも就職できそうに思えた.
しかしYugoは, Akioには解せないのだが, そうしたところには全く見向きもせず, 働くならここしかないという強い意思を持ってこのHanasaka Castleへ来たのだと言う.
住む場所として彼がHanasaka Cityを選んだ理由は, 分からなくはなかった. それはここHanasakaがある意味で最先端の都市だからだ.
職場の仲間から見ても仲が良く, すぐに打ち解け合えたAkioとYugoには共通点があった. それは, 彼らはある島国に長く住み, その地で教育を受け, そこで話される言語も完璧に使えるのに, 外見上その島国の人だと思われないことであった.
Akio Diasは, 5年前にHanasaka Cityに引っ越して来るまでは, “KAWAI Akimori”という名前だった.
補足: ファミリーネームを先に表す場合の人名の表記について その島国の人の名前は, ファミリーネームとギヴンネームを併記する場合, その慣習に従ってファミリーネームを先に表記し, ここではそれを大文字にする.
彼はその国に生まれ, そこの国籍を持ち, ファミリーネームも名前もありふれたもので, 黒い髪の毛に茶色の虹彩を持っていた. しかし彼は, その国の一般的な人たちより肌の色がやや黒かった. そして彼の母親はその国の生まれではなかった. ただ, それだけ. それだけで彼は数えきれないほどの苦労を重ね, また味わう必要のない失望も感じてきた.
ところが9年前, ユーラシア大陸の東方沖にあるその島の一部に, 国際公約に基づき, “Experimental City”または略して“Experi-City”と呼ばれる都市が誕生した. その都市の名前は, “HANASAKA”.
21世紀に入ってからずいぶん経った頃, 人類はこの星にExperimental Cityと呼ばれる都市を23か所建設し, Hanasakaはその1つであった.
Experimental Citiesは, その当時存在していたいくつかの国の一部の領土を切り取って設立されたが, その譲り渡した国の憲法も法律も及ばず, 行政上も司法上も独立した都市であった.
補足: 国名の非言及について Hanasaka Cityの人たちは, その設立のために領土の一部を譲り渡してくれた国を, 具体的な国名を言わずに, “Moto”と呼んでいた.
そしてExperimental Citiesは, その名から想像できるが, 実際にそこに人が住み, 生活をしながら様々な実験をおこなっている都市であった. より正確に言うと, 生活そのものが実験であった.
まず, その都市の立法も行政も司法も, 実質的には, 人間の幸せを第一に考えるAIと情報システム群によって運営されていた.
そして, 少なくとも18歳以上の市民は全員, 個体の識別と管理をする”micro-chips”が体内, すなわち多くは, 両手の親指と人差し指の付け根の辺りに埋め込まれ, その健康や安全は情報システムの複合体によって守られていた.
さらに, すべての市民に, つまり生まれたての赤ん坊も所得のある人も含めて市民権を有する者すべてに, 所定の金額を毎月各々に付与し最低限の所得を保障する, “Universal Basic Income”または略して“UBI”といわれる制度が導入され, 働かなくても, あるいは働けなくても, 衣食住に困窮することのない生活が約束されていた.
補足: Experimental Citiesの特徴的な社会制度について 詳しくは, Experimental Citiesを参照ください.
こうした社会環境の中で生活している人間はどう変化していくのか, そしてそもそもそのような社会環境をどうやって維持するのか, それを観察し試行錯誤するための舞台がExperimental Citiesであった.
従ってそこに住む人々は, ただのんびりと暮らしているだけで良いのだが, それだけだと飽きてくるであろうし, 社会を維持し発展するための労働力は必要であるため, 報酬を得て仕事をすることもできるし, 市から募集の告示がなされる様々な実験的施策や社会貢献活動に参加することもでき, そうしたことは奨励されていた.
そしてExperimental Citiesでは, 市民や市外の者から提案された様々な実験について, その必要性と相当性を情報システムの複合体がテキパキと判断し, 妥当とされたものは次々と実施された. 文化的, 宗教的または政治的な意見の対立によって多くの国では実施が難しい施策や実験があっても, Experimental Citiesは相当の対価をその国が支払えば速やかに実施を請け負っており, 市外の者たちもその点に存在意義を感じていた.
そうした実験を実施するにあたっては, ある程度の人の数と, 多種多様な人を確保しておく必要があることから, Experimental Citiesの憲法といえる“Charter of Experimental Cities”には, “何人もやむを得ない事由がない限り, 他人に出自を問うてはならない.”, “何人も他人の出自を, 事実であれ憶測であれ, ほかの者に伝えたり, 知りうる状況にさらしたりしてはならない.”という規定があった.
この出自を問わない原則, “The Principle of Non-Inquiry into Origins”は, Hanasakaでは, “Hanasakaに, 住めばみんな, Hanafolk.”という標語でまとめられ, 幼稚園児でも知っている. これは何も崇高な理念を掲げて自己満足に浸りたいわけではなく, 人類の発展と平和のために自分が実験台になっても良いと思う殊勝な人はそう多くはないため, 出自をいちいち気にしていては, 実験に必要な人数を集めることができないからだと一般的には言われていた.
補足: “Hanafolk”について ちなみに“Hanafolk”は, Hanasaka Cityの人々を意味する造語で, 正式には“Hanasakans”というが, 特に市民たちは自分たちを“Hanafolk”と呼ぶほうが一般的である.
Akioの場合は, 自らが実験台になることを望んでいたわけではなく, みんなが出自を気にしない社会に魅力を感じてこの都市にやってきた.
Hanasakaに移住して来たAkioは, いかにして, 周りの多くの人と同じ国籍の人として認めてもらうかに腐心する必要はもはやなくなったと考えた.
そしてHanasakaでは, 市民権を得るにあたっては, 自分のファミリーネームを捨てて, 自分で選択した新しいラストネームに変更する必要があったことから, これまで使っていた “Kawai”というファミリーネームを, 母親が名乗っていた “Dias”に改めた. さらにHanasakaでは, ファーストネームもラストネームも, 3年間のインターバルは設けられるものの, 何度でも自分の意思で変更できることから, ギヴンネームも変えることにし, Hanasaka市民の多くがファーストネームを3音節程度で言えるものにしていたことから, “Akio”と短くし, “Akio Dias”で生きることにした.
補足: 名前の表し方について Hanasakaでは自分の意思で何回も名前を変えることができるため, ギヴンネームやファミリーネームとは言わずに, ファーストネームやラストネームという. なお, Hanasakaでは, 基本的にはファーストネームで呼び合い, ラストネームは補助的な識別コードとして扱われるぐらいで, 何かの行政上の手続きや格式のあるセレモニーなど限られた場面でしか使わない.
Scene 1.1.3:
“あの, 私はAkioさんと違って, Hanasaka誕生の瞬間にはこの市内にいたんですよ. Hanasaka式の生活にはとっくに慣れてますって. まあ, 大学に入ってから数年間, 市外にいましたけどね.”
Yugoは, 先輩ぶるのはよしてくれという態度で答えた.
“とぼけてるな? ‘Castle Office’に来て, 1年経って, ど, どうなのかってこと. 面倒くさいなあ.”
“Castle Office”と呼ばれているその団体は, Hanasaka Castleの復元, 管理, そして活用をおこなうために作られた, 法人化された民間団体で, 正式には“Hanasaka Castle Development Association”という名前であった. この団体は, 確かに世界的に知られていた存在であったが, Castle Officeという団体が有名というより, 彼らがHanasaka Castleの近くで毎年春と秋に開催している“Kassen”という名のスポーツ・イベントが好評で, 多くの人々に知られていた.
このKassenは, Experimental City Hanasakaの誕生に合わせて始められた. どこのExperimental Cityもその当時の世界最高のsuper-intelligenceと情報システム複合体によって運営されていたが, Hanasakaでは, “機械” (この時代の人たちは, メカニカルな構造体のみならず, AIや情報システムなども含めてしばしば“機械”といっていた.) に支配された人間味のない都市のように人々に見られるのを恐れて, 厳格なルールの下で, 人間臭い, 生身の肉体がぶつかり合うイベントを考案したのであった.
そのKassenも今年で9年目. 最初は市民のための小さな催しにすぎなかったが, Kassenの試合に出る“Fighter”と呼ばれるプレイヤーたちの活躍によって, 多くの人々に興奮と感動を与え, 多くのストーリーを生み出し, 市外においても確たる知名度を持ったスポーツ大会になっていた.
そんな特別なステイタスを持つイベントを取り仕切る団体であるから, 有名な大学を卒業していようが, ここに就職したいと思っても不思議ではないとも思える. 事実, Kassenの現場で働きたいとCastle Officeへの就職を希望する者は数知れずいるため, むしろYugoほどの人材でないと入れないとも考えられる.
Yugoは, Akioの知りたがっていることを理解して, “Castle Officeに来てどうなのかってことでしたら, 不満なんて全くありませんよ. だって私は, Kasgaさんのおそばで仕事がしたくてここに来たんですから.”と返答した.
“何それ…, ほ, ほれてるの? メルヘン? マンガみたい.”
“バカにしてるでしょ. それにその言い方, Kasgaさんに失礼ですよ. だいたい, あのかたに魅了されない人なんていないでしょ.”
“そ, それは分かってる. 実際, お, お話しした時, 頭, 真っ白になったから.”
“自慢ですか?”
“事実を言っている.”
“じゃあ, メルヘンであろうが, マンガであろうが, 私の思いも事実です.”
一応, YugoがCastle Officeを気に入っている理由は理解できたとして, でもなぜ, KassenのFighterが試合中に使う, 相手を攻撃しまたは自分の身を守るための“Equipment”が正常に動作するかを検査する, “Equipment Inspection Section”または略して“EIS” (英語の“ace”と同じ発音をすることが多い.) と呼ばれる部署を希望して来たのか, それが彼にはいまだに十分納得できていなかった.
Castle Officeは, 11年前, 7人から始まった小さな集まりであったが, 今はスタッフの数が70人を超す組織に成長していた. その中の1つのサブユニットであるEISも重要な業務をになっているには違いなく, AkioやYugoを含めて7人の常勤のスタッフがいた.
Kassenの試合で使うEquipmentは, Fighterが手に持つ攻撃道具である“Weapons”と, 身を守るために体に装着する“Outfits”を合わせた総称である.
このEquipmentを検査するには7人はぎりぎりの数であり, 一昨年に退職を希望する者が1人出たため募集をかけたところ, 入ってきた新人が, 見るからに, また履歴書の上でも優秀な青年であったために驚いた. なぜなら, Equipmentの点検は, 決められたことをきっちりやりさえすれば良く, まじめであれば学歴に関係なく誰でもできる仕事であるからだ.
“で, EISの仕事は, ど, どうなの? 優秀な人が, こんな…, 単調な仕事, 合うと思えないし.”
Yugoは, Akioが言い終わるやすぐに, “何言ってんですか. ばっちり合ってます.”と, 太い眉毛を釣り上げてきっぱり答え, 自分がずっとKassenのファンであったこと, それゆえKassenを身近に感じられる裏方の仕事をしたいと思っていたこと, そしてその裏方の中で, Equipmentの点検は大事な仕事であり, それにたずさわれてうれしく思っていることを改めて説明した.
Akioは, 自分も同じ仕事をしているので大事な仕事であることはYugoに言われなくても分かっているし, 一応その説明に納得はしつつも, もっとKassenの運営全体や対外的な折衝にたずさわる部署などのほうがクリエイティブな感じがして良いのではないかと尋ねた. しかしYugoは, EISのほうが魅力的であると, ぶれずに答えた.
“Akioさんは前からやってるから当たり前のように感じてるかもしれませんけど, Kassenが単なるショーじゃなくてスポーツとして成り立つには, やっぱりEquipmentがちゃんと使われてることが一番大事じゃないですか. 決められたスペックどおりの機能と性能を持つEquipmentを, Fighterたちがルールに従って使う. そうじゃないとKassenは成り立たないじゃないですか. そういう意味で我々は, Kassenの最も基本的なところに関わってませんか?”
“まあ, 理屈はそうだけど…”
Akioは, そう言って左手で自分の後頭部をかいた.
“理屈だけで選んだわけじゃありません.”
Yugoはそう断言し, Equipmentのinspectorは, それを取り扱ううえでいろいろなFighterたちと直接会えること, またその製作, 装飾または修理に事業する人たちとも関わりを持てることなど, その魅力はいくらでもあることを熱く語った. そして, “Akioさんもそういう思いで入ったんじゃないんですか?”と逆に問いかけられ, Akioはしばし言葉に詰まった. そうとも言えるし, そうとも言えないからだ.
Akio自身, 3年前にこの団体に, 無期限雇用のスタッフとして就職したのも, やはりKassenが好きだったからといえなくはなかったが, Yugoほどの熱心なファンではなかった. 大学に在学中にCastle Officeの臨時スタッフとして関わったことが縁となって, そこに就職したにすぎなかった. それに, その臨時スタッフも薄給であったため, 積極的な気持ちで応募したわけでもなく, Experimental Cityに移住してきて, 全く働かないのも退屈だと思って求人広告を見て, やってみようかなと軽い気持ちで門戸を叩いてみただけだったのだ.
実際にCastle Officeの臨時スタッフとして登録し, Kassenの裏方として働き始めると, ほとんどが雑務だったが, 彼が他人との会話に難があることを周りが受け入れて仕事を与えてくれたため, 繁忙期だけの仕事であったが, 在学中, より高給の仕事をやってみたいという気も起こらず, そこでまじめに働いた.
その働きぶりはCastle Officeのマネージャーたちにも高く評価され, 彼が大学卒業後にほかの仕事についてしまうと自分たちの実務に支障をきたす恐れがあると心配し, またCastle Officeでは学歴は不問であったため, 彼らのほうからAkioに対し, 大学を卒業したら無期限雇用のスタッフとして, またEISのメンバーとして採用したいが来てもらえないかと申し出たのであった.
Akioとしては, Hanasakaの市民である限り衣食住には困らないものの, 嫌いではない仕事を続けられるというありがたい話を捨てるのももったいないと考え, その申し出に応諾した.
しかしYugoと少し違うのは, 確かにEISのメンバーになればKassenの試合で様々なFighterたちに直接会えるが, そうであるがゆえに, 悩んだ挙句にそのメンバーになったのであった. 彼は, 数多くのFighterたちの中で1人だけだが, そのFighterと対面で会うと, のどに何かがつかえる感覚に襲われ, 息が苦しくなるのであった. 自分なりにその原因を分かっていたが, 自分の努力で解決できるものでもないがゆえに, 彼にとってはつらかったのだ.
“Akioさんって, ほんと, 顔に出ますね. 悩みに悩んでEISに入ったってことですよね?”
いつの間にかYugoはじっとAkioの顔を観察していた.
“な, なんでそう言える? 悩む人もいるだろ. な, 何の迷いもなく, 選択できるなんて, お, おかしい.”
“私は別に悩むことが悪いことだとは一言も言ってませんよ.”
Yugoは, 正直な先輩をからかっているわけでは決してなかった. Yugoの周りには, 言葉を選び, 相手に合わせて器用に行動できるスマートな人間が多かったが, まるでそうしたことができない人間の代表例のようなAkioとは気が合っていた. 自分も器用ではないほうだったからだ.
“私はただ, どうして悩んだのかをいつか聞かせてくれたらうれしいと思っただけです…”
後輩に心優しい言葉をかけられたAkioは, ドキッとして, 顔に照れが出るのを見られまいと視線を上のほうに向け, 城の石垣が目に入るとふと思い出して, “そうそう, い, 石の写真を撮ろうと思ってたんだ.”と話をそらした.
Akioは, 身の回りにある石を撮影してそれに自分が考えた名前を付けて投稿するとちょっとしたリワードがもらえるという, 実に地味な“Stone Souls”というアプリをNexus Unitに入れていて, 城の石垣を構成する石の中で, あるいはCastle Park内の地面に転がっている石の中で, 変わった形のものを見つけてはそれを撮影し名前を付けて投稿していて, すでに108個の石の名づけ親になっていた. 名前を付けられた石には信念のようなものが生まれ, その信念に基づく要望に応じて石どうしをフレンドとして関連付けもできる.
Akioは, 自分が立っている位置から見える範囲で, smart glassesで望遠ズームをかけて石垣を見渡してみたが, 今日は, おもしろそうな石は見つからず, 探索はあきらめた.
“Akioさんが好きそうな, まったり系の地味なアプリですね.”
“そうでもないけど… い, 石によっては, 強い意思を持っているし…”
Akioが名づけ親になっている石の中でも特に変わったものが1つあった. それは, 彼が働いている職場の建物の近くで見つけた火成岩の一種の石ころだが, “見渡す限りがれきにしたい”という, 人間から見ると危険な信条を持っており, 建物を破壊した時に出てくる石を100以上見つけて登録せよという面倒なクエストを出していた.
“へえー, 荒涼とした世界が好きな石なんですね.”
Akioは, YugoのAR viewにも, 自分の石のコレクションの画像を共有し, その中の, 3月1日にAkioによって登録され, “New Moon in the Dark”と名づけられた, 球体に近い黒い石に指を当てて紹介した.
“そうなんだけど, こ, こいつが, 今日は変なんだ.”
Stone Soulsで集められた石たちはAR viewに表示されると即座に何か一言つぶやくようになっているのだが, その黒い石が出した言葉をYugoに見せるため, Akioは自分のAR viewの中に現れているStone Soulsの表示画面を空中で人差し指で触れ, それをYugoのほうに弾き飛ばす操作をして, YugoのAR viewにもその画面がシェアされるようにした.
“Castle will fall to dust, As spring sun sinks to night. Flower garden’s god, Will have lost all faith. You who hold the black stone, Go towards the blue light.”
不思議なメッセージをYugoが小声を出してなぞった.
“不気味ですね. 何かを暗示しているんでしょうか?”
Akioが言うには, 過激思想に染まったこの石は, いつもは, “燃やしてやる!”とか “たたきのめす!”といった攻撃的な短い言葉を発するぐらいだが, 今日に限っては, いつもより長い, しかも詩のような文章を生成したのだ.
“‘You who hold the black stone’って, Akioさんのことですよね? としても, いったい何を求めているんでしょうね?”
“う~ん… ‘Blue light’って何だろう?”
その時, AkioとYugoのAR viewに, EISのマネージャーのJuliaから, セクションのメンバーたちと13時半からおこなう予定だった会議を延期してほしい旨の急ぎのメッセージが差し込まれた.
補足: 時刻の表示方法について Hanasakaでは24時間方式で時刻を表す. ただし日常会話では, 話者によっては, 従来のアナログの時計盤をイメージして, 例えば13時を1時と言うことはある.
Hanasaka Cityの鉄道や道路などの交通網を管制している“Vulcan”と呼ばれるシステムに異常が発生し, 現在, その稼働が一部制限され, Juliaが外出先からCastle Officeに戻るために乗っていた電車が途中の駅で止まってしまったとのことである.
Castle Officeの最寄り駅から3つ離れた駅で足止めされたJuliaは, 近くにあるビジネス用のカフェで仕事をしようとそこで電車を降りた.
“おそらくこれは外部からの攻撃. ちょっとした小手調べだろう. いよいよ敵が動き出したということか…”
Juliaの考えは正しかった. 多くの場合, 敵はいきなりド派手に登場しない. 様子をうかがいながらじわじわと忍び寄ってくるのである.